京都府下南丹市の園部町に鎮座する天満宮は菅原道真公が存命中に祭祀されたことから、全国12,000社の天満宮のなかでも最古の天満宮とされています。菅原道真公が存命中に祭祀されたことから生見(いくみ)天満宮と称されています。このお宮さんの境内に厳島神社が別にまつられていて、厳島神社に女性がお参りするとと美人になれるとのこと、参拝すればどんな美人になれるのでしょうか?学問の神さんと美人になれる神様は関係があったのかな?????
京都の河原町荒神口に、通称、清荒神と云はれる神社風の寺院があります。カマドの神として,又、火の用心と災難よけの神として広く信仰されています。この寺院の門を入ったところに大きな絵馬があります。絵馬には荒神と記されていました。この絵が荒神さんなのかは定かではありませんが、頭に6匹、左手に1匹、右手の袖にも1匹の蛇が見うけられます。蛇と人物、厄除けの神さんだとしても、何とも理解しがたい風貌の絵馬ではあります。
同志社の創立者、新島襄が妻の八重さんと暮らされた100年以上まえの住宅です。大河ドラマ八重の桜の人気で、今年中は一般公開されています。御所の東にある邸宅の前は、何回も通りすぎていたのですが、敷居がたかくて入りずらい思いでした。今回は人気にあやかり予約をとって拝見しました。建築物と屋内の家具調度品一式が京都市の有形文化財に指定されています。明治8年(1875)に建築された家屋です。一度解体して再建されていますが、その間取り、台所の設備、集中暖房システム、等、現在でも優れた設備様式だと思われました。どなたにとっても一見の価値があり驚きでした。その後、この建物に同志社英学校が開校されましたのでこの地が同志社発展発祥の原点でもあります。
春光寺の本堂は京都の三重県に接する地域に建っています。寛政八年(1796年)と記された棟札や大棟のに乗っていた鬼瓦の銘によって、1799年には建立されたとされています。この寺院の正面にある蟇股に極彩色で装飾された唐獅子があります。前脚を伸ばしてたてがみを靡かせ、首を下げた姿勢や色彩から、200年ぐらい昔の唐獅子のイメージが捉えやすい彫刻だと思います。架空の動物だとしても、何かブルドックのようなライオンのような?
加茂川に掛かかる丸太町橋の西の端に、女紅場(じよこうば)跡と記された石碑があります。女の紅の場と云う文字の印象から京都は芸者衆の集う町が多い土地柄でもありますので、芸者衆に関係のある場所ぐらいに思っていました。しかし、明治維新の後、京都に日本で初めての公立女学校が開校された地点であるとのこと、石碑には公立女学校濫觴の地と刻まれていました。今、放映中の大河ドラマ八重の桜の主人公、八重さんもこの学校の教員として、礼法などを教えられたようです。
大河原水力発電所は、大正8年(1919年)に京都電燈㈱が木津川大河原に建設しました。イギリス式レンガ造りのレトロな発電所ですが、現役の発電所です。京都電燈㈱は京都蹴上に日本最初の商用発電所を建設してその電力で日本最初の路面電車をはしらせた会社です。蹴上の発電所も、大河原発電所とともに近代工業の産業遺産的な存在でもあります。今、現在の人間の生活を破壊する原発は廃止して、これらの自然エネルギーを利用した水力発電ETCを大切にしたいものです。
明応3年(1494)の室町時代の末に建立された久御山に祀られている神社。このお宮さん(さ栗神社)の本殿蛙股にいくつかの彫刻がなされています。昭和56~57年に彩色の塗り替えが行なわれ、現在は美しい色合いを見せてくれています。この彫物は蟇股の左側に観られる(花と鳥)で、美しく昔の姿を現しています。
京都市の南の方向に位置する久御山に、広大な巨椋池(おぐらいけ)が、かっては存在していました。現在は干拓されて農地開発されています。この巨椋池が豊臣秀吉の築堤工事で四分割されました。その中で最大面積を占めていたのが大池でした。この大池の中州のうえにこの湖の漁業権を総師する山田家があり、水害を避けて石垣のうえに築かれた重厚長大な建築物で、平成22年に国の登録文化財に指定されています。写真はこの家屋の長屋門です。
京都北部丹後半島にある臨済宗の常栖寺の境内に苔むした石の地蔵さんが祀られていました。安政6年(1859)約150年ぐらい前に建立されたもので、当時の世相としては幼児の発育は良くなかったのだと思います。当時の人々が育たなかった幼児の冥福を願って建てられた地蔵さんだと思いますが、地蔵さんと抱かれている子供の姿に、文字どうり安らかな雰囲気を感じます。子安地蔵と記されていました。
京都与謝野にある常栖寺の庭園は1772年頃に作られたとされています。池泉鑑賞式の作庭で江戸時代後期の作庭のようです。当時は手入れや手間のかからない庭が優れた庭とされていたとか?池の中ほどには自然石ですが舟のように見える (舟石) が浮かんで見えました。池の中に築かれた極楽浄土の島え渡るための舟のようです。