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ナビゲーターは魂だ

中原 中也         言葉なき歌

2011-02-28 | 中原 中也
あれは  とほいい 処に あるのだけれど

おれは 此処(ここ)で 待つてゐなくては ならない

此処は 空気も かすかで 蒼(あを)く

葱(ねぎ)のやうに 仄(ほの)かに 淡い


 決して 急いでは ならない

 此処で 十分 待つてゐなければ ならない


処女(むすめ)の 眼(め)のやうに 遥かを 見遣つては ならない

たしかに 此処で 待つてゐれば よい



それにしても  あれは とほいい 彼方で  夕陽に けぶつてゐた

号笛(フイトル)の 音(ね)のやうに 太くて 繊弱だつた


 けれども その方へ 駆け出しては ならない

 たしかに 此処で 待つてゐなければ ならない


さうすれば そのうち 喘(あへ)ぎも 平静に 復し

たしかに あすこまで ゆけるに違ひない
 

しかし あれは 煙突の 煙の やうに


とほく とほく    いつまでも 茜の空に たなびいてゐた


林 芙美子

2011-02-27 | 
風も 吹く なり

雲も 光る なり



生きてゐる 幸福(しあわせ)は

波間の 鴎のごとく

漂渺(ひょうびょう)と  たゞよひ



生きてゐる 幸福(こうふく)は

あなたも 知つてゐる

私も よく 知つてゐる



花のいのちは みじかくて

苦しきこと のみ多かれど



風も 吹く なり

雲も 光る なり

バイロン         かのひとは、美わしく行く  

2011-02-24 | 
かのひとは、 美わしく行く



雲影もなき国の、  きらめける 星空の、  夜のごとくに



ぬばたまの、  黒きもの、  輝けるもの   よきものは、  



ことごとく   かのひとの、 姿と瞳にこそあれ




ま昼間の、 まぶしさに、 


神の惜しみし  あわれなる、   夜の光に


やわらかに、融けてこそあれ。




いましばし 暗かりせば、 いましばし 明るかりせば


鳥羽玉の黒髪に、 浪うちて


かのひとの、 面のうえに   やわらけく ほのめける



いい方もなき、 美しきものの影


傷つきて、消えにしものを


静けくも、 あまき想いは


清らかに、 慕わしく


その面に、かがやき出ずる。




かの頬に、 かの額に


やさしく、 しずかに


しかも 想いにあふれて



ひとの こころ奪う ほほえみ


燃えたつ 色の においは
 

かのひとの 過ぎし日の 気高さを 語り


身のうちの、やすらけきこころ


よこしまの思いなき



愛に満ちし、胸をささやく。

 
             阿部知二訳

ギィョーム アポリネール       海豚(いるか)

2011-02-22 | 
   
    海豚(いるか)よ、 君らは 海の中で 遊ぶ、


      しかしそれにしても、 潮水(しおみず)は いつも 苦いことだ。



    時に 私に よろこびが ないではないが、


                  どのみち 人生は 残酷だ。
 

                               堀口大學訳

泉 芳朗                 きうり

2011-02-21 | 
みちあふれる 生命を  性(さが)のまゝに 伸ばし


萌しくる 思念(こころ)を  ほどよき みどりに はびこり


落ちこぼれた 地上の  真実を まさぐり


柔腕を 九天に 展(ひろ)げ


わがまゝに 見える程 慢心せず


ぎりぎり 怺(こら)えて  節くれ だたず


挑み来るものを 拒まず


かなわざるものに 怯えず


弱きが故に 歪まず


すべてに いだかれ


すべてを 抱きとり


天賦に まつろひ


善意と 愛情に すみとおり


黄色い 平和のリボン つけて


やがて いとしき とげある 乳房


銀粉に まみれて


つぶらに したゝる



高村 光太郎       ぼろぼろな駝鳥

2011-02-20 | 
何が面白くて 駝鳥 を 飼ふのだ。


動物園の 四坪半の ぬかるみの 中では、


足が 大股過ぎるぢゃないか。


頚が あんまり 長過ぎるぢゃないか。


雪の降る国に これでは 羽が ぼろぼろ過ぎるぢゃないか。


腹がへるから 堅パンも 食ふだらうが、


駝鳥の眼は 遠くばかりを 見てゐるぢゃないか。


身も 世も ないように 燃えてゐるぢゃないか。


瑠璃色の風が 今にも 吹いてくるのを 待ちかまへてゐるぢゃないか。


あの 小さな 素朴な顔が 無辺大の夢で 逆まいてゐるぢゃないか。


これは もう 駝鳥ぢゃない ぢゃないか。


人間よ、


もう止せ、こんな事は。

萩原 朔太郎      白い月

2011-02-19 | 
  はげしい むし齒の いたみから、


  ふくれあがつた 頬つぺたを かかへながら、


  わたしは 棗の木の下を 掘つてゐた、

 
  なにかの 草の種を 蒔かうとして、


  きやしやの指を 泥だらけにしながら、


  つめたい 地べたを 堀つくりかへした、


  ああ、わたしは それを おぼえてゐる、


  うすらさむい 日のくれがたに、
  

  まあたらしい 穴の下で、


  ちろ、ちろ、と みみずが うごいてゐた、


  そのとき 低い 建物の うしろから、


  まつしろい 女の耳を、

 
  つるつると なでるやうに  月が あがつた、


  月が あがつた。


幸若舞     敦盛より

2011-02-18 | 古典
 思へば、 此世は 常の住処に あらず。

 草葉に置く 白露、 水に宿る 月 より  猶あやし。

 金谷に 花を詠じ、 栄花は 先立て、 無常の風に 誘はるゝ。

 南楼の月を もてあそぶ 輩も、 月に 先立つて、 有為の 雲に隠れり。



 人間五十年、 化天の内を 比ぶれば、 夢幻の ごとくなり。

 一度 生を受け、 滅せぬ物の あるべきか。 

 これを 菩提の種と 思ひ定めざらんは、 口惜しかりき 次第ぞ。




ウンベルト サバ       仕事

2011-02-17 | 
 ずっと むかし、

 ぼくは 楽々と生きていた。   

                土は


 ゆたかに、花も実も、くれた。




 いまは、  乾いた、  かたい 土地を 耕している。

 鋤は、

 石ころにあたり、 藪につきあたる。  
                   
                   もっと深く


 掘らなければ。   宝を さがす 人のように。


                 
                        須賀 敦子訳 

式亭 三馬                 浮世風呂より

2011-02-15 | 古典
 熟(つらつら) 監(かんがみ)るに、 


 銭湯ほど 捷径(ちかみち)の 教諭(をしへ)なるはなし。



 其故(そのゆゑ)如何となれば、 賢愚邪正貧福貴賤、 湯を浴(あび)んとて 裸形(はだか)になるは、


 天地自然の道理、 釈迦も  孔子も  於三(おさん)も  権助も、 


 産(うま)れたまゝの 容(すがた)にて、 惜い  欲(ほし)いも  西の海、 さらりと無欲の形なり。




 欲垢と 梵悩と 洗清(あらひきよ)めて 浄湯(をかゆ)を浴(あび)れば、


 旦那さまも 折助も、 孰(どれ)が 孰(どれ)やら  一般(をなじ)裸体(はだかみ)。




 是(これ)乃(すなは)ち 生れた時の 産湯から  死(しん)だ時の 葬潅(ゆくわん)にて、


 暮(ゆふべ)に 紅顔の酔客(なまゑひ)も、 朝湯に 醒的(しらふ)となるが如く、 生死一重が 嗚呼 まゝならぬ哉。




 されば 仏嫌(ほとけぎらひ)の老人も 風呂へ入れば吾(われ)しらず 念仏をまうし、


 色好(いろごのみ)の壮夫(わかいもの)も 裸になれば 前をおさへて 己から 恥を知り、


 猛き 武士(ものゝふ)の 頸(あたま)から 湯をかけられても、 人込じやと 堪忍をまもり、


 目に見えぬ 鬼神(おにかみ)を 隻腕(かたうで)に 雕(ゑり)たる侠客(ちうつはら)も、


 御免なさいと 石榴口(ざくろぐち)に 屈(かゞ)むは 銭湯の 徳 ならずや。




 心ある人に 私(わたくし)あれども、心なき湯に 私なし。


 譬へば、人密(ひそか)に 湯の中にて 撒屁(おなら)をすれば、


 湯は ぶくぶくと鳴(なり)て、 忽ち 泡を 浮(うか)み出(いだ)す。



 嘗聞(かつてきく)、薮の中の 矢二郎はしらず、 湯の中の人として、湯の おもはくをも 恥(はぢ)ざらめや。


 惣(すべ)て 銭湯に 五常の道あり。 


 湯を以て 身を温め、 垢を落し、 病を治し、 草臥(くたびれ)を休むる たぐひ 則(すなはち)  仁 なり。


ウンベルト サバ           われわれの時間

2011-02-14 | 

 一日で、 いちばん いいのは

 宵の時間じゃないか?     

             いいのに

 それほどは 愛されていない 時間。

                 聖なる

 休息の、 ほんの 少しまえに来る 時間だ。


 仕事は まだ 熱気にあふれ、

 通りには 人の波が うねっている。



 四角い 家並みの うえには、

 うっすらと月が、     
          穏やかな

 空に、 やっと 見えるか 見えないか。


 その時間には、   田園を あとにして、

 おまえの いとしい街を 愉しもうではないか。


 
 光に映える 入り海と、
   
            端正に

 まとまった 容姿の 山々の街を。



 満ちたりた ぼくの人生が、
 
 川が 究極の海にそそぐように、流れる時間。



 そして、  ぼくの想い、  
              足早に歩く

 群衆、
      高い 階段のてっぺんに いる兵士、


 がらがらと行く 荷車に、
              駆け出して

 跳び乗る少年。

          そのすべてが、
                   ふと
 静止するかに見えて。

             
            これら 生の営みが、

 不動のなかに たゆたうかに 見えて。



 偉大な時間、 収穫をはじめた われわれの

 年齢に、よりそっている 時間。



                    須賀 敦子訳