「ベルばらブームって本当にあったんだ!!」 99へえ!
**********************************
さて。トリビアシリーズの初期、わたしが古書店だの図書館だので古い資料を引っ張り出してきて何を調べていたかといえば「モンパリとかパリゼットで大昔にレビューが流行ったなんてえのは、劇団様の誇大広告なんじゃないのー!?」という疑問を晴らすためでした。
→結果:本当にレビューは流行ったらしいと知って愕然!
で、昭和初期の新聞を自分の目で確かめて、「すいませんでした宝塚歌劇団様」と、たいへん恐縮したワケです。(←遅い・・・)
さて、その第二弾というべきか・・・。
レビューが流行ってたことを確認したわたしは次に思った。
「そうか。そいつはわかった!つぎの宝塚歌劇団の転機はベルばら・・・。宝塚ブームを巻き起こしたとうわさのベルばら・・・。我が母もうっすらと流行ってた記憶がある、とか言ってたベルばら、あれはどの程度ブームだったの!?本当に社会現象級のブームだったの!?」
だって、ブームっつっても規模はいろいろじゃん!ナタデココもパンナコッタもベルギーワッフルも「ブーム」って言われたけど、規模も「その後」もいろいろじゃんか。
P様にお借りした貴重資料をありがたく拝見させていただきます。おおおおお!こ、ここに本当の答が!!ファイルが光り輝いてみえます。ぴかーーーーっ!!(←いらない擬音語)
そっとあけてみましょう。
うわーーーーっ。あるわあるわ・・・。ざくざくとブームの証拠がああっ!!
本当にあったんだ、ベルばら大ブーム!!いやもう、わたしはひたすら感動しました。
ありとあらゆる紙媒体(雑誌、新聞・・・)に宝塚ベルばらが!!
ブーム分析なんてのもたくさんある!
たとえば1974年(昭和49年)10月の東京中日スポーツ。
「家族連れが・・・女子大生が・・・」
「劇画の刺激か 〝サヨナラ真帆〟の感傷か」
「東京宝塚の前売りでは〝ファン異変〟」
などの見出しで、初演月組の東京公演の時の、「チケット前売り」の盛況ぶりが記事になってます。
前売り初日の六日、東京宝塚劇場の窓口には、朝九時半だというのに二千人の行列ができた。それもいつもの宝塚ファンではなく、小学生を連れた家族連れや、女子大生、サラリーマンらしい父親などがまじって・・・・・・。劇場側はあわてて整理券を発行、午後六時半までの前売り時間を一時間延長してやっと一万二千四百枚を売りさばいた。
「いつものファンと違うので、時間が倍近くかかって、あれが売り場の能力の限界。ずいぶん、たくさんのお客さんを帰しちゃいましたが、それでも四十三年の那智わたるさんのサヨナラ公演の一万二百四十枚の記録を軽く破ってしまいました」と窓口嬢。
「このすごい人気の分析ですか? まず第一に池田理代子さんが少女雑誌〝マーガレット〟に連載した劇画の評判。それに来月二月退団する真帆志ぶきにとって、これが最後の東京公演になる。この二つの理由が重なったせいでしょう」と劇場側では話す。
何でも、「ふつうの宝塚(歌劇)公演」(たぶん東京公演の話?)は、だいたい動員が五万人ぐらいだそうで、このベルばらは七万五千人はカタい、という劇場側のコメントも出ています。
ほーっ。ベルばら直前の、タカラヅカ冬の時代(?)でも、やっぱそれなりに動員してるんだなあ、と「五万人」のほうに感心したわたし。
この記事は初演のムラが終わった翌月に書かれているから、まだけっこう冷静ですよね。スータン様の退団が近いから・・・なんていう、宝塚歌劇としてはきわめてフツーな意見が提出されています。再演が繰り返されるあたりの記事になると、もうそんな宝塚的な「見かた」はどっか吹っ飛んで、「とにかくいまベルばら!」「宝塚に殺到!!」みたいな、熱狂ぶりを伝える記事が多くなっていきます。宝塚歌劇の公演としてどうこう、という語り方じゃなくて、劇画を含めた「ベルサイユのばら」自体のブームを検証する視点が増えていくんですね。
ところでスータン様って、ベルばらのころに退団だったんだ・・・。
けっこう長く在団されてたんですね。1952年初舞台で1975年退団だから、研23だよね。わたしのなかで、スータン様といえば「ベルばら以前の大スター」ってイメージだから、ベルばら初演時にまだ在団なさってたとは知りませんでしたわー。へえー。へえー。
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今回のトリビアは、いつもにも増して、期待、大、大、大、大、大!
早くも、エラーが出るまでクリックしました。
その、ツボになった箇所とは?
>「五万人」のほうに感心したわたし。
そーだったんですか!
私は「アンドレとオスカル編」初演からのヅカファンだった
(今はファンじゃない、ってことやね:苦笑)
のですが、当時は小学生だったし、新聞なんて読んでませんでしたので、全く知らんかったです。
それに、OSKファンになってから、こういった数字に敏感になりましたので(苦笑)、
「五万人って、すげーぢゃん!」
って、眠気が覚めるほどのオドロキ。
また、時間を置いてから、再度へえボタンを押しにまいりますです (^^)
いつもたくさん押してくださってありがとうございます~。
>「五万人って、すげーぢゃん!」
って、眠気が覚めるほどのオドロキ。
ですよね、ですよね。
「え?五万人?すごいじゃん。いいじゃん」みたいな・・・。
なんだかんだいって東京では人が入るけど、本家の兵庫県のほうがイマイチだったとか、そういう話なんですかねえ。こうなると、戦後の「冬の時代」がどうにも気になってきましたよ。
けっきょく、1974年のベルばら初演は一ヶ月で九万六千人!!の動員だったそうです。おそろしやベルばら・・・!
覚えていてくださるかしら?
ベルばらの時代!と聞いてやってまいりました。
当時の中学生です。
まず、この昭和のベルばらブームはその後の宝塚のブームとはまったく量的に違うものです。
最近は、いくらチケット難とか言ってもそんなに新聞に取り上げられたりしませんよね。
でも、あのベルばらブームは、最近で言えばアキバブームみたいなもんでしょうか?
完璧社会現象、まあ今なら流行語大賞間違いなし!って感じでした。
今みたいにガードなんてありませんでしたから
楽屋口には人が殺到して、ジェンヌさんは命がけで楽屋入りしてました。
待っているほうも結構命がけ。
昔は楽屋口で気軽にサインしてくれましたので、みんなマジック持って待っていて、私も大切なワンピースにマジックのしみをつけられました。
ジェンヌさんも良い服では楽屋入りできなかったと聞きます。
そりゃ、そりゃ大変でしたよ。
私たちは「ベルばら」の漫画をリアルタイムで読んでいる世代です。
連載ですから、先がわからないので、発売されるたび教室ではちょっとした騒ぎが起こったものです。
私は漫画にあまり興味がなかったのですが、それでもオスカル様が亡くなった週の騒ぎを今でもおぼえているほどで、
「ベルばら」に対する思い入れの深さも、今の人にはわからない深さがあったと思います。
一方で、ジャニーズ系もなどアイドルも活躍し始め
ミュージカルとか歌や踊りが身近になっていた私たち世代に、
宝塚の世界はぴったり嵌ったのでしょうね。
しかし、今日読んで、なまいき娘さんと私との世代感覚の大きな差を実感!
私のころは、宝塚は「女子供の」と喩えられるように、少女のものでした。
(もっと昔は、良家のお嬢さんがお付の女中さんと一緒に来ているという例が多かったそうです。)
3階席は映画より安かったし、健全な娯楽という感じでしたね。
だから、いわゆる「学期試験期間」はチケットが取りやすかったりしました。
楽屋待ちなんて、大人は恥ずかしくて出来ませんでしたよ。
それが、いつの間にか宝塚はおばさんのものになってしまい、
少子化もあって、制服姿がどんどん減って行きましたね。
3階席がなくなって、私の友達も「子供を連れては行かれない、もったいない」と言います。
この状況は、宝塚にとってどうなのか!というのが
実は私のこの数年の大いなる疑問です。
少女のものから、おばさんのものになっての宝塚の変化・・・。
これでまた一本書けますよ。
で、実は一番熱心な宝塚のファンは
私たちベルばら世代の元少女だと思っています。
私たちはご贔屓がやめても、次のご贔屓を探し文句を言いながら、観劇をやめない「宝塚」そのもののファンが多いと思います。
つまり、この「少女」と「おばさん」は同一世代だったりするわけです。^_^;
長くなるのでとりあえずこの辺で
コメントとても嬉しいです。ありがとうございます。
>完璧社会現象、まあ今なら流行語大賞間違いなし!って感じでした。
お借りした資料を拝見して、ほんとに心から納得です。
>それでもオスカル様が亡くなった週の騒ぎを今でもおぼえているほどで、「ベルばら」に対する思い入れの深さも、今の人にはわからない深さがあったと思います。
ベルばらの文庫のあとがきで、たしか氷室冴子の解説にも、そのような話が書いてあったと記憶してます。全国の教室で大騒ぎだったんですねえ。
そんなふうに事件みたいな「周囲と共通の」騒ぎって、わたしが学生やってたころ、あったかなぁ~と考えてしまいました。
>私のころは、宝塚は「女子供の」と喩えられるように、少女のものでした。
>楽屋待ちなんて、大人は恥ずかしくて出来ませんでしたよ。
な、なるほどーっ。目からウロコが落ちまくります。
「女子供の」っていう表現は常に念頭にはありましたけど、「楽屋待ちなんて、大人は恥ずかしくて」と、ハッキリ体験談としてお聞きして、自分のなかで一枚なぞのヴェールが消えたような気持ちです。
ほんとうに「少女の」文化だったんですねえ!
>で、実は一番熱心な宝塚のファンは
私たちベルばら世代の元少女だと思っています。
当時の「少女」ファンが、持ち上がっていまの宝塚ファンの中核をなしているんじゃないか、ということですよね。
なるほどですよねえ・・・。
だいたい、現代においてはいわゆる王道の「少女文化」って、絶滅の危機だと思うんですよねえ。すこしずつ変形して残ってはいますけれども、藤本由香里せんせいの言う「私の居場所はどこにあるの」的な、不安の表象としての少女文化って、どんどん下火になっているような気がします。オスカル様が当時、どれほど少女たちの心をふるわせたか、のちの世代ではわからないものがあるんだと思います。わたしの周囲だと、中学になるとみんな「少年漫画」の話ばかりでしたよ。
わたしは1978年生まれで、「家庭科が男女共修」の第一世代なんです。わたしのダンナ殿はわたしの2コ上で、家庭科はやっていないそうです。
女性をとりまく環境や思想は、戦後めまぐるしく変わりましたから、女性文化というのは世代間でだいぶ違った色合いを持っているのでしょうね。
大昔(レビュー時代)、すこし昔(ベルばらブーム)、そして「現代」と、宝塚歌劇(男役)を見る意味も見方も、それぞれ違うんだろうなあ、と思います。
いろんな層が混在しているから、タカラヅカ(&タカラヅカFAN)って、実像がつかみにくいというか、総括して語りにくいのでしょうね。
>3階席がなくなって、私の友達も「子供を連れては行かれない、もったいない」と言います。
数百円だとうれしいし、気軽に行けますけど・・・。数百円じゃきっと「採算」とれないですよね・・・。
阪急グループに全面的に保護されて、「道楽娘」なんて言われてた時代のほうが、文化事業としてはすぐれていたのかもしれませんけどね・・・。なかなか難しいですねえ・・・。
あのう。
もしよかったら教えていただきたいことが・・・。
宝塚ベルばらのオスカルって、原作にくらべたら「女」としての扱いの比重が高くて、上演のたびに議論(非難?)の的になるところだと思うんですが、そのあたりってブーム当時はいかがだったのでしょう。
原作のファンだった少女たちは、宝塚ベルばらを見て本当に「わあ。原作のとおりだわ(おめめキラキラ)」ってなったのでしょうか。
それともオスカルに違和感はあって、それでもベルばらを機に宝塚や男役の魅力を覚え、「宝塚歌劇っておもしろいんだ!」と気づいて、ベルばらというより宝塚自体のファンになっていったという話なのでしょうか。
イマ風にいう「メディアミックス」をすると、ぜったい原作のファンに違和感って生まれちゃいますよね。原作にのめりこんでいればいるほど、メディアミックスには「ひとこと言っておきたい」気持ち、出てきちゃいますよね。そういうムードって多少あったのかなあって、ずっと知りたいと思ってたんですよ。
>わたしは1978年生まれで、「家庭科が男女共修」の>第一世代なんです。わたしのダンナ殿はわたしの2>コ上で、家庭科はやっていないそうです。
>女性をとりまく環境や思想は、戦後めまぐるしく変>わりましたから、女性文化というのは世代間でだい>ぶ違った色合いを持っているのでしょうね
おお、お若いこと・・・^_^;
そうなんです。この時代の移り代わり面白いことだと思います。
この頃、つまり70年代ってまだ男女の区別が明確にされていて
「ズボンばかりはいている女の子」というのは特別視される時代でした。
だから男役さんも、「スカートを履けない」ことにストレスを感じ、「足を開いて座る」ということに抵抗を感じていたと思います。
今は、逆に娘役さんがズボン(今はパンツ)をはけないことにストレスを感じ、足をそろえることに苦労しているのではないでしょうか?
私たちの世代は多分、「女の子だから・・・してはいけない」「女の子だから・・・しなさい」とうるさく言われて育った最後の世代かもしれません。
でも、それに疑問や抵抗を感じていたところに現れたオスカルさま。
女性なのに男装して男と対等に活躍する姿は
今の人たちが感じるよりずっと新鮮でカッコよく映ったと思うのです。
つまり、時代ものでありながら、生き方的には先を行っていたような。
そして、その世代が成長して「男女雇用機会均等法」の一期生になった
というのはなかなか興味深いことのように思います。
ただ、当時は、それでも「女性は女性」
たとえば、オスカル様は「この胸のおんな心を~誰がし~る~」と歌いますね。
あそこで「そうだろうな。やっぱり女の子だもんね。ずっと男の格好しているのはつらいわね」と
当時は思ったし、それは演じている男役さんたちの本音だったと思います。
まあ、今も男役さんたちにそういう思いはあると思いますが、その質量がぜんぜん違うと思うのです。
平成の再演のときは、私たちの世代が主演クラスでした。
この頃になると、「女にこだわるオスカル」に皆違和感を感じるようになったのではないかと思います。
「別にいいじゃない。しっかり仕事して自立すれば。男とか女とか関係ないんじゃない?仕事と家庭は両立するものでしょ。」
という感じでしょうか?
この辺りから、私も「オスカル」という人物が
段々受け入れられなくなるんじゃないかという懸念を感じるようになりました。
つまり、オスカル様は初演の頃は生き方自体が
ある種の憧れ、目指すもの、シンボル的存在だったからこそ、熱狂的に受け入れられたのではないかと思います。
今は、ちょっと見世物的というか、完璧時代物で
「ああ、これが有名なベルばらね。」的な見方をされているだけに過ぎないように感じます。
オスカル様のように、男性の職場で働く女性は沢山いるし、別に「女心」に悩むことなく普通に結婚してお母さんになっているのですから、むしろオスカルの生き方はちょっと歯がゆいくらい?
で、そういう女性の変化、時代の変化が
昭和一桁おじいさんの作者には全くわかっていないんですよねえ・・・。
もっと、キャリアウーマンらしい凛としたオスカル像を描けば良いのにと思います。
とりあえず、「愛の巡礼」はいらない、と私は思うわけです。
ただ、所詮女同士ですからある程度オスカルが女らしくしないと、ラブシーンとかおかしい
と思っていると思うのだけど、その辺りもちょっと今の感覚からはズレていますよね。
>原作のファンだった少女たちは、宝塚ベルばらを見て本当に「わあ。原作のとおりだわ(おめめキラキラ)」ってなったのでしょうか。
うーん。どうなんでしょう。
私は実は漫画を読まない人で、その辺り本当に漫画のファンだった方にお聞きしないとわかりませんね。
個人差もあるでしょうし。
記憶をたどってみれば、「こんなの許せない!」と怒り狂っていた友達もいましたし
怒っていたけど、見たら嵌ったという友達もいましたね。
今度は宝塚ファン的見地からすると
「ベルばら」は「宝塚」という世界を多くの人に知らしめてくれた入り口のような作品だったと思います。
私などもパート2あたりでどっぷり嵌り、宝塚を見るようになったのですが
結局宝塚ファンになることを決定付けたのは
その頃上演された「ノバ・ボサ・ノバ」であり
「星影の人」「あかねさす紫の花」「バレンシアの熱い花」などの名作で
パート3が上演されるころには
「ベルばらなんてどーでもいー」的な感覚になっていました。
多分多くの「残った」宝塚ファンはそうじゃないかなあ?
折りよくスターも揃っていたし、作品も良作が続いたことが、ファンを増やしたことになったわけで
そういう宝塚の「ショー的」「ミュージカル的」要素に興味がなく、ただ「ベルばらファン」というだけの人は、すぐに宝塚から去っていったと思います。
うーん。長くなっちゃてまとまりないなあ・・・
ごめんなさい。
。
ああ・・・。本当におっしゃる通りだと思います。
>たとえば、オスカル様は「この胸のおんな心を~誰がし~る~」と歌いますね。
あそこで「そうだろうな。やっぱり女の子だもんね。ずっと男の格好しているのはつらいわね」と
当時は思ったし、それは演じている男役さんたちの本音だったと思います。
ああああああーーー!
目からウロコが落ちまくります。
これ、わたし、考えもしませんでした。
歌劇誌でときどき「お客さんは(男役に愛される)娘役に感情移入するから・・・」って話が出てきますけど、わたしはアレは違うんじゃないかと思ってて、すくなくとも若い層に関しては、「むしろ男役に感情移入して見ているはずだ」と思ってるんです。
「男性」を生きる快感としてのエンターテインメントであるというのが、いまの宝塚FANには大切だろうと思ってるんです。だからウケる男役像が比較的「ソフト」なんだと思ってるんですよ。女性が感情移入しやすい男役であることが重要なんじゃないかと。現実社会では、かならずしも「ソフト」な男ばかりが人気あるわけじゃないですから。(これはそのうちどこかにまとめて書こうと思ってます。)
「男役」であることが「少しつらいだろうな」なんて、考えたこともなかったです・・・!
>今は、ちょっと見世物的というか、完璧時代物で
「ああ、これが有名なベルばらね。」的な見方をされているだけに過ぎないように感じます。
そうですよね。そうですよね。
「ベルばら」は作品もキャラクターも、すごく時代を反映した作品で、だからこその「ブーム」だったわけですから、後世で上演しつづけて、後の世代にその共感を伝えていくことは非常に難しいんでしょうね。
>つまり、オスカル様は初演の頃は生き方自体が
ある種の憧れ、目指すもの、シンボル的存在だったからこそ、熱狂的に受け入れられたのではないかと思います。
「パンツスタイル」は今やあたりまえですし、「仕事も恋愛も」、オスカルなみに手に入れている女性、たくさんいる時代ですもんね。そういう方にはオスカルは「いまさら・・・」でしょうし・・・。
雇用機会均等法がもたらした社会変化が振り返られる時代になり、バブルが崩壊して就職超氷河期に底辺でジタバタした世代でノンキャリア(非エリート)のわたしたち周辺だと、もう「オスカルのようにはなれない」ことがわかっちゃってますからねえ。オスカルを「キャラクターとしてステキ」とは思っても、あこがれの対象にはしにくいんですよねえ・・・。
今の時代にベルばらを上演する意義って、何なんでしょうね。なんだかわからなくなってきました(笑)
わたしは宝塚ベルばら、とても好きなんですけども。
>「ベルばら」は「宝塚」という世界を多くの人に知らしめてくれた入り口のような作品だったと思います。
結局宝塚ファンになることを決定付けたのは
その頃上演された「ノバ・ボサ・ノバ」であり
「星影の人」「あかねさす紫の花」「バレンシアの熱い花」などの名作で
パート3が上演されるころには
「ベルばらなんてどーでもいー」的な感覚になっていました。
宝塚歌劇団は、本当に運がよかったのですね。
ベルばらでワッと少女たちが訪れて、宝塚の歌劇とレビューのおもしろさが急速に広まったということなんですね。
そうですよねえ・・・。
いくらベルばらがブームになっても、漫画だけのファンであったら、ブーム終了とともに宝塚の世界からはフェイドアウトしていくはずですもんねえ。
少女たちを引き留めたのは、歌劇自体の作品のチカラだったということですか・・・。それはスゴイことですね!
微妙な質問に答えてくださってホントにありがとうございました。
早速にお返事ありがとうございます。
ただ。。。
私が書いたのは、私の考えであって
ここを御覧の同世代の方々は「そんなことないよ」って思っていらっしゃるかもしれませんです。
ただ、同じ演目を年を重ねて観劇すると、ずいぶん視点が変わってくるものです。それも宝塚を長く観る面白さかもしれません。
>今の時代にベルばらを上演する意義って、何なんで>しょうね。なんだかわからなくなってきました(笑)
>わたしは宝塚ベルばら、とても好きなんですけども。
時代劇として見れば問題は無いのではないでしょうか?^_^;
ただ、劇団は「ベルばら」やればファンが増える、また初演のときのようなフィーバーが起こるかも、と思っているのかもしれませんが、それは無いでしょうねえ?なぜベルばらがヒットしたか、その辺の分析がわかっていないような気がします。
再演するのなら、外伝なんかではなくて、もっと現代的な演出とか、共感を呼ぶ人物像にしないと・・・。
でも、それだとベルばらの香りは薄れてしまうのかもしれません。
現在のヒット作はエリザベートですが、これも「仕事か結婚か」(男として生きるか、女心を大切にするか)迷っていたオスカルと違い、「私だけに」と自己主張するヒロイン像が現代に合っているということもあると思うのです。
もちろん、観ているときは皆そんな事を思ってみているわけではないのでしょうが、ヒット作というのはそういう時代の雰囲気に上手く乗る、ということも肝心なのではないかと思います。
そうそう、もうひとつベルばらヒットの秘密。
私が聞いたのは、当時はいわゆるアングラ演劇が流行り、なんとなく暗い小難しいものが流行っていたので(学生運動や連合赤軍の事件がようやく一段落したような時代でしたからね。)きらびやかなベルばらの世界がとても新鮮に映ったということです。
ご参考までに
そうですよねえ。
ベルばらはお客さん入りますけど、そのなかで「宝塚の新規ファン」に変貌していく人が何人いるかと言ったら、あまり期待できないですよねえ~。
それでも、ベルばらって言うだけでチケットがドドドドドドと売れるっていうのは、スゴイことですね。
モンパリや華麗なる千拍子では、こうはいきませんもんねえー。
エリザをやってもお客さん入りますけど、あれは「ミュージカルファン」に訴求できるからっていうのがありますもんね。
ふだん舞台を見ないような人でも、「ちょっと見たいかも~」と思わせるベルばらは、やっぱスゴイですよねえ~。
>もっと現代的な演出とか、共感を呼ぶ人物像にしないと・・・。
難しい問題ですよね。
「ヒロイン像」を作るのに、宝塚歌劇団はどうしてなかなか、意識が行き届かないカンジですよねえ。
ベルばら、たとえ失敗してもいいから、一度演出家を変えて新バージョンを作ってみればいいのに、と思うんですけどね。植田ベルばらは、もちろん「財産」として継承していくんですけども、そのほかに「新ばら」をやって欲しいなーなんて。わたしとしては、木村信司先生でゼヒお願いしたいんですが。
>私が聞いたのは、当時はいわゆるアングラ演劇が流行り、なんとなく暗い小難しいものが流行っていたので(学生運動や連合赤軍の事件がようやく一段落したような時代でしたからね。)きらびやかなベルばらの世界がとても新鮮に映ったということです。
ああー。なるほど・・・。
本当にいろんなタイミングが合って、ヒットしたということなんですねえー。