150年程前は、神社と寺は特に別けられてなく神仏習合という形態でした。

明治以降、神社と寺は別ものとされました。
戦後、色々な宗教が混在しますが、多くの新興宗教も大半は神道と仏教がベースにあります。
ところで、先進国(G7)の中でキリスト教が主流でないのは日本だけですね。
日本でキリスト教が主流でないのは何故なのでしょうか。
16世紀にキリスト教は伝来しました。禁止令などで中断期間が長くありましたが、
明治からは解禁されました。宣教師が多く来日したようです。
その後、また昭和になり戦時中規制を受けましたが、戦後は自由になりました。
また、占領下の中、一種のキリスト教ブームもあったようです。
しかし、現在、日本人のキリスト教信者は、日本の人口の1%しかいないようです。
フランシスコ・ザビエルは、教科書で誰でも知ってますよね。
当時、布教に来たザビエルは、大変苦労したことが書簡に残されているそうです。
日本で布教中、どうしてこんな素晴らしい教えが今まで日本に伝わってこなかったのか、
洗礼しないと地獄に落ちるというが、先祖達は何処にいるのか、と質問を受けます。
ザビエルは、地獄にいると応えるしかありません。
すると、全知全能の神様なら、助けてくれれば良いじゃないか、と応じます。
また、何故そんな力のある神様が悪を作ったのか、とも。
ザビエルは、日本人は文化水準が高く、確りした宣教師でなければダメだ、
と書簡に書いたものが残されているそうです。
また、翻訳が難しく、仏教用語をあてはめるしかなかったこともあり、
デウスのことを大日(大日如来)と言って布教したようです。
当時のお寺からは歓迎されたとか…
話は変わりますが、かの弘法大師空海も一般への布教はかなり苦労したそうです。
皆さんの神様と同じ神様なんだと説いてまわったそうです。
例えば、大日如来は天照大御神と同じ神様なのだと。
真言宗では柏手を打ったりします。私が参詣する高幡不動尊での護摩修行の最初に大
僧正など僧侶が入場する時に流れる音楽は神社と同じ水戸黄門が印籠を出した時のよ
うな例のファーンという雅楽が流れます。まさに神仏習合ですよね。
日本人は八百万の神が座すと考え、全てに神が宿ると信仰しておりました。
これは、災害の多い国ならではの考えともいえ、
大自然と共に共存していく中で根付いたものだといえます。
地震などで亀裂の入った土地に、お供えをしていた痕跡が発見されたそうですから。
大自然という八百万の神に畏敬と崇敬の念を持って感謝して暮らしていたのです。
日本人には唯一神は受け入れてもらえなかったのかもしれませんね。
また、「家」という信仰体系の問題だともいわれています。
私の小さい頃、家に仏壇と神棚があるのは当たり前でした。
結婚式は神道で、葬式は仏教が当たり前でした。
仏教系や神道系の新興宗教には馴染みやすかったのかもしれませんね。
また、最近一部を除き、かつてのような勧誘がなくなりましたね。
これは、家としてその修行団体に所属しているので、信者の子供、孫に引き継がれて
いるからなんだそうです。以前と違い、会費も沢山納めてくれる方が多く
規模を拡大せずとも世襲で維持が出来るそうです。
キリスト教は信者になっても家としての信仰になりにくかったのかもしれませんね。
宗教系の学校は全国に正確な数字は分かりませんが、
800以上あるそうですが、そのうちの6割がキリスト教系だそうです。
卒業生が洗礼を受けるケースは少ないそうです。
既にキリスト教も八百万の神様の一員になっているということなんですかね。
