高野山は明治の初めまで女人禁制が続いていた。
信仰心の厚い女性たちや、身内の人が出家して高野山で修行している
女性たちは、高野山の町理中に入れないので、「高野七口」と呼ばれる
高野山の七つの入り口に建てられた「女人堂」に寝泊りしながら
高野山の街の周りを 祈りながら巡り歩いたと言われている。
その道が「高野女人道」で 「世界文化遺産ー紀伊山地の霊場と参詣道」
の一つとして 世界遺産の道の一つとも言われている。
しかしこの道を通して歩く案内書はない。三山コースと女人道コースと
別々の案内だ。転軸山と不動坂口女人堂の間の道が整備されて
いないのかもしれない。
今回は南海電鉄案内書の「三山コース」を歩いた。
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中の橋駐車場を起点にして三山を回った。
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奥の院への車道と別れて、右のチェーのゲートを入る。
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もっと立派な看板があると思っていたら手作り標識だった。
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しばらく歩くと「魔尼峠」だ。
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魔尼山山頂到着。
祠があり、女人たちが祈りを奉げた場所だ。
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しばらく下ったところに 地図では「黒河峠」のあたりに峠標識はなく
「東魔尼山」と石碑があった。
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楊柳山山頂到着。ここで昼食にする。
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楊柳山から 急な下り道を一気に降りると 子継峠に出た。
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子継峠から更に下る。
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更に下ると林道とクロスする。
転軸山入り口にも手作り案内標識があって助かる。
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これで三山を巡り歩いたことになる。
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転軸山から下山すると、「石楠花園」に出た。
沢山の水鳥たちがいる。
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しばらく歩くと スキー場のようなところに出た。
このあたりから道路が分岐していて 案内もなく、よく分からなくなった。
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駐車場へ帰着。
(※御廟周りは撮影禁止です)
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駐車場を歩き出したのが、11時前。帰着したのが午後4時過ぎ。
お昼休みを1時間とり、歩行時間は4時間半くらいでした。
案内書では約4時間。帰路の奥の院で道に迷ったのと、御廟に寄った
せいで少し時間がかかったのかもしれない。
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