ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

わじわじするなぁ(20221104)

2022年11月04日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2022年11月4日(金)曇り

 今日は朝から辺野古にでかけるつもりでした。起きたら曇りで、やめた。途中でサシバを撮るつもりでしたが、これではシルエットにしかならない。辺野古まで歩くと約4時間(撮影時間を含む)で行けるはず。

 お陰で、コーヒーの豆を入れておく缶を洗ったり、お米をいれてあったタッパーも洗いました。隅に汚れがついていても大勢に影響ないでしょうが、たまには心機一転。

 それにしても「中央の政局」にわじわじしています。せっかく、安倍の「国葬」問題と、「統一協会」問題で自民党が揺れているのに、これに正面から対峙する政党がない。立憲民主党は瓦解し、維新と連携し、「統一協会」問題の新法をつくるとか。枝野前立憲民主党代表は、消費税減税を主張したのはまちがっていたと断言。立憲民主党の野田元首相は、安倍の追悼演説を、首相経験者のよしみで語っていた。

 どいつもこいつもどこを向いているんだろう。自分たちの生活は安泰だとカッコに入れて、権力志向なのだ。何が与党で何が野党なのかわかりはしない。立憲主義とは近代社会が生み出した英知だろうに。王制・天皇制の後に生まれた考え方は独裁を防ぐために憲法が「最高法規」だと定めたのだ。政権に就いている政治家や公務員が守るべきことを定めているのだ。これを一貫して潰してきたのが安倍晋三だ。

 立憲主義の崩壊は、遂に維新のみならず、立憲民主党にもおよび、自公と野合するまでに至ってきた。万事急須とはこのことだ。彼らによる消費税増税と大軍拡(日本国憲法の壊滅)は目の前に差し迫っている。

 その最先端に位置づけられているのが、琉球諸島であり、薩南諸島だ。米国は嘉手納基地のF-15戦闘機を撤退させ、F-22戦闘機に更新するという。常駐でなく、半年のローテーションだ。やばくなれば、さっさとひきあげる(撤退)態勢にするのだ。ただ問題はこうなれば、従来の米日の軍事態勢が槍(米軍)と盾(自衛隊)を大義名分にしていたものを槍と盾を混交し、自衛隊=日本空軍が担うことになる。

 戦争は簡単に始まってしまう。平和は、お互いに努力しなければ維持することもできなくなる。戦争は我々民衆の知らないところで始まるが、平和は民衆が努力し、権力を突き動かさなければ平和の世は来ない。実は戦争も民衆が油断していたり、やっちまえの力の論理と差別の感覚にとらわれたら、止めることは不可能になる。まして日本人は間違った過去の歴史を隠蔽したり、正面から向き合ってこなかったから、ろくでもない奢りをもち、偉そうだったりするのだ。

 再び屍の前で後悔するな! 77年前の戦争でいまだに、国内外の土中に紛れたまま、海中に没したままの遺骨も少なくない。こうした骨は本人の意志でこうなったわけではない。国家・軍隊の命令でこうなってしまったのだ。死者(骨)に口はないが、私たちがここを考えなければ誰が考えるのか?! 

 立憲民主党を軸にした野党共闘の瓦解は、私たちに何をもたらすのか? 沖縄の中の立憲民主党の人々の立ち位置が問われている。私はまだ誰の見解も見ていないし、聞いてもいない。

 私は無力だろう。しかし《生きる》ということを基礎に据えた生き方に拘っていく。どこまでもそうありたい。「微力でも無力でない」と言える努力を積み重ねるしかない。それはいかなる民族でも、人種でも同じはずだ。違うのは現実の力関係があるからであり、私たちは、無意識であれ、その現実の力関係の中に生きているからなかなか気づかないのだ。そこをどうしたら打破できるのだろうか? 

 私が沖縄と向き合う意味はここにある、と考えている。この歳に至っても、まだまだ未熟だ。申し訳ない。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。