武弘・Takehiroの部屋

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昔のフジテレビ(4・最終回)

2024年05月21日 02時02分03秒 | フジテレビ関係

13) 個人的な話になるが、その頃の私は報道の職場が嫌になっていた。入社以来28年もいると飽きも出てくる。N報道局長ともあまり上手くいかないし、50歳になると体力も衰える。前にも言ったが、組合出身の同期生らが非組合系の私よりどんどん上役に就く。不満が溜まっていた。
 ある日、同期のM君(組合出身)が私に「部長になる気はないか」と言ってきた。たぶん、N局長の意向を受けて話してくれたのだろうが、私は「いや、もう報道を離れたい」と答えた。それから間もなくして、私はN局長と人事局長に対し配置転換を強く求めた。“報道人間”を止めて“会社人間”になろう、一介のサラリーマンになろうと思ったのだ。
 さて会社の上層部では、鹿内宏明議長と日枝社長との対立がますます抜き差しならないものになった。相手を公然と批判、非難している話がわれわれの職場にも伝わってくる。もう容易なことではない。
 そうこうする内に、鹿内宏明氏を非難する“怪文書”が出回った。中身はよく覚えていないが、対立は決定的である。 さらに「週刊文春」などに宏明氏を糾弾する記事が出た。社内全体が騒然とした雰囲気になり、皆がいったい何が起きるのだろうかといった疑心暗鬼に囚われた。
 その間、宏明氏は自身の権力基盤を固めるために、グループ内の役員人事異動を強行する。グループ内は宏明派と反宏明派に完全に二分された。 しかし、一介の社員の私はと言えば、めでたく報道を離れ電波企画部という所に異動したので、そんな上層部の激闘など全く関心がなかった。新しい職場で一サラリーマンとして仕事をするだけである。
 そして、7月21日、ついに“クーデター”が起きた。産経新聞の取締役会で、鹿内会長に対し「リーダーとして不適任である」などの理由で解任動議が出され、16対3という圧倒的多数で動議は可決された。 これにより宏明氏は産経新聞の会長をクビになり、この後のFテレビ取締役会が焦点になったが、もう大勢は決まったと悟ったのか、翌22日、宏明氏は記者会見を開き、グループの議長やFテレビ会長などの役職から一切身を退くことを表明した。日枝社長ら反宏明派の完全勝利である。こうして、鹿内家によるFSグループ支配は終わったのである。(続く。2012年2月7日)

 14) 鹿内宏明氏をFSグループから追放して、Fテレビ社内もようやく落ち着きを取り戻した。また、産経新聞の社賓・社友でもある作家の司馬遼太郎氏は「法人がその中に紛れ込んできた私人を排除したのは、あらゆる点で正しかった」と述べ、宏明氏の放逐を高く評価した。
これで、グループ内の紛糾は一応収まったのだが、次に問題になってきたのがFテレビ社屋の移転のことである。新宿・河田町の社屋が狭くて不十分なのは分かっているが、さてどこに移転するのかと皆が関心を持つようになった。 色々な候補地があったようだが、最終的に台場の埋立地に決まった時は驚いた。東京湾に面した何もない所に行くのかと、多くの社員がいぶかったのは無理もない。
東京都は臨海副都心の開発計画を進めていたが、バブル経済が崩壊して撤退する企業が相次いでいたのだ。しかし、Fテレビは当初の予定通り台場への移転を進めることになる。 これは宏明氏がいなくなった後、独裁的な権限を振るう日枝社長の意向であった。誰も日枝さんには逆らえない。 台場が嫌だという社員は多かったが、社長の決定だから仕方がない。私も通勤時間が片道2時間以上かかるから、非常に不満だった。 ビルの着工が始まると、冗談話で「金日成(北朝鮮の国家主席)が、ミサイルを台場に撃ち込んでくれないかな~」と同僚と語り合ったぐらいである。

 埋立地は東京都のものだから、都と賃貸借契約を結ばなければならない。水面下で色々な交渉があったのだろう。 その頃だったか噂があれこれ流れたが、中川一徳氏の著書『メディアの支配者』(講談社文庫)によれば、台場の土地取得をめぐってFテレビが、当時の鈴木俊一知事に1000万円の“闇献金”をしたとはっきり書いてある(下巻の424ページ)。

 もちろん、私のような平社員は何も分からないが、FSグループの幹部は相当な手を打ったのかもしれない。
もう一つ不可解だったのが、総工費1350億円と言われるFテレビ本社ビル建設の受注先が、鹿島建設一社だったことだ。これほどのビッグプロジェクトはふつうジョイントベンチャー(共同企業体)で施工されると思うが、なぜか鹿島だけが受注したのである。
鹿島建設はもちろん日本を代表するゼネコンだから、何でも出来るだろう。しかし、ビル着工の前は複数の建設会社が施工するのではという話がもっぱらだった。 ところが、鹿島一社だけが受注! へえ~と思ったが、昔からFテレビと仲が良かった北野建設(長野市)の社長などは烈火のごとく怒ったという。一部でも受注できると期待していたのが裏切られたからだろう。
この頃、知り合いのKさん(名前は言えない)が私に「日枝社長は鹿島から金を貰っているね」と呟いた。そんなことはもちろん分からないが、Kの言うことが気になって仕方がなかった。 (2012年2月10日)

 15) H社長が鹿島建設から金を貰ったのではという噂話が出たが、果たせるかなその後、某週刊誌が日枝さんの「新居移転」に関する記事を載せた。また、右翼だかの政治団体が連日、台場のFテレビ前で宣伝カーに乗ってうるさく抗議したりした。詳しいことは覚えていないが、日枝社長が練馬区・石神井から杉並区・西荻南の豪邸に移る際、鹿島建設から資金援助を受けたというのである。しかし、そんなことは一社員に分かるわけがない。私はそのまま忘れてしまったが、この話はその後も尾を引いた。だが、もうそんな話は止めよう。だんだん不愉快になってくるだけだ。
Fテレビの新社屋が台場に移るに伴い、通勤時間が2時間以上もかかるので、私は池袋の小さなアパートを借りそこから出勤した。休みになると実家に戻る生活を定年まで4年半続けたが、けっこう変化があって面白かった。他にもそういう社員が何人もいたが、要するに台場は交通が不便な所だったのである。今はだいぶ便利になったが・・・
いろいろ書きたいことはあるが、“個人攻撃”みたいになるのは本意ではない。この連載はひとまず終わるとして、Fテレビと自分のことについては、また別の角度からアプローチしていきたいと思う。今回の連載は、労働組合派VS非組合派の葛藤を軸にまとめたつもりである。(2012年2月17日)


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