「小林一三は大阪で花柳界に夢中になったらしい!」 56へえ!
「日本財界人物傳全集第5巻 小林一三傳」(三宅晴輝/東洋書館)より
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※なんか字がデカい・・・。(理由がわからない・・・)なぜ一三先生シリーズになると、字体やサイズが変わってしまうんでしょーか・・・。読みにくかったらすいません。
まぁ、あんまり意外でもないよな・・・。
わたし、どうも「タカラヅカ」のシステムって、花柳界の影響受けまくってる気がしてて、「一三みたいな事業家のおヒトなら、座敷通いぐらいしてたんじゃないの。それをモデルにして、タカラヅカを整えたんじゃないのかなぁ」とずっと思ってたんですね。ほら、八坂女紅場学園と宝塚音楽学校(と劇団員=生徒システム)とかさぁ。(考えすぎ?)
八坂女紅場学園(ウィキペディア)→ココ
でも、一三が(事業家として成功してから)花柳界を見下げる発言をしてヒンシュクをかったエピソードを読んだことがあって、じゃー違うのかなぁって思ってたんだけど、なんだ、若いころはバリバリ(←遊びが)だったんだね。
なんか、三井銀行では入社して4、5ヶ月すると、全国の支店に出されるんだそうだ。ものすごい辺鄙なところに飛ばされることももちろんあるワケで、それが理由でヤメちゃう社員もいたらしい。で、一三は「(どうせ行くなら)京都か大阪の、上方情緒豊かなトコがいいなv」と思い、ちょーど大阪にポストがあるときに、支店長に働きかけて、大阪行きの椅子をゲット!同輩にはうらやまれたそうな。(てゆーか・・・コネ!?コネですか!?新入社員が支店長に働きかけるチカラがあるって・・・コネだよね。イイとこの坊ちゃんだったんだなー、一三・・・。)
で、めでたく大阪に行くこととなった一三。秘書課長から「大阪に行く連中は最初は北野の某下宿で暮らすけど、その間にみんな悪いことを覚える!(それじゃマズいから)菊本君(超マジメ銀行員。のち三井銀行社長)とこに行け!」って言われて、堅物の菊本家に下宿したと。・・・しかし秘書課長の努力むなしく、一三はガンガンに遊び、茶屋遊びはもちろん、芝居を見たり、新聞社の文学仲間と文学雑誌に小説書いたり、楽しく暮らしたらしい。
芝居はともかく、花街で舞妓さんや芸妓さんと遊ぶには金がかかりまくる!彼の当時の月収は、(賞与もいれて)だいたい月二十円。下宿代は八円で、食費は月一円あればOK。20-(8+1)=11円も余裕があるんだけど、それでも足りなかった!と。(そうだよねー。相場はわからんけど、そりゃ高いでしょうねー、そーゆー遊びはー)それでどうしたかというと・・・なんと実家から半期に五百円ぐらい(理由をつけて)仕送りしてもらった!んだってよ!(ええぇーーっ!?一三の年収の倍以上じゃんっ!)
ちなみに仕事には宿直があって、宿直すると手当てで10銭出たんだけど、宿直手当てで稼ぎたい同僚が替わってくれるもんだから、一三はついに一回も宿直をしなかったそうな。(ええぇーーっ!?いいのか、それでっ!?)
・・・なんか、ヒンシュクな会社員だなぁ。(と思うのは、わたしが庶民だからでしょーか。いや、そりゃー、当時のエリート会社員なら、花柳界への出入りはフツーにあったんだろうけどさ~!程度ってものがあるでしょ!)
ま、とにかく一三がイイ家の出だということはよ~くわかったっす。
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