今日は母の命日です。1962年の9月28日。
本日締め切りだった「意見書」を漸く書いてだしました。昨夜は、関係資料をプリントアウトしながら、読んでいたら、余りにも理不尽な「公文書」に激怒し、眠れなくなった。
昨夜は、事前の段階までしかできず、本日17:15締め切り(ファクスとメール)か、郵送だと今日の消印有効だとのことで、19:00まで、駆け込みセーフ。気力で書くことができました。睡眠時間2時間ほど。お陰で資料の再読み込みする体力なし。別稿で当ブログにも挙げます。
午前中、辺野古テント村に行っていた。興奮しているせいか、眠くなりもせず。申請書他の文書を相棒に見せた。直接読めば怒りが湧いてくる。論点をずらしているので、経緯を知らなければ、余程の注釈をつけなければ、分からないだろう。
是非本文20頁にすぎないので読んで欲しい。要約を明日挙げる。この国の姿勢が余りにも露骨に出ている。誰が書いたのか分からないが、文章力のなさ。ひたすら意味不明にしておくことだけが、狙いだろう。変更申請を沖縄(ごとき)に出したくない気持ちが露骨だ。
沖縄を切り捨てる姿勢がストレートでありながら、1500頁に気圧され、殆どの人が読んでいない。ダメだろう。今朝の沖縄タイムスにも「軟弱地盤に詳細な説明なし」とあり、軟弱地盤だから何故こうした変更が必要なのか、科学的な説明一切ないのだ。詳細どころの話しじゃない。
例えば、中部空港の建設に於いて、関西新空港の建設に於いて、変更申請は何回も重ねられているのだが、どこがどのようにちがうのだろうか。民間空港と軍事空港との違いもあれば、沖縄とそれ以外の違いもあるのだろう。
私の怒りは収まらず、意見書とは別に、政府に対する沖縄民衆からの抗議と、日本国民に対する怒りの共有を求めたい。今怒らずしていつ怒るのか?!
今日の報道に依れば、伊江島では昨日も米国陸軍揚陸艇が伊江港を使ったという。これは偶然ではあるまい。新たな戦争に向けた準備が始まっていないか?
ただ、今日は頭にくるばかりではなかった。修理に出していたカメラが近日中に戻ってくる。直ったようだ。また、頑張る。