2014年10月31日(金) 曇り
武州日野駅→たまご水→日野渓谷(北尾根)→矢岳→赤岩ノ頭→立橋山→牛首→酉谷避難小屋
自分へのご褒美として今日はリフレッシュ休暇をとった。特にこれと言って用事もなかったが、ただ過ごすのももったいなく。そこで、深まる秋と静寂な時間を求めて、普段歩き慣れていない身近な山を縦走することにした。せっかくの休養なのでここはのんびりと電車を使って酉谷避難小屋で一泊し、熊倉山宗屋敷尾根を下って再び下車駅へ戻るという周回コースにしてみた。考えてみればこれが一番格安な山旅であり、贅沢極まりない充実した縦走だと感じた。おそらく誰一人として出会うことなく深山幽谷の世界を充分に堪能できるような気がした。久しぶりの山に気分は高揚し、避難小屋で飲むお酒も準備してしまう。但し、お酒は好きだが、あまり飲めないので日本酒一合だけでにとどめた。何よりも日常生活から抜け出し、秋深き季節を満喫できるのがいい。
<明ヶ指のたまご水>
武州日野駅を降り立ち、駅に設置されている木箱へ登山届を提出した。丁度、通学時間だった。列をなして小学生達が駅前を歩いている。まだ眠いのだろうか、会話も少なく、先頭を歩く班長さんに連れられている感じだ。線路を渡り、たまご水の道標を目当てに矢岳北尾根の取り付き点へ向かう。しだいに民家も少なくなるが、出会った集落の方からは「おはようございます」と朝の挨拶を頂く。そして、小学生3人組が向うから歩いて来た。ザックを背負ったおじさんと目が合ってしまい、ニコニコしながらまた「おはようございます」と挨拶をされ、里山で暮らす素朴な温かみを感じる。荒川村には古くから通称「たまご水」といわれる硫黄分を含んだ湧き水があるらしい。吹き出物、胃腸病、神経痛、冷え性等に効くとされ入湯治療も行われていたという。尾根に取り付く前に立ち寄ってなめてみたが、それは確かに硫黄の温泉水だった。このたまご水の近くに作業道を発見したが、ここは通常の北尾根取付き点からジグを切り小尾根に乗る。
<祠>
矢岳から長沢背稜へ抜ける場合、武州中川駅を降りて大反山、デンゴー平から矢岳を目指すのが一般的だろう。矢岳の山頂には「北尾根で平成9年11月 2件の遭難事故があった、ザイル装備、ザイル技術が必要」という警告が掲示されているらしい。そこで、埼玉県警山岳救助隊ニュースを確認すれば、「3月 9日 矢岳 25歳男性 斜面を歩行中に転倒、滑落」、「5月14日 矢岳 2人 70、55歳 矢岳で道迷い。3日後、酉谷山付近で発見」という内容があった。また、お隣の熊倉山でも山岳遭難が度々発生している。その遭難者の手記が同じ山岳救助隊ニュースに掲載されていた。それによれば、遭難を振り返って他の登山者にも気を付けてもらいたいという反省点が込められている内容だった。その手記とは『9:25 城山コースよりスタート(当初、谷津川方面から入ろうとしたが、林道の通行止めで戻り、城山駐車場へ。そのため40分程遅れる)10:40ナンバー9の道標、この頃より雪道になる。 12:20 日野コース分岐を通過。 12:30 熊倉山山頂に到着。 13:05 下山開始。 13:10 日野コース分岐より日野コースに入る。 13:30 雪原の踏み跡が不明となり、そのまま沢下部へ進みながら正規のルートを探そうとした。相当下ったところで、正規のルートも見つけられず、このまま下るのは危険と判断し、尾根へ苦労して上がる。(後に宗屋敷尾根と分かる)登山道はなく、但し赤いテープが足元にあり、前方に熊倉山も見えるので、山頂をめざし、城山での下山を考える。山頂が目前のピークまでたどり着いたが、垂直に切れ落ちる崖に進むことを断念、尾根を元の場所まで戻る。17:10 自力下山も考え、迷ったが、携帯にて110番へ連絡を入れる、2名の装備・着装・携帯電話位置情報の連絡。 埼玉県防災ヘリに発見され、食料・毛布等が入ったザックを投下してもらう。(投下の)乾パン、水をいただく。夜間になり、救出活動が明日になると思い、(投下の)ホッカイロ・毛布・銀マット及び持参のレスキューシート(アルミ蒸着ポリエステル)を使用、横になる。救助隊より、向かっているとの連絡及び笛を鳴らすようにと指示があり時折、ライトと笛で現在地の合図をする。21:40 山岳救助隊に発見される。』という内容だったが、救助隊の方の活動には頭が下がる思いだ。
<宗屋敷尾根>
明日はあの尾根を下る予定だ。そう考えながら眺めた宗屋敷尾根。アカヤシオの咲く季節なら歩くハイカーもいるだろうが、今頃の植林された尾根は展望もなければ花もない。何故か今回はあの尾根を下ってみたくなった。よほど変わり者なのか、楽しくもなければ魅力もない尾根だが、ただ誰にも会わずに山を歩きたい。そんな気持ちがそうさせてしまったようだ。
<矢岳>
目算した時間でやっと矢岳へ到着した。ここまでが勝負だと考えていたので、この先は予定通り酉谷避難小屋を目標に歩き進める。午後1時を回っていたなら諦めて下山するつもりでいた。そして、「平成9年11月 2件の遭難事故があった、ザイル装備、ザイル技術が必要…」という警告文のそれらしき物はあったが、破損していてその内容は読み取れなかった。大反山、デンゴー平から来ても山頂直下は急登を強いられる。矢岳の山頂は展望がまったくない。山頂にはただ山名を示す札が二つあるだけである。何もない頂が魅力だという見方もあるが、山頂であるという事の一つの区切りがここにあるように思う。腰を下ろしておにぎり二つ食べ、力を付けて酉谷小屋を目指さなければならない。赤岩ノ頭、立橋山、大小のピークが連続する尾根を縦走するともなれば、ある程度はお腹を満たす必要がある。滑落、道迷い、疲労等で動けなくなることが一番心配だった。
<荒川分岐にて、「小屋まで約5ジカン」とあるが>
<立橋山へ>
<小黒>
数少ない展望が開けた場所からは、魔の山とか、魔境とか言われている小黒が眺められた。平成26年の秩父地域山岳遭難発生状況(1月~8月)を見ると、発生件数40件のうち5件が熊倉山、酉谷山となっているようだ。明日はあの小黒を経由して熊倉山方向へ下山しなければならないと思うと、不安もあり、探検気分もあり、ワクワク感が込み上げてくる。ここを下れば牛首のはず、そして最後に登り上げた場所が長沢背稜と合流するのであと少しの辛抱だ。雲行きも怪しくなってきたので、早く小屋へ着きたいところである。
<牛首>
<振り返って立橋山>
<そろそろ長沢背稜の縦走路>
<酉谷避難小屋>
念願の酉谷避難小屋へ到着する。そして、小屋の中から物音が聞こえないか静かに避難小屋へ近づいた。辺りはひっそりとしているので、小屋は独り占めかと思ったが、既に先着の2名様がいた。その方達に温かく迎えられ、早速夕飯と寝床の準備をした。時間はまだ3時、暗くなる前に今宵の宴をしなければならない。ここは相変わらず綺麗な小屋のままだったが、この地を訪れるのも丁度1年ぶりになる。思えば天祖山であの野犬化した犬におにぎりとパンを横取りされてしまったその日以来だった。しばらくして、一杯水から単独の方がやって来て、都合今夜は4人が宿泊することと相成った。
<避難小屋から暮れゆくタワ尾根>
それぞれ思い思いに暮れゆく秋の避難小屋を楽しんだ。酉谷避難小屋の常連さん達はお酒を飲むためにタワ尾根からやって来たらしい。そのタワ尾根の紅葉は今が見ごろだと言っていた。明日の下山コースでは注意すべきポイントをいくつか説明されたが、酉谷山界隈は熟知している様子だ。山にお酒、今宵は日が暮れると同時にほろ酔い気分で横になる。
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