散歩気分で生きる毎日に一日1本、一行詩!by ミナミヒロユキ
一行詩(うた)メモ日記
あめちゃん
一粒の飴でテンション上がるはずもなく
「飴」
なぜか、あっちこっちから「飴」が出てくる。ポケット、カバン、小物入れ、ギターケースなどなど。
たぶん、いろんなところでもらってくるのだろう。よく行く東の居酒屋さんは、帰りにいくつかくれるので、その場では食べずにポケットやカバンに入れて忘れてしまう。
ほかでも店のカウンターに、「ご自由にお取りください」と書いて置いてあるところがある。そうすると、ついついもらってしまう、すぐに食べないのに。
そういうのがたまっていっているのだと思う。いまもこの原稿は、とつぜん出てきた「飴」をロレロレしながら書いている。たぶん、これは、あの居酒屋さんにもらったものだ(いつもらったのかわからないけど)。
「飴」の魅力。なんかあるのだ。無視できない光線がシューシューと出ているんじゃないか、その光線にあたると、ついつい手をのばしてつかんでしまうという仕掛けだ。「飴の不思議」。
ただし、大阪のおばちゃんから「飴」をもらったことはない。道を歩いていて「兄ちゃん、これ食べ」と、「飴」を強制的にポケットに入れられたこともない。「大阪のおばちゃん飴神話」は、まさしく神話ではないだろうかと、ちょっと疑っている。
※豆腐あんかけラーメン
じぶんで買う「飴」は、「のど飴」くらいだ。とくべつどこどこの「飴」を買って食べたいと思ったことは、うーん、記憶にないなぁ。だからスーパーで飴の袋が並んでいると、だれか買う人いるのかな、ほんとうに売れているのかな、と、クビを傾げるときがある。
ちゃんとメーカーは存在しているのだし、店頭でも売られているのだし、コマーシャルだって(ローカルだけれど)見るときがある。やはり、ファンがついているのだな。
なかなか神秘的な商品ではないか? 目立たないけれど、密かに売れている。憧れる生き方である。
「にゃん画」
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