「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「伏見界隈」(ふしみかいわい)

2007年02月16日 08時12分56秒 | 古都逍遥「京都篇」
 伏見といえばまず頭に浮かぶのがお酒。街に入ると、どっしりとした白壁の酒蔵が旅人を迎える。昔の船着場は、旅籠「寺田屋」の前にある。
 ここからは深い堀と、ほとりに続く酒蔵が眺められる。しだれ柳が水面まで枝を垂れほのかな詩情を漂わせ、川畔につながれた小舟が幕末へとタイムスリップさせてくれる。

 運河に接する「長建寺」は東光山と号し、真言宗醍醐寺派に属している。鎌倉時代後期の作と言われる弁才天を本尊としており、この地では「島の弁天さん」として親しまれている。元禄12年、伏見奉行だった建部内匠頭政字が中書島を開拓するにあたり、深草大亀谷即就院の塔頭多聞院を移築し弁才天を祀ったのが始まり。
 寺内にある「亀石」は、その昔、伏見は伏水(白菊水)と書いた。良質の水が湧き酒造りが発達した。ここに湧く水も同じ水脈で、この浄水で身も心も、お札も洗い清めた。蛙に似た石が祀られ、カエルの語音の縁起を担いで祀られた。

 伏見で何と言っても有名なのが旅籠「寺田屋」であろう。坂本竜馬とお登勢の物語は映画、ドラマ、小説の世界には欠かせない竜馬の物語である。
 寺田屋に潜伏していた竜馬が役人に知れるところとなり、寺田屋が捕縛にきた役人たちに取り囲まれた。入浴していたお竜がその気配に気づき、身を包むことも忘れ竜馬を逃がす件は余りにも有名で、多くの物語になった。竜馬は南浜づたいに逃れたといわれている。寺田屋と書かれた提灯、古びた格子、何もかもが昔のまま残されている旅籠。

 寺田屋は、慶長2年創業の船宿で、現在は旅館兼史跡博物館となっている。
薩摩藩の定宿であった事から、1866(慶応2)年坂本龍馬が幕吏に襲撃をうけ危うく難を逃れた坂本竜馬襲撃事件の場所でもある。
 建物内では、1階に寺田屋事件現場となったお登勢の部屋、坂本竜馬襲撃事件のときおりょうが入浴していたお風呂場、2階では坂本竜馬の部屋、柱の刀痕などが自由に見れる。外では、坂本竜馬像、薩摩九烈士碑などがある。  

 伏見港は今は整備されて観光地化しているが、ここを弁天浜と言っていた昔、船上で行われた弁天祭は関西一円に知れ渡っていた。
 向かい側を大倉浜と称し、明治22年東海道本線が開通するまで、この浜で米が降ろされ、酒が積まれた。北側は伏見南浜港と言われて江戸時代は参勤交代の大名の御座船をはじめ、30石船、伏見船の発着場としてわが国でも珍しい川港であった、この一帯はよく映画のロケーションで使われていたが、昨今は滋賀県近江八幡の掘割りにその舞台を奪われているものの、新京都百景の一つに指定されて、日本の原風景をみることができる。

 所在地:京都市伏見区南浜町。
 交通:京阪電車中書島から徒歩7分、近鉄桃山御陵前から約15分。
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