やおぶろ vol.2

スキー大好き、やおりのブログ。

がんばれ小沢くん。

2010-05-01 | editing(仕事)
小澤選手の移籍先について

昨シーズン限りでアントラーズを退団した小澤英明選手のパラグアイリーグ1部スポルティボ・ルケーニョへの移籍手続きが完了しましたのでお知らせします。

■選手名:
小澤英明(おざわ・ひであき)

■生まれ:
1974年3月17日、茨城県行方郡北浦町(現行方市)出身

■サイズ:
188センチ、84キロ

■ポジション:
ゴールキーパー

■経歴 ※カッコ内は加入年
北浦中学校(1986)─水戸短大附属高校(1989)─鹿島アントラーズ(1992-1997.7)─横浜マリノス/横浜F・マリノス(1998.10)─セレッソ大阪(2000.4~6)─横浜F・マリノス(2000)─FC東京(2001)─鹿島アントラーズ(2004)
※1997年7月から1998年10月の間は所属クラブなし
※1992アジアユースU-19日本代表
※1996アトランタ五輪U-23日本代表候補

■公式戦成績
J1リーグ通算 25試合0得点(アントラーズで22試合0得点)
ナビスコカップ通算 16試合0得点(アントラーズで10試合0得点)
天皇杯通算 2試合0得点(アントラーズで1試合0得点)

<コメント>
こちらに来て1カ月たちました。今回、正式にスポルティボ・ルケーニョに移籍することが決まりました。毎日必死にボールに食らいついていけば、必ず道は拓けると信じて戦ってきたので、本当にうれしく思います。これからも初心を忘れず、さらに熱く戦っていきます。

2010/02/17 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト より。

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鹿島アントラーズのGK、小沢英明選手。36歳の挑戦です。

ず~~っと以前、アントラーズの仕事をしていた当時、取材をさせてもらいました。
オフィシャルのイヤーブックのインタビューの席でお会いしたのが、1995年。
もうそんなに経ちますか……。

当時の小沢選手は、鹿島のGKのなかでは最も若手で、出場機会を虎視眈々と狙い、
また一方でユースやU-23日本代表候補にも名を連ね、アトランタ五輪を目指して
川口能活選手とポジションを争っていました。
初取材も確か、その前日にU-23の合宿から帰国したばかり、という日でした。

朗らかな人柄と人なつこい笑顔のなかに、サッカーへの熱意があふれていました。

「キーパーは、フィールドに比べるとチャンスが巡ってきづらいポジション。
 きたるべきその日を、“耐えて待つ”しかないんです。
 早くチャンスがほしい。結果を出して正GKになる日が待ち遠しいです!」

そう語る彼の開花を待ち遠しく思い、心から応援していました。

しかし、本人も言うとおり、ポジションがら選手交代の機会がそもそも少ない
ことに加え、持病の腰痛にずいぶんと悩まされ、やがて手術を決断するまでに
至るなど、Jリーガーとしてはなかなか花道を歩くことができずにいました。

わたしもその後、サッカーの仕事からは離れてしまい、以後は年賀状のやりとりで
近況を報告しあうだけのつながりが続いていました。
(何年も前に取材をしたインタビュアーに毎年忘れず年賀状を送ってくださる、
 それだけでじゅうぶんに小沢選手の人柄が伺えようというものです)

今年も届いた年賀状、そこには、

「挑戦!」
「海外で暴れてきます!」

力強い筆跡でそう書かれていました。

鹿島、横浜F、セレッソ、FC東京と渡って、再び鹿島に復帰という
経歴を重ね、すでに30代半ば、二人のお子さんのパパでもある。
どれだけ葛藤しながら考え至ったか。

家族のことを考えたでしょう。
選手寿命のことも考えたでしょう。
自身のポテンシャルのことも考えたでしょう。
果たして海外へ出てオファーはあるのか、もちろん考えたでしょう。
でも、決断したんですね。

この先、やがて引退をして、ふと振り返ったときに、
自分はサッカーとどう向き合ったか、
納得のいくサッカー人生を送れたか。
そう自問したときに、どんなふうに答えられるか。
そんなことを考えたかもしれません。

あのときああしていたら。
あのとき別の選択肢を選んでいれば。

そんな「たられば」が、あとになってほんの少しでも気持ちをかすめる、
それはきっと我慢ならないことだと思います。

あるいは、そこまで悲壮な覚悟とまでいかずとも、
「まだじゅうぶんやれる!」
自分をそう評価できたから決断したのだとも思いを馳せます。

Jリーグでもう何年もの間、くるとなれば突然に降って湧く出場の機会に備え、
日々の鍛錬を怠らずにここまできた選手です。
自分を律し続けることのできる意思の強さは、尊敬に値する。

パラグアイの1部リーグですって。
乗り込んでいって、自分のプレーをしっかりアピールして、
正式契約に至ったんですね。

かつて鹿島のクラブハウスでお会いしたときの、
エネルギーと自信に満ちた様子が思い出されます。

その後、数回、お会いして話を聞かせてもらいました。
ケガに苦しんでいた時期もあったし、
自分のキャリアにもがいていた時期もありました。
けれど、決して投げ出すような言葉を口にすることはなかった。
自分が向き合う経験はすべて、やがて自分の糧になるはずと、
彼は常にポジティブでした。

今、新しいキャリアを踏み出した小沢英明選手。
パラグアイのグラウンドで彼は、
より一層のエネルギーに満ちているんだろうな。

「毎日必死にボールに食らいついていけば、必ず道は拓ける」

あなたの言葉は、あなたそのものです。

これまでも、これからも、変わらず応援しています。


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