ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

10・10はついていない一日だった(20241011)

2024年10月11日 | 沖縄暮らし

もう2024年10月11日になってしまった。10日は7時頃出かけて、帰宅は21時頃だった。もう予定どうりいかず、丸々つきがこない日だった。那覇空港と那覇軍港に行っていた。

 那覇空港では、航空自衛隊のC-130H輸送機(1機)が飛んだが、撮り損ねた。一瞬でC-130だと分かるのだから、さっさと右後方に下がればいいのに、戸惑った。那覇空港のデッキはハッキリ言うと見にくい。撮りにくい。フェンスが張り巡らされており、飛び上がったら、右(北側)、後方に下がること(北風の時)。さもないと、どうしても引っかかる。ぼやぼやしてたら、行きすぎ、後方しかみえなくなる。早めに切ると、フェンスの奥だ。

 C-130Hが何を積んできたのか、不明だが、興味深い。

 那覇軍港もお目当てはおらずだった。6日が予定外の大物で、驚かされた。今日はお目当てはおらず。ただバギー16両と+5両が駐まっており、次に何処に行くのだろうと悩ましかった。帰宅後、輸送仕様書を拡大したら、分かった。キャンプ・シュワブだとさ。辺野古だよ。

 ドジはこうだった。特に何もなく、一瞬ボウっとしていたら、13時頃、緊急車両のサイレンが聞こえてきた。パトカーでなし、救急車でなし、消防車でもない。米軍の消防車やパトカーでもないのだ。うっとしていたら、現れたのは自衛隊。何様だと思ってみたら、陸上自衛隊の第101不発弾処理隊の2分の1トントラックだった。どこかで不発弾がでてきたのだろう。旭橋から何処に向かったのだろうか? これまた撮り損なった。1枚も。

 しかし成果ゼロではないので、明日書きます。帰宅したらパソコンは調子悪いし、冷蔵庫がおかしかったり、そもそも先日の雨でカメラ1台の液晶がだめになっている。回復するかしら。そんな一日だった。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。