八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

〝権威〟を身に纏うな!~講座のお知らせも含めて~

2020-06-10 16:27:13 | 〝歴史〟茶論
 しばらく隠遁者のようにブログも更新せず、薄暗い穴蔵に迷い込んだように本ばかり読んでいました。
 それでも、本を読むのと並行して、住んで20年近くなり、汚れてきた自宅の一部を自力で塗装したりもしていましたが、外出が億劫になり、というのもマスクをしていないことで〝非国民〟あつかいされかねない厳しい他者の眼差しにどうも抵抗があり、ならば外出しない。
 思うに、よく起こっている子どもたちの〝ひきこもり〟とは、こんなふうに他律的なことから起こるのだろうなどと考えながら、そのためか〝不要不急〟ではない用件で久しぶりに電車に乗ったりすると、とにかく疲労困憊という情けない気分。やはり、本でも読んでいたほうがと思う。そこでますます引きこもってしまう。そんな日々でした。 <ささやかな空中庭に咲く花>
            
 でも、今週末の14日日曜日から、〝時代に杭を打つ!〟の講座が、「池ビズ」会場からの許可が出て、講座自体は縮小したものの、なんとか開講できることになりました。
 そんなわけで、このままでいいわけがないと思い定め、やっと動き出したところです。まずは14日からの講座について、遅ればせながら連絡させていただきます。
 <講座「時代に杭を打つ!」フライヤー>
 
 内容は以前お知らせしていたとおりです。
 6月14日(日)の初講日では、丸山眞男の現代的読み直しをはかっていきたいと思っています。
 丸山眞男は、戦後の進歩的知識人の旗手とされていますが、その一方で1960年代後半の全共闘運動の渦中、学生との団交では、丸山が醸し出す理知的で高踏的な態度からでしょうか、「へん、ベートーヴェンなんか聞きやがって!」などの罵詈を投げつけられ、丸山が保管していた日本思想史上の貴重な図書も学生らによって研究室が破られ、大部分が盗難に遭うという禍を被っています。それはそのあとに古本屋にそれらの書物が数多く出回っていたことでわかったことです。
 ではなぜ、丸山はかくも批判されたのか?
 それは一つに「知識人」という位置づけが、日本では〝権威〟に依存するということに起因するからではないかと思われます。
 日本における「インテリ」いわゆる知識人・文化人とは、本来的には大学や学問的派閥である「学会」に帰属しているかいないかにかかっていて、〝在野〟であることははじめからその範疇には入らない。〝在野〟とは、〝浪人〟とほぼ同じように胡散臭いもの、貶め軽んじられるもので、それは思想的に右翼であろうと、むしろ左翼のほうが顕著に現れてくるものなのですが、いずれにしても〝権威〟に結びつかない存在は、「インテリ」とは言わない。それは民衆にも隅から隅まで満ち満ちていることなんだと思います。
 丸山自身が小田実の話しを引用している文があります。それは小田実がアメリカで聞かれたことだそうですが、
 〝Is he just a university professor or an intellectual?〟
 これは「彼はたんなる大学教授なのか、それとも知識人なのか」と訳せます。つまり、制度としての「大学教授」と学問教養を持つ「インテリ」とは同じじゃない。それが大意です。言い換えれば、職業や制度としての「大学教授」の価値は「知識人」と等位ではない。「知識人」である意味は、「大学教授」の価値に優越するということです。
 その認識は、哲学や芸術・思想に長い歴史をもつ西欧ではあたりまえだと言えるでしょう。
 かつてわたしがスペインの南部の街グラナダで暮らしていた際、おまえはどこの大学で教えているのかなどと聞かれたことはなく、何を研究しているのかと聞かれ、わたしが〝Historia y filosofía japonesas contemporáneas現代日本の歴史と哲学〟と答えると、〝Moderno?〟なのか。そうなんだ。それとスペインの歴史や哲学は参考になるのか? と話は進みます。
 しかし、島国日本はどこまでも権威に縋る体質です。「大学教授=知識人」の枠を超えてくる問いはほとんどありません。
 丸山眞男は、東大教授であることで、その〝権威〟だけ切り取られて全共闘の学生らに罵倒されたのでしょう。〝東大教授〟という権威への嫌悪。けっして学生たちは、碩学な「政治学者」として丸山を見ようとしなかったのでしょうね。あるいは丸山のマルキシズムという〝権威〟の位置から離れた地点での思想の組み立てを、かれら学生が、理解できなかったとも言えるように思います。

 丸山眞男の業績は、岩波新書の『日本の思想』という、比較的わかりやすい本を読んでもわかるように、明治以降の「翻訳」権威に対しての戦いだったように思います。
 その権威は、徳川時代のものは丸ごと〝古くさい封建〟だとして何もかも否定し、たらいの水を捨てるとともに、行水していた赤ん坊も捨てちゃった明治政府によって強制的に打ち立てられ、そこに日本の思想の断絶(crevasse)が起こってくるのですが、丸山眞男の仕事は、その修復と見直しにあったように思います。
 日本近代の発達史観の権威から見れば、丸山の思想は、封建そのものに映ったのでしょう。当時学生は、自らの思索と思考でモノを考える術を放棄していたようにも見えます。そんな状況はいまもあんまり変わっていないだろうし、ますます肥大化しているのかも知れません。 
 いずれにしても、当時の学生たちのありようは、手っ取り早く普遍の〝権威〟を手に入れて、優位に立つ。そのためにはマルキシズムのような演繹的手法がなによりも手際のいいものに見えたのかも知れません。

 そんな流れでいうと、この「コロナ禍」の日本にあって、おおよそつかめたことは、政府と官僚のダメさぶりをまずはおくとして、〝権威〟とされていた「専門家会議」なるものが、薬一つにしても、わからないと言えばいいのに、あれだこれだと言い立て、あげくのはてには1983年に公開された森田芳光監督作品の『家族ゲーム』のように(わからない人も多いでしょうから、ぜひDVDなどでごらんください。松田優作が不気味な家庭教師をやっています)、横並びで食事しろといった「新しい生活様式」を言い出す始末になっていることです。
 先日、家のキッチンの検査に来た業者の人は、会社の方針だとして、自分の体温の2時間毎の検査表を見せ、家に入る前に手を消毒するようすを確認してもらうなど、ほんとに微に入り細に入りの状況。
 街を歩けば、防御シートにマスク。まるで宇宙人に囲まれている気分でもあります。やり過ぎ? でも、専門家会議の方々は、そうした生活がいいのだと宣うわけで、「コロナ禍」が起こってから数ヶ月。出てきた内容は、そんなものです。しかもそれが〝新しい生活様式〟の権威として揺るがない。
  <映画『家族ゲーム』1983年>

 しかし、それが「コロナ禍」にはたして有効なのか。〝オオカミ騒ぎ〟じゃないのか。そうでなくても、「新しい生活様式」なるものの科学的な証拠(evidence)が曖昧でしっかりとした説明抜き、もとよりこの「専門家会議」の議事録も取っていないという責任逃れいっぱいの杜撰さ、そう考えると「専門家会議」という〝権威〟も、科学的というより、しょぼい日常的なものに堕していないか。
 でも、自分で決められない日本人は、この〝権威〟なるものの前で跪くしかない。一方で、それをご威光として、水戸黄門の印籠よろしく、それに従わない者に対して、〝自粛正義〟を振りかざす。
 このありさまはいつか見てきた、〝竹槍で闘え!〟〝一億火の玉!〟を叫んだアジア太平洋戦争のときと、言い方は好きじゃないのですが、いま風にいうと一ミリも変わっていない。

 というわけで、初講日での講座は、丸山眞男の思想がいかに〝権威〟に傾斜した時代と切り結ぶ性質のものだったのかということと、丸山が没して四半世紀が経つなかで、この国がいかに変わり映えのしない〝権威〟主義のままでいるのかを、みなさんとの対話も含めて深めていきたいと思っているところです。
 いまもさかんに行われているnetでの出来事のように、自らを「正義」の立ち位置におき、匿名という卑怯で高い目線から、〝誹謗中傷〟と〝決めつけ〟〝レッテル貼り〟が繰り返されるのも、こうした〝権威〟への凭れかかりと見て取れます。
 だれでも、認められたい。それだけ見れば、承認欲求があまりにも強すぎると見えますが、それよりも、深い観察力や歴史的思索をないがしろにして、とにかく〝権威性〟を求める愚かさが、こうしたnetでの他者への誹謗中傷につながっている事実。それだけは、しっかりと確認しておきたいところです。

 講座の第二回は、文学者として清冽な生き方を貫こうとした高橋和巳について、第三回は、わたしも高校生のとき、その謦咳に触れたむのたけじについて、第四回は、わたしが東京に出てくる契機となった鶴見俊輔との出会いについて、鶴見俊輔のバネのような思想の在処について、それぞれお話し対話を積み上げていきたいものだと思います。

 いまからでも申し込みは大丈夫です。また一回だけの受講でもかまいません。東京・池袋に日曜日の朝お出かけできるかた、リモート出勤に息苦しさを感じている社会人の方、zoom授業に飽き飽きしている大学生諸君も、ぜひおいでください。
 とりあえずわたしのメール(yagashiwa@hotmail.com)に連絡をいただければ、返信させていただきます。

 じつは今回のブログは、もっと本格的なテーマを用意していたのですが、それはまた講座のときかまたの機会にお話ししていきたいと思います。
 お読みいただきありがとうございました。
 ついでに数日前、路上に捨てられていた「アベノマスク」を見つけました。 


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