3 第一級史料の出現
元宮内省御用掛(通訳)寺崎英成の遺族に、一九四六年三~四月の昭和天皇の回想の口述記録が残されていたのを、一九八九年十一月、マスコミ各紙が一斉に報道した。のちに『昭和天皇独白録』(以後「独白録」と云う)として文芸春秋社から翌年に刊行された。
昭和天皇は一九八九年一月七日にお亡くなりになっている。本人がこの世に居なくなって、口述記録が偶然に見つかったのである。
ずっと辺りを窺って、これで問題がないと判断し、或いは、公表するのをじっと待っていたかのように、丁度良い時期を見計らって悠然と、或いは偶然に現れたのである。その口述記録の作成に携わった五人も全員鬼籍に入っている。そこまで待って、やっと出てきたのである。
おそらく、五人にも同様な記録があったような気がする。ただ相続人が偶然にアメリカ人であったこと。要は、「菊の壁」や「菊のカーテン」を感じていない外国人であったのが、この史料が出てきた理由かもしれない。
最近、その資料の実物がオークションにかけられ、日本人の富豪な整形外科医が落札し、圀に寄付するとか、という記事が載っていた。日本人ならたぶんオークションにかけないだろう。
昭和の総菜屋
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