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矢嶋武弘・Takehiroの部屋

全ては 必然である 神すなわち自然 自然すなわち神

啓太がゆく ⑩(労働組合騒動)

2025年03月28日 04時25分21秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

季節は6月に入った。しばらくすると、景気が非常に良くて夏のボーナスは過去最高になるという噂が広まった。組合も協議会も会社側と交渉しているが、こんなに早くボーナスアップの話が出てきたことはない。世の中はどうだろうか・・・ 東京オリンピック後の反動で景気は一時 悪化したが、今や完全に回復している。
それどころか、未曽有の“いざなぎ景気”というのが実現し好景気の話に沸き立っていた。「3C」というカー、クーラー、カラーテレビの売れ行きは絶好調になり、この年(昭和42年)、テレビの契約世帯は2000万を突破した。それもあってか、東京の各キー局はカラー放送の実施に全力を挙げるようになり、新聞のテレビ欄には「カラー」という表示が増えてきた。
こうなると世の中の風潮も明るくなり、ミニスカートが大流行したりグループサウンズが人気を博し、ゴーゴー喫茶も大いに賑わった。一方では交通事故の死者数が昭和30年代から急速に増加したり、「イタイイタイ病」や「四日市ぜんそく」などの公害問題が表面化してきたが、社会全体が活気にあふれ、なんとなく浮き浮きした雰囲気になっていたのである。

こうした中で、啓太はようやく元気を取り戻したのか、職場の同僚たちとも親交を深めていった。特にKYODOテレビから移ってきた社員とは仲が良い。とりわけ同期の坂井則夫とはウマが合ったのか、よく飲みに行ったり雑談を交わしていた。ある日、坂井が啓太に話しかけてきた。
「夏休みになったら、立山(たてやま)にでも登らないか」
「えっ、立山?」
「うん、あの北アルプスの立山さ。曽我さんがぜひ行こうと言ってるんだ。ほかに女の子も誘ってみるつもりだよ。たまには山に登って英気を養うのもいいだろう。どう、行かない?」
急な誘いに啓太は戸惑ったが、翌日、いちおう行くと返事をしておいた。そのうち、夏のボーナス回答が会社側から出され、5カ月分という過去最高のものになった。ほとんどの社員が喜んだのは当然だが、木内典子らごく少数の女性たちは複雑な気持である。彼女らは近いうちに退職しなければならない。
ある日、啓太は社内で顔を合わせた典子に尋ねた。
「ドキュメンタリーは何をするか決まったの?」
「ええ、結局、“世界の子供たち”をやることになりました。本当は“国境”の方をやりたかったのですが」
「どちらの方へ行くの?」
「フランスとイタリアです」
それを聞いて啓太は羨ましくなった。
「いいな~、まるで兼高かおるみたいだね」

すると、典子は微笑んだまま無言だった。初めての海外取材に満足しているのだろう。兼高(かねたか)かおるというのは、TOKYO放送テレビが毎週放送している「世界の旅」シリーズの女性メインキャスターで、当時最も人気のあるタレントだった。兼高は番組のプロデューサーやディレクターなども兼ねていたので、若いテレビ局員、特に女性にとっては憧れの的だったと言える。
啓太は典子を励まして気持よく別れたが、すぐに自分の夏休みの予定を考え始めた。というのは、立山登山のほかに、坂井が沖縄へ一緒に旅行しようと持ちかけてきたからだ。沖縄旅行となると、そう簡単にはいかない。沖縄はそのころアメリカの軍政下にあり、行くとなるといろいろ準備が大変なのだ。
「行けるかな~、あまり無理をしない方がいいと思うけど」
「大丈夫、大丈夫。先輩たちにもう相談してるよ」
啓太が疑問を投げかけると、坂井は自信ありげに平然と答えた。彼は啓太と違って、キメ細かい事務的なことを素早くこなす能力を持っている。その点、おおざっぱで不器用な啓太とはまったく正反対なので、彼は諸事万端 坂井に任せるしかないと思った。
そして7月、啓太は坂井と先輩の曽我、それに庶務係の今井陽子の4人で立山に登った。初めての3000メートル級の山で大いに歩いたから、啓太はだいぶ疲れたが登山の面白さを体験できたのである。立山からの眺望の美しさ、それに黒部ダムなどの景色がとても印象深かった。

 

(11)沖縄旅行

やがて、啓太と坂井は沖縄行きの準備に追われるようになった。沖縄はアメリカの軍政下にあるから、パスポートはもちろん検疫証明書などが要る。予防注射を打ったり、円をドルに替えるなどの手続きを進めた。そして、2人は8月中旬に夏休みを取ることに決めた。
「準備はどうだ? 手伝うことがあったら言ってくれ」
先輩たちがいろいろ声をかけてくれる。2人が沖縄へ行くことはもう職場の話題にもなっていたのだ。啓太はありがたいと思い、それが励みになった。すると、D先輩が声をかけてきた。
「せっかく沖縄に行くのだから、米軍の嘉手納(かでな)基地でも見てこいよ」
「えっ、嘉手納基地にも入れるんですか?」
「君たちにその気があるなら、僕がいろいろ手を打ってやるよ」
啓太と坂井はもちろんそれに応じた。D先輩はその後、いくつかのルートに問い合わせをしたらしく、結局、KYODO通信の某デスクを通じて2人の嘉手納基地訪問の許可を取ったのである。
「ありがとうございます。必ず嘉手納基地に行ってきます」
啓太と坂井が礼を言うと、D先輩が聞いてきた。
「君たちは英語は大丈夫なの?」
「いや、なんとかなるでしょう。ブロークン・イングリッシュですよ!」
啓太が答えると3人は声を立てて笑った。
この当時は沖縄の本土復帰、つまり祖国・日本への復帰を目指す動きが急速に強くなり、沖縄への関心が高まっていたのだ。

報道にもOKINAWAテレビから出向してきたY先輩がいる。彼も啓太たちに、沖縄へ行ったらRYUKYU銀行に勤める兄に面会するよう勧めた。
「きっと忙しくなるので、会えるか分かりませんよ」
啓太はそう答えたが、できれば那覇に住むY先輩の兄にも会ってみようかと思った。また、仕事で世話になった川崎松之助が、伊江島などの離島を訪ねるのも良いと勧めた。川崎は学生時代に友人と沖縄へ行ったことがある。彼はそのころ“民族派”の学生だったからか、沖縄の本土復帰に強い関心を持っていたのだ。
このほか、英語に堪能なS先輩が、嘉手納基地宛ての紹介状などをタイプライターで英文に認めてくれた。こうして多くの先輩や同僚らに助けられ、啓太と坂井は沖縄旅行の準備を整えたのである。

そして、8月中旬の某日、2人は東京の晴海(はるみ)埠頭から沖縄行きの船に乗り込んだ。それは大きな貨客船のようであったが、船内は乗客で一杯である。あまり金を持っていない2人は最も安い船室に入ったが、そこは雑魚寝(ざこね)の大部屋で、荷物をたくさん持った人たちが大勢いた。
午前中に晴海を出港し、丸2日間の船旅である。かなり窮屈な感じがしたが、啓太は時おりデッキに出たり、坂井とよくしゃべったりしたのでそれほど退屈ではなかった。しかし、沖縄に近づくころ、台風の影響なのか船が大きく揺れたりしたので、船酔いをする人が続出した。中には嘔吐をする人もおり、坂井も相当に酔っていた。
啓太は少し気分が悪くなった程度でなんとか我慢したが、48時間ぐらいかかって那覇港に着いた時は、正直言って疲労を感じた。こうして沖縄入りを果たしたのだが、そこは若い2人である。港で少し休むと、すぐに元気を回復したようだ。午後は早速“南部戦跡巡り”である。
バスに乗って行く途中は、一面のサトウキビ畑だ。
「すごいな、サトウキビだらけだね」
坂井が感嘆の声を上げた。
「うん、別世界に来たみたいだね」
啓太が相槌を打ったが、大量のサトウキビは風に揺れてザア~、ザア~と音を立てて波打っている。輝くような陽光の下で、日本本土では見られないような景観に啓太はただ呆然と見とれていた。サトウキビ畑はどこまでも広がっているように見える・・・ やがて、バスは摩文仁(まぶに)の丘に着いた。
いろいろな慰霊碑を巡っていると、悲惨だった「沖縄戦」の過去が胸に去来する。啓太と坂井はこのあと、ひめゆりの塔や健児の塔などを見て回ったが、この日は慰霊と平和への祈りに終始したような感じがした。そして、那覇市内の予約した旅館に着くと、さすがに疲れたのか2人はビールなどを飲んですぐに床に就いたのである。(参考映像・最近の摩文仁の丘→ https://www.youtube.com/watch?v=U6q-WcjfKTk

翌日、啓太と坂井はさっそく首里城や守礼門などの観光に出かけた。沖縄の独特な建築物には目を見張るものがあり、2人は十分にその鑑賞を楽しんだのである。午後になると、Y先輩の兄が那覇市内に住んでいるので、とにかく会ってみることにした。Yから前もって連絡が入っていたので、2人は兄の実家を訪れた。兄夫妻が愛想よく迎えてくれる。
「Yは元気にやっていますか? いろいろお世話になります」
弱輩の啓太と坂井に対して、夫妻はとても丁寧な言葉遣いをした。2人は気持よくFUJIテレビの職場のことなどを話し、帰京したら兄夫妻が元気なことをYに伝えると語った。夫妻は感謝の意を込めて、別れ際に沖縄の可愛い郷土人形を2人に贈ったのである。
遠く離れた地で、同じ日本人同士が親交を温めるのは嬉しいことだ。2人はすっかり和やかな気分になり、夫妻との別れを惜しんだ。このあと、那覇で有名な『国際通り』の方へ向かう。
「啓ちゃん、ここで何かお土産でも買おうか」
「いいね、金がなくなったら買えなくなるからね。ハッハッハッハ」
坂井の一言に啓太が笑って応じた。2人はいろいろ物色していたが、ある織物店で啓太は足を留めた。彼は母の久乃に何かプレゼントしようと思ったのだ。そうは言っても、織物や衣料のことはよく分からない。すると“琉球かすり”の品々が目に留まった。分からないながらも、啓太は薄い青色の反物を選んで購入した。なにか涼しそうな感じがしたのである。
それに釣られたのか、坂井も別の琉球かすりを選んで買った。彼も母親にプレゼントするのだという。こうして買い物が終わり、2人は国際通りなどを散策しながら旅館へと向かった。もう夕方だが“南国”の日の入りは遅い。旅館に着いたが、彼らは一休みしてまた街へ出かけた。
とある店に入る。今夜はゆっくりと沖縄料理を楽しもう。2人はステーキなどを注文し、地元のオリオンビールやウィスキーを飲んだ。
「今日は楽しかったね。Y先輩の兄さんにも会えてよかった」
坂井が上気した表情で話すので、啓太はおかしくなって答えた。
「ノリちゃんはすぐ赤くなるな。エネルギーがいっぱいという感じだよ。このあと“アレ”をしにいかなくちゃ」
「うん、アレか。元気を出して行こう!」
2人は顔を見合わせて笑った。腹いっぱいに食べたり飲んだりしたあと、彼らは料理店を出た。南国の暖かい空気に包まれ、若い2人のエネルギーははち切れそうだ。まるで新宿の歌舞伎町を歩くように、啓太と坂井の姿は夜の歓楽街へと消えていった。

翌朝、2人は沖縄本島の北部へ行くためバスに乗り込んだ。沖縄は鉄道が通っていないので、移動する場合はほとんどバスである。車窓から見る景観は素晴らしいもので、特に真っ青な海の眺望は抜群だ。
こんな美しいところで、かつて日米両軍が血みどろの戦闘を繰り広げたとは想像もつかない。平和のありがたさをつくづく感じるのだが、途中、アメリカ軍の基地施設などが目に入ると、今でも戦争が行われていることに啓太は思いをめぐらした。特に、沖縄はベトナム戦争の重要な基地になっているのだ。
あとで嘉手納基地を訪問する予定だが、そういうことは暫らく忘れて2人は車窓からの眺めを楽しんでいた。バスはやがて名護(なご)市に到着、そこで昼食を取ったあと2人は市内観光や本部(もとぶ)半島めぐりに出かけた。こうして、その日はほとんど観光に明け暮れたが、旅館に着くと坂井が尋ねてきた。
「啓ちゃん、明日はどうする?」
「どうするって・・・とにかく、飲みに行こうよ。そこで相談だ」
啓太の返事で、2人は一休みしたあと街中へと出かけた。名護は那覇市よりずっと地味だが、飲食店や酒場はけっこうある。2人は手頃な感じの居酒屋に入った。
「僕は明日、伊江島へ行こうと思うんだ。川崎さんが勧めてくれたからね」
啓太がこう切り出すと、坂井はそれには興味がないようですぐに答えた。
「明日は啓ちゃんと別行動だね。僕は名護から北の方を回ってみようと思う。たまには別行動もいいじゃないか」
坂井の返事に啓太がうなづいた。いつも一緒というのも能がない。別れ別れになって、お互いの体験をあとで話し合うのもいいだろう。こうして翌日の行動予定が決まり、2人はまた飲んだり食べたりしたが、やがてまた“アレ”をしようということで店を出た。倫理的、道義的には問題だということは知っていたが、若いエネルギーを持て余していたのだ。2人は夜の闇の中へと消えて行った。
翌日、啓太は坂井と別れて、名護からバスで本部町へ向かった。そして、港から観光船に乗り伊江島に着いたあと、城山(ぐすくやま)などを見て回った。島の半分近くだろうか、米軍の基地施設になっており、旧日本軍の飛行場も今やアメリカのものである。沖縄戦最大の激戦地の1つであり、島には多くの戦跡が残っていた。(参考映像・最近の伊江島→ https://www.youtube.com/watch?v=Asv-NdkXAXM
啓太はできるだけそれらを見て回ったが、帰りにアメリカの有名な従軍記者であったアーニー・パイルの記念碑にも参拝した。彼も伊江島の戦場で戦死したのである。こうして島の観光が終わり、啓太はまた船に乗って本部港へと帰る。夕暮れ間近の海の景色は実に美しい。うっとりと見とれていると、ふいに後ろから声がかかった。
見ると、眼鏡をかけた小柄な色の浅黒い青年がそこに立っている。

「伊江島はどうでしたか?」
その青年は親しげに語りかけてきた。啓太が島の観光の感想などを話すと、彼も相槌を打ちながら沖縄の海の美しさ、サンゴ礁の素晴らしさなどを語った。聞いてみると、青年は神戸市から来たという。啓太も神戸には行ったことがあるので、北野の異人館の思い出話などをして会話を楽しんでいた。
すると、彼は突然 話題を変えた。
「吉永ゆかりって綺麗な人だな~、とても美人だね。どう? そう思わない?」
唐突に人気ナンバーワンの若手女優・吉永ゆかりの話をするから、啓太は面食らった。
「うん、まあ・・・」
答えるのに困っていると、青年がさらに続ける。
「美しいな~、彼女は。吉永ゆかりって本当に美人だよ。ああいう人はいないね」
そう言って、彼はまだ二言、三言話していたが、やがて啓太に別れを告げた。
「じゃあ、気をつけて旅行してね。僕は失礼するよ」
青年は目で合図すると、さっさとデッキから離れていった。なんだ、あれは・・・吉永ゆかりの話をしたかったのか。自分勝手な奴だなと思ったが、まるで啓太をそそのかすみたいではないか。以前、ドラマ制作で吉永と一緒だったが、そそのかされたって彼女は“雲の上”の人、高嶺の花だ。俺には関係ないなどと思っているうちに、船は本部港に到着した。
あの青年は早々と船を降りて街中へと去っていく。啓太もカメラや手荷物を持って降りると、最終のバスに乗り込んで名護へと向かった。終着の停留所に着くと旅館へ直行する。すると坂井はもう部屋で一休みしていた。
「どうだった? どこへ行ったの?」
「うん、北の方へ行ったり、近くのビーチで遊んだりしたよ。お陰でずいぶん黒くなったかな」
坂井が笑いながら答えた。もともと日焼けしている彼は、いっそう“黒光り”した感じだ。啓太も伊江島の模様などを手短かに話すと、2人はまた街中へと繰り出した。そして、昨夜立ち寄った居酒屋にまた入る。店の主人は啓太たちの顔を覚えていたようで、愛想よく迎え入れてくれた。その辺が地方の居酒屋は親しみがあって良い。
2人は酒の勢いで話が弾み、相当に酔ってしまった。また、正直言ってかなり疲れていたため、その日の“夜遊び”は止めることにした。
「今夜はまっすぐ帰って眠るか・・・遊びは明日にしようよ」
「そうだな、体力温存だ」
啓太の話に則夫(以下、坂井のことを名前で呼ぶ)も応じ、2人は顔を見合わせて笑った。

翌日、啓太と則夫は名護からバスでアメリカ空軍の嘉手納基地へと向かった。午後遅く基地に入る予定だったので、時間は十分にある。途中で金武湾(きんわん)の景色を眺めようと一時下車したり、昼食をゆっくりとったりした。
沖縄の海の景観は素晴らしいものだが、米軍の施設や居住地などがしばしば目に留まる。沖縄はアメリカの軍政下にあるから仕方がないが、啓太はやや複雑な気持になってきた。
「いい所は、ほとんどアメリカ軍に取られているようだね」
啓太が則夫に話しかけると、彼は黙ってうなずいた。2人はまたバスに乗り込んで嘉手納基地へと向かう。山すその曲がりくねった道を通り過ぎると、いよいよ基地に近づいてきた。観光気分とは違うので、啓太は少し緊張してくる。
やがてバスは基地の近くに止まり、2人は歩いてゲート前に向かった。啓太が英文の紹介状を警備員に見せると2人は中へ通され、しばらくするとジープが迎えに来た。そして基地内の施設に入ると、アポを取った広報担当の将校・P少佐がにこやかに出迎えてくれた。
こうして啓太と則夫はP氏の説明を聞いたり、慣れない英語を使っていろいろ質問を続けた。30分あまりたって、2人はP氏と一緒にジープに乗り込み、極東最大の空軍基地を見て回った。カメラ撮影は禁止である。ベトナム戦争の真っ最中だからか、あちこちに『軍用機』が見える。啓太は軍事にくわしくないが、B-52のような機影が何機も見えた。
B-52はベトナム戦争の最前線で使われている大型爆撃機だ。その絨毯(じゅうたん)爆撃はもの凄い破壊力があり、敵から“死の鳥”と恐れられていた。B-52の空爆は前年(1966年)から始まったが、今後ますます拡大する様相である。 嘉手納基地のごく一部しか見なかったが、啓太は戦争の“臭い”を実感したように意識した。
P氏の案内はここまでで、2人は丁寧にお礼を述べて基地を後にした。このあと、宿泊先のコザ市(今の沖縄市)へと向かう。
「嘉手納基地はやっぱり凄いね。沖縄という場所だからできたのだと思うよ」
則夫が半ば感嘆したように言ったが、啓太は聞き流していた。彼は米軍基地の存在にどうしても疑問を覚える。沖縄がアメリカの軍政下にあるとはいえ、いつまでもこういう状態が続くのだろうか。仮に本土復帰になったら、沖縄の基地は変わるのだろうか・・・ そんなことを啓太は考えていたが、あまり考えても仕方のないことだと思う。ぼんやりしているうちにバスはコザ市に着き、啓太と則夫は予約した安ホテルに直行した。
それから、休む間もなく2人は街に出かけた。コザ市は米軍のためにできたようなもので、アメリカの軍人が大勢行き来している。いたる所にアメリカ兵向けのショップやレストラン、バーなどが建ち並んでいるのだ。啓太たちは手ごろなレストランに入った。
2人は腹が減っていたので、ステーキを注文し大盛りのライスを平らげた。そして、いつものようにビールやウィスキーの水割りなどを飲んだ。
「啓ちゃん、どう? 今夜は“アレ”をしにいこうよ」
「うん、もちろんさ。昨日は休んだものね」
2人は示し合わせたように店を出ると、夜の歓楽街へと向かったのである。

そして、夜遊びが終わると、啓太と則夫は満足した気分で安ホテルへと歩いた。則夫は今夜はもう十分だと思っていたが、啓太は途中でどうしても“寄り道”をしたくなった。というのは、アメリカ軍兵士が集まるバーへ行きたくなったのだ。
「則ちゃん、僕はもう一軒寄ってみるよ。そんなに時間はかけないから」
「そうか、じゃあ、ホテルで待ってるよ」
則夫が苦笑いを浮かべながら答えたので、啓太は最寄りのスナックバーへすぐに入った。そこは主に米兵たちが利用する所で、その夜は数人の姿が見て取れた。意外に少ない。カウンターには1人の黒人兵が座っていたが、啓太は一席 空けてその横に腰を下ろした。
その黒人兵は物静かにウィスキーをたしなんでいる。見れば30歳を少し越えたぐらいだろうか、小太りでそれほど大柄ではない。啓太はバーボンウィスキーの水割りを注文し少しずつ飲み始めた。店内にはカントリー・ミュージックが流れている。そのうち、彼は無性に黒人兵に話しかけてみたくなった。
「エクスキューズ・ミー・・・」
ついに啓太は下手なブロークン・イングリッシュで質問を始めた。その黒人兵は、顔色一つ変えずに静かに応対する。どれだけ質問しただろうか・・・出身地や家族、職業、米軍の所属部隊、ベトナム戦争をどう思っているかなど、思いついたことを矢継ぎ早に聞いていった。
黒人兵は相変わらず物静かに答える。そのうち、啓太は質問することがなくなり、2人の会話が途切れた。しばらくして、啓太は最も気になることを聞いてみた。
「いつごろ、ベトナムへ行く予定ですか?」
「もうすぐ行くよ」
そう答ると、彼は店員を呼んである曲をリクエストした。なんと言ったか聞き取れない。啓太が押し黙っていると、やがて店の奥からその曲が流れてくる。それは『ツィゴイネルワイゼン』だった。(音楽・参考https://www.youtube.com/watch?v=oFCbl4NdEJc
意外だ。こういう曲をリクエストするなんて・・・啓太はそう思ったが、なにも言わずに聞き入った。黒人兵も黙って聴いている。哀調を帯びた“ジプシー”のメロデイーが店内に流れる。啓太はなにか酔いが醒めたように感じた。彼の気持が伝わってくるようだ。
やがて『ツィゴイネルワイゼン』が終わると、啓太は黒人兵に握手を求めた。
「グッバイ、グッドラック」
そう言って彼は席を立つと、手を振りながら店の外へ出た。街中はまだアメリカ兵が行き来し賑わっている。しかし、啓太の気持は冷めていた。あの黒人兵はベトナムへ行って無事に帰れるだろうか。戦地でどんな目に遭うのだろうか。まさか戦死はしないだろう・・・ いろいろな想いが去来してくるが、彼は則夫が待つ安ホテルへと歩を速めた。

翌朝、啓太と則夫はゆっくりと目を覚ました。今日は1日、時間に余裕があるのだ。2人は朝食を済ますと、コザからバスで南へと向かった。啓太は寄り道をしても那覇へそのまま行きたかったが、則夫はどうしても“城跡”を見たいと言う。
「どこを見るの?」
「うん、中城城跡(なかぐすくじょうあと)というのがあるんだ。沖縄では有名な所だよ」
「そうか、時間がかかりそうだね。じゃあ、僕が土産物を買っておくよ。サンゴのタイピンなどでいいかな」
「うん、啓ちゃんに任せるよ」
「君は城跡めぐりが好きだね」
そう言って啓太は笑ったが、則夫は古城や城跡を見て回るのが大好きだったのだ。途中で彼が下車すると、啓太はそのままバスで南へと向かった。時間にゆとりがあるので彼は宜野湾市(ぎのわんし)で降りると、東シナ海に面した美しいビーチなどを見て楽しんだ。
そして、午後遅く啓太は那覇市内の旅館に着いたが、すぐに「国際通り」へショッピングに出かけた。世話になった会社の先輩たちに土産物を買うためだ。商店街を歩いていると、沖縄エイサーだろうかリズミカルな音楽が聞こえてくる。沖縄は海といい音楽といい、本土とは違った格別の趣きがあると思うのだ。
啓太はある店に入ると、サンゴのネクタイピンなどを物色した。そして手頃な値段のものを幾つも買ったが、その中には自分や則夫の分もある。彼はまとめてドル紙幣で支払うと、土産物をバッグの中に入れた。これで旅行のスケジュールはだいたい終わったか・・・
旅館に戻ってくつろいでいると、則夫がようやく帰ってきた。
「良かったよ、中城城跡は。沖縄の城は素晴らしいね。城壁が見事だったよ」
彼はとても感激したように話し始める。啓太は城にあまり関心がないので黙って聞いていたが、土産物のネクタイピンを見せたあと則夫に語りかけた。
「ねえ、今夜はどうする? 沖縄の最後の晩だからね」
すると、彼はしばらく考えたあと啓太にこう言った。
「今夜ぐらいは静かに過ごそうよ。最後の晩は“聖なる夜”にしたいね」
「えっ、聖なる夜ってなにもしないの?」
「うん、僕らは遊びすぎた。最後ぐらいは神聖にして送ろう」
これには啓太は驚いた。彼は最後の晩だからこそ、思いっきり遊ぼうと思っていたのだ。
「じゃあ、アレもしないで静かにしていようというのか?」
「うん、そうだよ。それが嫌なら、啓ちゃん独りで遊びに行けばいいじゃないか。僕は行かないよ」
啓太はどう答えていいか分からなかった。彼は“歓楽街”で遊ぶつもりでいたので返事に窮してしまったのだ。

「それじゃ、僕も行かないよ。1人で行ってもつまらないからね」
しばらくして啓太はしぶしぶ答えたが、まだ割り切れない気持だった。則夫はいつも「セックスはスポーツだ」なんて言っていたくせに、急に変われば変わるものだ。沖縄へ来て、最後の晩ぐらいは“神妙”にしていたかったのだろうか。啓太はそう推察し、夜食を取りながら則夫と静かな一時を過ごした。そして、遊びすぎた自分への反省も含めて・・・(本当に反省したのかしら?)
明くる日、2人は那覇空港からJALの飛行機に搭乗し東京へと向かった。沖縄に来る時は晴海埠頭から船で丸2日もかかったが、今度は数時間の空の旅である。初めての飛行機の搭乗に啓太は胸がときめいた。離陸してしばらくすると、眼下に沖縄の美しい全景が広がる。
「きれいな眺めだね」
啓太がそう言うと則夫が軽くうなずいたが、彼も飛行機は初めてだ。啓太は3年ほど前、若手女優の吉永ゆかりとJALの“テスト飛行”に乗るチャンスがあったのに、仕事を理由に意固地にもそれを断ったことを思い出した。あの時は残念なことをしたが、今はこうして素晴らしいフライトを楽しんでいる。沖縄へ来て本当によかったと思う。彼は旅の疲れを癒すように座席で長い間まどろんでいた。

東京に帰って間もなく、啓太は木内典子のことが気になって彼女にすぐに会いたいと思った。しかし、典子はフランスとイタリアの取材からまだ戻っていない。ドキュメンタリー『世界の子供たち』の制作に取り組んでいるのだが、取材が予定より少し遅れているようだ。
一方、沖縄で買った土産物はみんなに喜ばれた。母の久乃は琉球かすりの反物に満足したようだし、先輩たちもサンゴのネクタイピンなどに好感を持ったらしい。則夫も母親が琉球かすりに喜んでいたと話していた。
そうこうするうちに、木内典子がドキュメンタリーの取材を終えて帰ってきた。啓太は典子とじっくり話し合いたいと思ったが、なにせ放送日が切迫しているので彼女は編集などでそれどころではない。「フランス編」が終わったら話し合うことになった。
そして、8月末のある日、人事部の女性・Sさんが啓太のところに来てこう言った。
「山本さんは沖縄へ行ったんですってね。ぜひ、社内報に記事を書いてください」
「それは坂井君が書いた方がいいでしょう。だって、彼が行こうと僕を誘ったんだもの」
啓太はそう答えたが、Sさんはどうしても書いてくれと言う。社内報に沖縄の話が出るのはもちろん悪い気はしない。初めは則夫に振ろうと思ったが、結局、彼はこころよく引き受けることになった。

 

(12)外勤記者へ

そして、9月に入って間もなく、石浜部長が啓太を呼び出した。その瞬間、彼は人事異動の内示だなと直感した。
「山本、君は警視庁クラブへ行ってくれ」
案の定、待ちに待った異動の内示だ! 彼は胸の高鳴りを抑えるようにして答えた。
「分かりました。ありがとうございます」
啓太は簡潔に応答すると、石浜に一礼して席を立った。ようやく俺も記者として活動できる日がきた。こんなに嬉しいことはない。彼は喜びをこらえるようにして自分の席に戻ったのである。

啓太が警視庁記者クラブへの異動内示を受けたことで、則夫もそれを喜んでくれた。彼はKYODOテレビからの移籍組だったので、外勤記者への異動は少し遅れるらしい。
「よかったね。僕も啓ちゃんのあとに続くよ」
そう言って則夫は笑ったが、仕事が終わると2人はすぐに歌舞伎町のスナックバーへ飲みに行った。そこは“新宿ゴールデン街”と言うが、最近、よく連れ立って飲みに行くところだ。啓太と則夫は沖縄旅行のことがまだ忘れられず、その思い出話に花が咲いた。
やがて則夫が話題を変えて、木内典子のことを話し出した。
「木内さんはもうすぐ会社を辞めるんだってね。惜しい人がいなくなるな」
「うん、僕は彼女に会って話したいことがあるけど、今はドキュメンタリーの放送準備で忙しいそうだ。もうすぐ会うつもりだよ」
啓太はそう答えたが、典子の顔が脳裏に浮かんできて少し複雑な気持になった。彼女は9月一杯で退職するという。その後は婦人雑誌の記者になることが決まっているが、女子25歳定年制の問題などがまた心をよぎって、複雑な気持になったのだ。2人はゴールデン街でもう1軒の店に立ち寄ったあと別れたが、啓太は典子のことが気になって仕方がなかった。
2日後、彼は社内報の原稿を人事部のSさんに渡した。写真も頼まれていたので、摩文仁の丘の洞窟の前で写った自分の写真を添えた。これは「健児の塔」の近くで則夫に撮ってもらったものである。
その翌日、典子が取材した『世界の子供たち』のフランス編が放送され啓太はもちろん見たが、なかなか面白い内容だった。そして、1週間後にはイタリア編が放送されることになり、少し余裕ができたのか、彼女の方から啓太に内線電話で連絡が入った。
「山本さん、今夜なら少し時間が空いています。どうですか?」
「もちろんOKですよ。じゃあ、仕事が終わったらN喫茶店に来てください」
啓太は喜んで典子に答え、夕方のニュースが終わると曙橋のN喫茶店で彼女を待ち受けた。ここはFUJIの社員がほとんど来ない店なので、気兼ねをせずに話ができる。前にも典子と2人だけで会った所だ。啓太はコーヒーを注文するとゆったりした気分でシートに腰を下ろしていた。
やがて、典子が姿を現わした。彼女は明るい水色のワンピースを着ていて、どこか“あか抜け”した感じがする。ヨーロッパへ行ったせいなのだろうか・・・それは分からないが、典子は以前よりもすっきりした風貌に見える。
「お待たせしました。山本さん、沖縄へ行ったんですってね。どうでした?」
典子は挨拶代わりに沖縄の話を切り出し笑顔を浮かべている。真正面に座った彼女に見つめられ、啓太は気圧される感じがした。沖縄の思い出をいくつか手短かに話したあと、話題はドキュメンタリーのことなどに移った。典子が体験談を語ったあとで、また話題を変えた。
「警視庁クラブに出るそうでよかったですね。事件記者ですか」
「うん、ありがとう。ようやく外に出られるんだ」

「内勤の仕事が長かったですね。山本さんとご一緒だったことは忘れませんわ」
「僕もあなたと一緒だったことは忘れませんよ」
そう言うと、啓太は典子との過去の付き合いをおぼろげに思い出していた。3年半前、報道の内勤に配属された時、彼は典子から多くのことを学んだ。職場で2年先輩の彼女は、内勤業務やAD、FDなどの仕事について逐一 啓太に説明してくれたのだ。
ADはアシスタント・ディレクターで、PD(プログラム・ディレクター)の横でフィルムやテロップなどの操作やオンエア・送り出しの作業を行なう。啓太はいつも典子の動作を参考にしながら仕事をしていた。
細かいことだが、フィルムスタートボタンを押す時、彼ははじめ人差し指でボタンを押していたが、彼女が親指で押すのを見てそのように改めた。親指の方が人差し指より安定感があると知ったからだ。
また、ゲストなどの送迎用の車両伝票は、典子と同じように啓太も車両デスクに届けるようになった。彼ははじめ、そんな庶務的な仕事は女性がやるものと決め込んでいたが、彼女に言われてしぶしぶ担当するようになったのだ。「男女平等」とはそういうことだろう。
このように、典子の“教育”によって啓太は職場に馴染んでいったが、先輩のデスクたちはそれを当然と見ていたようだ。そればかりではない。「木内さんを見習え」とか「木内さんに聞いてみろ」などと、事あるごとに啓太は言われたのを覚えている。それほど彼女は職場の先輩格だったのだ。
「なにを物思いにふけっているのですか?」
啓太が思いを巡らせているので、典子が聞いてきた。
「いや、以前のことを・・・」
そう言いながら、啓太はふと一昨年の晩秋のころ、典子と新宿の花園神社へ行ったことを思い出した。それは酉の市(とりのいち)で、大先輩のOさんに連れていってもらったのだ。2人のことをOさんが気にかけていたのか? 啓太と典子は露店で綿菓子や水あめを買ったりして楽しんだのだ。
「花園神社の酉の市は面白かったね」
「まあ、そんなことを思い出したの。おかしい人・・・」
啓太の一言に典子は思わず吹き出した。彼女にとっても楽しい思い出だったのだろうか。
「そうだ、『女性の未来社』で働くのは10月からなの?」
啓太が話題を変えて聞くと、典子がすぐに答えた。
「ええ、そうです。もうすぐ退職届を出しますよ。『世界の子供たち』のイタリア編が終わってからです。山本さんが警視庁へ出るのと同じころになりましたね。2人同時に新しいスタートですか」

「そうだね、僕の方が少し早いかも。でも、残念だな~。木内さんがFUJIテレビを離れるなんて、本当に惜しいと思うよ。これは何もかも、女子25歳定年制のせいか。いや、女子と言ってはまずいかな。“女性25歳定年制”と言おう」
「いえ、女性でも女子でも構いません。男も男性とか男子とか言うじゃありませんか。それより、最後に言いたいのは、組合の解散を陣内社長に自ら申し入れた人たちは許せないし、組合を脱退した人が大勢いたことは残念でなりません! それだけは言っておきます」
典子が強い口調で言ったことに、啓太はグサリと胸を刺される思いがした。最も後ろめたい点を突かれた感じだ。啓太が返す言葉がなく黙っていると、彼女はやや同情するかのような口ぶりで続けた。
「山本さんは石浜部長との関係がありますからね。それはよく分かります」
今度は典子が黙って俯いてしまった。啓太はなんと答えていいか分からず、しばらくしてようやく口を開いた。
「何を言っても弁解になってしまうね。だから“言い訳”はしたくない。あなたが『残念だ』と言ったことを胸に仕舞っておくよ。ずっと仕舞っておくつもりだ」
すると、典子は顔を上げて笑いながら言った。
「いいんです、そんな仕舞っておくことではありません。私は山本さんと一緒に仕事ができてとても楽しかったですよ。本当です。それだけは胸に仕舞っておこうかしら、ホッホッホッホ」
彼女の笑い声に啓太は安堵の思いがした。たとえお世辞であっても、気まずい雰囲気になりそうなところを救ってくれたのだ。
「ありがとう。僕も木内さんにはずいぶん助けられ教えられた。これからも宜しくね。雑誌記者の体験談や面白い話があったら、どんどん教えてほしい。僕も駆け出しの事件記者になるけど、なにか役に立つことがあればいつでも知らせるよ。同じ釜の飯を食べた仲だものね」
啓太は組合問題での後ろめたい気持がだんだん和らいできた。2人はなおもテレビや雑誌などの話を続けたが、やがてN喫茶店を出ることにした。外へ出ると、夏の終わりを感じさせるような少し涼しい風が2人を包む。啓太は典子に握手を求めた。
「じゃあ、お元気で。必ずまた会おうね」
「ええ、山本さんもお元気で。またお会いしましょう」
「水色のワンピース、とても似合うよ。本当に」
「まあ・・・」
滅多に言わないようなことを啓太が口に出したので、典子は面食らったような表情を見せた・・・が、彼女は嬉しそうである。2人は握手を交わすとそれぞれの帰路についた。頬をなでる夜風に、啓太はすぐ帰る気がしなくなかった。なにか爽やかな感じがしてくるのだ。彼はしばらく夜道を散歩し、典子との和やかな会合を心に刻んだ。

それから数日して、正式な人事異動の発令があった。啓太はすぐに警視庁記者クラブのキャップである草刈俊平に電話を入れ、これから配下になるのでよろしくと挨拶した。電話をかけたのは、実際の異動が勤務日程の都合で少し遅れるからだ。その直後に、厚生省クラブに行っている同期の大橋剛から電話が入った。
「山本、よかったね、ようやく外へ出られるんだ。頑張ってな。時間があったら霞が関で会おうよ」
短い言葉だったが、啓太には同期の激励が嬉しかった。そして、急に身辺がせわしくなった感じがする。彼は草刈からの指示を受け社会担当デスクのところへ行って、警視庁の刑事部捜査1課と3課関係の資料や新聞の切り抜きに目を通した。1課は殺人や強盗、放火など粗暴犯罪の資料であり、3課は窃盗や遺失物、盗品などに関するものである。
それらをざっと読むと、最近の事件や事故のあらましがだいたい分かったが、どうもあまりピンとこない。それは頭の中で分かっているだけで、自分が記事にしたり取材したわけではないからだろう。先のことを考えるとどうも不安になってくる。しかし、取り越し苦労をしても仕方がないと思う。
そんな時、社内食堂で昼食をとったあと地下1階を歩いていると、同期のアナウンサーの石黒達也とばったり出会った。啓太は労働組合を脱退してから、彼とはほとんど口を利いていない。しかし、石黒が間もなく静岡のSUNPU(駿府)テレビへ出向することになったので、気になって仕方がない。
「や~、もうすぐ静岡へ行くんだって?」
啓太がつとめて気軽な調子で声をかけると、石黒も割り切った感じで答えた。
「そうさ、SUNPUテレビへ行くよ。開局準備室というところさ」
「準備室でなにをするの?」
「うん、アナウンサーの採用内定者にいろいろ教えたりするんだって」
石黒はなにか清々した風に見える。以前の彼のくつろいだ様子が戻ってきた感じだ。
「いつごろ帰ってくるの?」
「それは分からない。でも、そんなに先とは思えないけど」
2人はなおも立ち話を続けたが、組合問題で揺れ動いた会社を一時的に離れるのが、石黒にはかえって息抜きになるのだろうか? それは分からないが、啓太はなんとなくそう感じた。そして、2人は意外に爽やかに別れたのだ。
組合活動に熱心な石黒の出向・異動は“左遷”のようにも見えるが、果たしてそうだろうか。テレビの新局ができる時は、キー局が応援に行くのは当たり前だ。だから彼は左遷などと思っていないだろう。
だが、陣内社長体制の会社から、白い眼で見られがちの組合員らが「今に見ていろ!」と考えても不思議ではない。事実、20年~30年後には、組合出身者がこのテレビ局の実権を握ることになるが、それはあまりにも先の話なのでここでは触れない。
そして、9月下旬のある日、26歳になったばかりの啓太は、自宅から直接 警視庁へ向かうことになった。国鉄の北浦和駅から京浜東北線に乗り、乗り換えなしに有楽町駅に着いた。そこから歩いて10分あまり、彼はしだいに緊張感が高まっていった。すると、前方に焦げ茶色の黒ずんだいかめしい建物が見える。
一瞬、啓太は身がすくむような感じがしたが、やがて桜田門前の交差点を渡り警視庁の庁舎へと進んでいった。(第2部・終り)


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