朝日新聞 1月11日 『声』の欄
今日は成人の日。いろんな20年があるんですよね。
【朝日新聞】 1月8日 シリーズ「選べない国で」
http://www.asahi.com/articles/DA3S12148912.html
僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。
それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。
でも社会に経済的余裕がなくなログイン前の続きると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。
その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。
僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。
正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。
「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。
その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。
友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。
「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。
当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。
その後東京でフリーターになった。バイトなどいくらでもある、と楽観した僕は甘かった。コンビニのバイト採用ですら倍率が八倍。僕がたまたま経験者だから採用された。時給八百五十円。特別高いわけでもない。
そのコンビニは直営店で、本社がそのまま経営する体制。本社勤務の正社員達も売り場にいた。
正社員達には「特権階級」の意識があったのだろう。叱る時に容赦はなかった。バイトの女の子が「正社員を舐(な)めるなよ」と怒鳴られていた場面に遭遇した時は本当に驚いた。フリーターはちょっと「外れた」人生を歩む夢追い人ではもはやなく、社会では「負け組」のように定義されていた。
派遣のバイトもしたが、そこでは社員が「できない」バイトを見つけいじめていた。では正社員達はみな幸福だったのか? 同じコンビニで働く正社員の男性が、客として家電量販店におり、そこの店員を相手に怒鳴り散らしているのを見たことがあった。コンビニで客から怒鳴られた後、彼は別の店で怒鳴っていたのである。不景気であるほど客は王に近づき、働く者は奴隷に近づいていく。
その頃バイト仲間に一冊の本を渡された。題は伏せるが右派の本で第二次大戦の日本を美化していた。僕が色々言うと、その彼も僕を嫌そうに見た。そして「お前在日?」と言ったのだった。
僕は在日でないが、そう言うのも億劫(おっくう)で黙った。彼はそれを認めたと思ったのか、色々言いふらしたらしい。放っておいたが、あの時も「こんな人もいるのだな」と思った程度だった。時代はどんどん格差が広がる傾向にあった。
*
僕が小説家になって約一年半後の〇四年、「イラク人質事件」が起きる。三人の日本人がイラクで誘拐され、犯行グループが自衛隊の撤退を要求。あの時、世論は彼らの救出をまず考えると思った。
なぜなら、それが従来の日本人の姿だったから。自衛隊が撤退するかどうかは難しい問題だが、まずは彼らの命の有無を心配し、その家族達に同情し、何とか救出する手段はないものか憂うだろうと思った。だがバッシングの嵐だった。「国の邪魔をするな」。国が持つ自国民保護の原則も考えず、およそ先進国では考えられない無残な状態を目の当たりにし、僕は先に書いた二人のことを思い出したのだった。
不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。それはいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、過去の汚点、第二次大戦での日本の愚かなふるまいをなかったことにしようとする。「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。
そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、
その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。
これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、
フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、
その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、
「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している。
経済的に大丈夫でも「自信を持ち、強くなりたい」時、
人は自己を肯定するため誰かを差別し、
さらに「強い政府」を求めやすい。
当然現在の右傾化の流れはそれだけでないが、
多くの理由の一つにこれもあるということだ。
今の日本の状態は、あまりにも歴史学的な典型の一つにある。
いつの間にか息苦しい国になっていた。
イラク人質事件は、日本の根底でずっと動いていたものが表に出た瞬間だった。政府側から「自己責任」という凄(すご)い言葉が流れたのもあの頃。政策で格差がさらに広がっていく中、落ちた人々を切り捨てられる便利な言葉としてもその後機能していくことになる。時代はブレーキを失っていく。
昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。
政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、
「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。
否定意見に肯定意見を加えれば、
政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、
批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。
実に上手(うま)い戦略である。
それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する。
たとえば悪い政治家が何かやろうとし、その部下が「でも先生、そんなことしたらマスコミが黙ってないですよ」と言い、その政治家が「うーん。そうだよな……」と言うような、ほのぼのとした古き良き場面はいずれもうなくなるかもしれない。
ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。
*
この格差や息苦しさ、ブレーキのなさの果てに何があるだろうか。僕は憲法改正と戦争と思っている。こう書けば、自分の考えを述べねばならないから少し書く。
僕は九条は守らなければならないと考える。
日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、
現憲法は単純な押し付け憲法でない。
そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。
自衛隊は、国際社会における軍隊が持つ意味での戦力ではない。違憲ではない。こじつけ感があるが、現実の中で平和の理想を守るのは容易でなく、自衛隊は存在しなければならない。平和論は困難だ。だが現実に翻弄(ほんろう)されながらも、何とかギリギリのところで踏み止(とど)まってきたのがこれまでの日本の姿でなかったか。それもこの流れの中、昨年の安保関連法でとうとう一線を越えた。
九条を失えば、僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う。あの悲惨を経験した直後、世界も平和を希求したあの空気の中で生まれたあの文言は大変貴重なものだ。全てを忘れ、裏で様々な利権が絡み合う戦争という醜さに、距離を取ることなく突っ込む「普通の国」。現代の悪は善の殻を被る。その奥の正体を見極めなければならない。日本はあの戦争の加害者であるが、原爆・空襲ろなどの民間人大量虐殺の被害者でもある。そんな特殊な経験をした日本人のオリジナリティを失っていいのだろうか。これは遠い未来をも含む人類史全体の問題だ。
僕達は今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことができるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう。
最後に一つ。現与党が危機感から良くなるためにも、今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党内の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。
◇
なかむらふみのり 1977年生まれ。2005年、「土の中の子供」で芥川賞。近著に「教団X」「あなたが消えた夜に」。作品は各国で翻訳されている
大竹まことゴールデンラジオでも、この記事を取り上げられています。 2016年1月8日
室井さん「ちゃんと分かっていないのに声高に言ってくる人達って言うのはいる。
例えば、この間、政権批判してたら"ヘイトスピーチ"と言われた。それが仕事なのに。
どうして両論併記が多くなるかというと、
その人個人に責任を押しつけるからだ」
大竹さん「国会を観ていると、野党の質問に与党は答えいないのに、それで良いことになっている。
どんな答え方にしても、質問の的には答えないといけない。
野党も、"質問しましたよ"みたいに終わっている」
(22分過ぎ~)
女性自身のあっぱれぶりは、みなさんご存じだと思いますので
ここで取り上げるまでもありませんが
こちらの「原発」と「辺野古問題」はHOT記事でしたので紹介させて貰いますね
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川内原発の再稼働を進めている方々へ
わたしからあなたがたに問いたいことがあります。
そして、伝えたいことがあります。
わたしは、これから未来を担う子どもを生み、育て、次世代に地球をバトンタッチさせる重要な役目と責任がある立場にあるからです。
だからこそ、何としてでもあなたがたの心に届けなければなりません。
どうか目を開いて、心を開いて、読んでください。
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http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/offgrid/12318
また、辺野古問題についても、翁長さんの奥さんにインタビューする形で記事にしています。
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「報道内容が違って当たり前なんです。
なぜなら戦後70年もたったというのに、
沖縄ではいまでも工事すると、
山ほど不発弾が出てくるんです。
すべての不発弾を処理するのにあと70年もかかるんです。
そういう、沖縄が日常的にずっと抱え続けている問題を、
なかなか理解してもらえないのは、本当にもどかしいです」
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acaciaさんから(すべて)引用させて頂きましたありがとうございました
なぜ私たちは投票に行かないといけないのか?
「選挙に行かないと若い人ほど損をする。
昨年は若者層のデモが話題になったが、それだけでなく、
その年代の投票率を上げて初めて政治に力を及ぼせる。」
今の選択が将来の日本を大きく変える!?選挙前に知っておきたい。
「安保法制・9条改憲」「マイナンバー」「消費税増税」
現行憲法と自民党改憲草案との比較もある!
「日本が世界の中でどういう国として振る舞いたいか」が肝要と。
近くて遠い地方議会。でも実は暮らしに深く関わってます。一番身近な地方政治こそ知らないと!
宮城県県議会議員の清山さん、世田谷区議会議員の佐藤さんのインタビュー。
本当に、読みごたえがあります。
特に良いのは、それぞれの争点の「まとめ」です。
四角で囲んで一目瞭然になっています。
これ、670円なので、女性だけでなく男性も買ってください。
今度の選挙のことを話題にする時、必ず役に立ちます。
集英社のLEE編集部さん @lee_shueisha
貴誌2月号の参院選特集はすごいです。
みんなに薦めました。これからも頑張ってください!
ニッカンスポーツ・コム連載「ロンブー淳の崖っぷちタイトロープ」で
淳さんが原発について語ってくれています。
ロンドンブーツ1号2号の田村淳に、日刊スポーツのさまざまな分野の記者が話を聞く連載「ロンブー淳の崖っぷちタイトロープ」。今回は、まもなく5年が経とうとしている東日本大震災で発生した「福島第1原発」の事故とその後について考えました。
震災の後は毎年、石巻に行っていました。だんだんとがれきがなくなって整備されて、3年くらい見た後、町が動きだしたから、今度は違うところを見たいと思って福島に行ったんです。
原発は「大丈夫だ」って言うけど「大丈夫じゃないっぽいな」とボクは思っています。でも、自分の目で見ていないのに「大丈夫じゃない」とは言いたくなかったので、行きました。Jビレッジとか、国道6号線とか。国道から海の方へ向かって、東京電力福島第1原発と第2原発の間の岬にも行ってみた。枯れた草とかも当時のままで、線量計がずっとビービービービー鳴ってるんですけど、そんなことにも慣れちゃうんですよね…慣れちゃいけない事なのに…あまりにも当たり前に鳴りっぱなしで、おかしな感覚になるんですよね。
国道6号沿いの田んぼに、汚染土が入った黒い袋を積んだ山みたいのがあるんですよね。震災から復興に向かってちょっと動いてるのかなと思っていたんですが、むしろ被害が広がっていると感じた。あの黒い山が被害そのものですよね。
今まで、どこにも言ってなかったですけど…、「美味しんぼ」で鼻血の話があったじゃないですか。実はボクも北茨城に行った次の日、朝起きたら、こんな量がでるのかってくらい、吐血!?って思うくらい、布団が鼻血まみれになっていたことがあったんです。北茨城に行って興奮していたのか、いきなり線量高いのに当たってそうなったのか、それはわからない…。今となっては調べようがないですからね。でも、だからこそ「美味しんぼ」のような話も、ボクはなくはないと思っていたんです。
ボクは自粛をするタイプの人間ではない方ですが、完全に黙ることを選びました。伝え方と、伝える時期って本当に難しい…でもあの時のボクは黙る事を選びました…真意が伝わらないのも嫌だし、話がそれるのも嫌だったし、鼻血と放射能の因果関係、事実確認が取れてない事を言いたくなかったからです。こうやって自分の言葉で伝えられて、捻じ曲げられず伝えられる場所があれば、あの時、鼻血が出た理由は分からないけれど、聞かれればしゃべるようにしています。
毎年3・11が近づくと、市場が活気を取り戻したとか、コミュニティーが明るくなってきたとか、いろいろ報道されますよね。でも切り取り方がちょっと偏っているなぁと思うんです。復興に向かっている場所もあるけど、そうじゃない場所もたくさんある。テレビから流れてくることに、うそくささを感じている。もっとリアルにザラザラしているのが、ボクのツイキャスだったら伝えられるなと思って、やりたいと思っています。
双葉町に「原子力明るい未来のエネルギー」っていう看板がありました。残したかったですよね…。ボクもツイッターで残そう、と呼び掛けたけれど。マイナス面を消し去るってことは、絶対しちゃいけないと思ってるんです。
東京電力が街にやって来て良いこともあったし悪いこともあった。事故も実際起きた。そこを全部知ることが歴史じゃないかと思うんです。戦国大名みたいに、“勝ったら都合が悪い歴史を塗り替えていく”みたいなことをしだしたら、これから先の人が見て学ぶ術や、情報を減らすことになってしまう。ああいうものって、残せるだけ残した方がいいとボクは思います。
当たり前のようにあの下を車がバンバン通って、何にも思わない時期もあった。むしろ「原子力ありがとう」っていう時期もあったはず。でも今あそこの下をくぐる時には、ものすごいいろんなことを考えさせられる。だから、看板はあった方がいい。残していると都合が悪い人がいるんでしょうね…。すげえ必死になって撤去しようとしたのが、ボクはなんか不自然だなと思いました。
政治家は事故は収束したっていうけれど、収束はしていないですよね。今年行ったJビレッジも、バスのピストン輸送がひっきりなしに動いていて…。
そんな中で、第1原発で作業を終えてバスで帰ってきた人が、「ロンドンハーツいつも見てます」って話しかけてきてくれたんですよ。「作業で疲れて、くったくたになって、家帰ってビール飲みながらロンドンハーツ見るときがすげえ幸せです」って。
それ言われた時に、なんか…すごく複雑な思いだったけれど感動しました。テレビに出る仕事やっていてよかったと思いました。
※今回は「福島第1原発」について、社会部の清水優が取材しました。(ニッカンスポーツ・コム連載「ロンブー淳の崖っぷちタイトロープ」)