6月×日 はれ
今日は半どんだった。昼には授業は終わったのだが、本屋で立ち読みしていたため、2時過ぎていた。ホームで電車を待っていると実にいい香りがした。立ち食いそば屋からだった。私は思わず唾を飲んだ。手はポケットに金を求めていたが財布がない。忘れたらしい。私の手はあきらめることなく他のポケットをゴソゴソと金を探し続けた。五円玉が一つ出てきただけであった。仕方なく、その匂いのしないところで電車を待った。その間、幼い頃は五円玉でも駄菓子屋でキャラメルが買えたことを思い出していた。電車が到着した。幸運なことに私のちょうど前にドアがきた。私は4人がけの席が空いていたので、窓側に座った。後から婆さん二人が前の席に座った。私の手前の婆さんは、太めでその為かあまりシワがよってない。反対にその隣の婆さんは細めで少し老けて見える。どちらも穏やかな顔をしていた。
「わたしゃぁ辛いわ」太い婆さんが言った。
「え、何が?」細い婆さんが応えた。
「それがね、うちの鬼嫁ときたら、息子がいる時はよくしてくれるんだけど、いないとコロリと変わる」
「ふん」細い婆さんは一心に聞いている。
「いない時は、ちょっとあんたいつまで食べてるんですか!。そうやって夜まで食べる気ですか!、なのよ。息子がいるときは、お母さん、お味噌汁おかわりは?、とくる、声まで変えてね。腹が立って仕方がない。」
「そうなのー、それはまたきついねぇ。それ息子さんに言ったの?」
「もちろん言った。でも、相手してくれないどころか、何馬鹿なことを言ってる!って反対に怒られたわ。最近は息子がいない時はご飯用意してくれないんだよね」
「まあ!」細い婆さんが大声をあげた。「まー辛かったね。昼はウチに来るといいよ、うちは爺さんと二人だし遠慮はいらないよ。」
「ありがとう」
「ご飯といえば昼ご飯まだだったね」細い婆さんが鞄の中をゴソゴソしながら言った。「これ食べようよ」
細い婆さんは、鞄から箱を取り出した。饅頭のようだ。私は寝たふりをして聞いているが、饅頭の包装をむく音に、ゴクリとツバを飲んだ。
「学生さん」きっと私に言っているのだろうが、居眠りしているていう手前、そう易々と起きられぬ。
「学生さん」再び声をかけられた。私は今気づいたようにキョトンとした顔をしてみせた。
「学生さん、これ良かったら食べて。」細い婆さんがハリのない手を差し出した。その手には饅頭があった。
「いや、いいです。」私は小さい声で断った。しかし、私の腹は正直でぐーっと鳴った。二人の婆さんは笑った。私も赤面しながら照れ笑いした。
「まあそう言わず、どうぞ。若い人はお腹が減るでしょう。うちの孫もよく食べるよ。」
私はお礼を言って受け取り、ガッついて食べるわけにはいかないので、ゆっくり包装紙をむき、ゆっくり大きく口にした。口いっぱいに甘さが広がる。食べ終えると、
「も一つどうぞ」
今度は遠慮なく頂いた。「うまいです。」
婆さん達が微笑んだ。私も微笑み返した。
私は何度も礼を言って下車した。
プラットホームの立ち食いそば屋から湯気がほのかに上がっていた。