yasminn

ナビゲーターは魂だ

谷崎 潤一郎訳   源氏物語より

2010-07-24 | 箏のこと
何事によらず、 

それぞれの 道について 稽古を してみると、


才能というものは  すべて 

行き止まりが ないような 気がするもので、


もうこれでいい と 自分に 満足できるまで 習得することは、

とても むずかしい ものだけれども、 


なあに、


今の世には 深い研究を 積んでいる人が

めったに 見当たらないのだから、


片端だけでも 一通り 習い覚えることが できたら、

まあまあ こんなものかと 思って 

満足しなければ なるまいが、


ただ 琴(きん)だけは 面倒なもので、

うっかり 手を触れるわけには行かない。


この道は、

ほんとうに 古法のままを 学び取った 昔の人の場合には、


天地(あめつち)を 動かし、


鬼神の心を 和(やわ)らげ、


もろもろの 楽器が みな 琴の音に 従って、


深い悲しみも 喜びに 変わり、


賤(いや)しく貧しい身も 高貴になって 財宝を得、


世に 認められる類(たぐい)が いくらもありました。



これが わが国に 弾き伝わった 初め頃までは、


深くのことを 弁(わきまえ)て いた人は、


多くの 年月を 知らぬ 外国(とつくに)に 過ごし、

身を 亡きものにして この道を 会得しようと 苦心してさえも、

成就することが 困難だったのです。


でもまた 明らかに 


空の月や 星を 動かし、

時ならぬ 霜や 雪を 降らし、

雲雷(くもいかずち)を 騒がした例が、


上代にはあったのです。


そういう 霊妙な ものなので、

その通りを 習い取ることが むずかしく、


世が末になったせいか、


どこに 古法の片鱗が 残っているかと いうように なってしまった。


しかし それでも、 

鬼神が 耳をとどめて 聴き入った 楽器で あるからか、


なまなか 稽古を してみた者も あったけれども、


望みを 遂げずに 終った類が 多かったので、


それからは あれを弾く者には 禍(わざわ)いが あるなどと


難癖をつけて、うるさいことを 言い出すようになり、


今は ほとんど 習う人が なくなった という話だが、


それは 非常に 残念なことだ。



琴の音を 離れては、 何を基に 音律を 整えることが できるであろう。 


なるほど、 すべてのものが わけもなく 衰微(すいび)していく 世の中に、


ひとり 故国を離れて、 志を立て、 唐士高麗(もろこしこま)と


この世ながら 知らぬ 土地を 迷い歩き、


親や妻子を 顧みなかったら、


世間の 拗ね者に なるかも 知れないが、


何もそれほどに しないまでも、


ただ この道の 一通りを知る 緒(いとぐち)ぐらいは、

心得ておきたいものだ。


一つの調べを 十分に 弾きこなすだけでも、

底の知れないものなのだ。


いわんや いろいろな調べや、 多くの難しい曲があるのを、


一生懸命に 稽古した 私の修業時代の盛りには、


およそ 世の中に ありとあらゆる、 

わが国に 伝わっている 譜という 譜を 

普(あまね)く 参考にして、
 

後には 師とすべき人も ないようになるまで、

好んで 習ったものだけれども、


やはり 上代の人には 及ぶべくもないのだからね。


まして この後といっては、

この技(わざ)を 習い伝える 者もない と思うと、

まことに 寂しい気がする。




紫 式部  源氏物語  若菜より