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宇宙の山ちゃん

只今に感謝、ありがとうございます♪

10月4日

2021-10-03 09:59:00 | 日記
10月4日

証券投資の日
イワシの日
日本刀の日
陶器の日
天使の日
徒歩の日
お取り寄せの日
等身大フォトの日
都市景観の日
古書の日
宇宙開発の日

富岡製糸場創業開始
宝永の大地震
日本大学(現在)創立
フェートン号事件
オリエント急行運行開始
第一回全米オープン
入出国管理令
白村江の戦い
(日本・百済VS唐・新羅)

俳人、高野素十氏 忌日

8時だよ、全員集合❗️放送開始
笑って良いとも!放送開始


日野原重明氏 誕生日
北島三郎氏 誕生日

そして、私の誕生日でした。笑笑





我が家の非常事態

2020-06-07 16:28:00 | 日記
緊急事態宣言解除により、ローテーションの在宅勤務が終了しました。

しばらくは空いていた通勤時の電車は以前と同じ状況に戻りました。

経済状況も正常に戻ることを期待してやみません。

今後明らかに拍車をかけるのは、ロボティクスとフィンテック。

株式市場は世界的に大きな反発上昇をみせています。

そんな中で私の場合、母親の認知症が悪化した為、時間が拘束されています。

更新もままなりませんが、よろしくお願いします。


 













竹村健一を思い出す

2020-04-29 21:14:00 | 日記

私がまだ小学生か中学生だったか?相当前のことである。

忘れたが、世相講談という番組があった。 
コメンテーターは、竹村健一氏である。

これは、衝撃を受けたし、素晴らしいと思ったことを覚えている。

アシスタントは現東京都知事の小池百合子氏の時もあった。

竹村健一の世相講談と途中からは名前が変わったと記憶している。

人気になってからは、竹村健一の世相を斬るであったか。

今は誰でも米国新聞紙はもちろん報道は知ることが出来る。

しかし、当時米国新聞紙を読み解くような番組はなかった。

米国新聞の切り取り記事を見せながら話す姿は圧巻であったことを覚えている。

その記事や示すボードを叩いて、怒る姿はブームになったこともあった。

当時の小池百合子氏は無難に過ごしたが、
竹村健一氏の意に沿わない発言をした

アシスタントはかなり厳しい仕打ちを受けていたのを覚えている。

その怒る姿や「大体やね〜」は何だかブームになった。

「これだけですよー」の発言が受けて「これだけ手帳」が出回った位である。

竹村氏の友人の中で、私が好きだったのは、堺屋太一氏、渡部昇一氏などである。

皆さん鬼籍に入られているが、馬鹿だなぁと苦笑されてるのではないか。

今、竹村健一氏が健在であったなら、何と言われたのだろうか。








通電ノート 10

2020-04-23 08:50:00 | 日記
7月×日 雨

期末試験が終わった。出来が悪い。中間があまりにも簡単であった為、高校教育たるものを甘くみてしまった。
成績表を見たくない。といっても見たい気持ちもあるから変である。

期末試験の始まる前に同じ電車で一緒になった友人と期末試験の勉強について話になったが、彼は「全然やらない」と自慢げに応えた。
私はその応えに大きくうなずき、
「そうだよね」と目を細めたのであった。
が、彼はトップクラスの成績をそれも全教科でおさめた。
「おまえ、勉強したな!」
「いいや」 彼は冷ややかに応えた。
「この大嘘つきめ!」
「何が!」
「電車で一つ、今一つ、何故嘘をつく!」
彼はニヤリと笑ったが、何も応えずその場を去った。

エピローグ 

終業式だ。明日から夏休みだ。実にいい日だ。このノートも当分書かない。二学期からも続けるかどうか分からない。出来れば続けたいと思う。

    
                       おわり

通電ノート 9

2020-04-21 18:28:00 | 日記
6月×日 はれ

今日は半どんだった。昼には授業は終わったのだが、本屋で立ち読みしていたため、2時過ぎていた。ホームで電車を待っていると実にいい香りがした。立ち食いそば屋からだった。私は思わず唾を飲んだ。手はポケットに金を求めていたが財布がない。忘れたらしい。私の手はあきらめることなく他のポケットをゴソゴソと金を探し続けた。五円玉が一つ出てきただけであった。仕方なく、その匂いのしないところで電車を待った。その間、幼い頃は五円玉でも駄菓子屋でキャラメルが買えたことを思い出していた。電車が到着した。幸運なことに私のちょうど前にドアがきた。私は4人がけの席が空いていたので、窓側に座った。後から婆さん二人が前の席に座った。私の手前の婆さんは、太めでその為かあまりシワがよってない。反対にその隣の婆さんは細めで少し老けて見える。どちらも穏やかな顔をしていた。
「わたしゃぁ辛いわ」太い婆さんが言った。
「え、何が?」細い婆さんが応えた。
「それがね、うちの鬼嫁ときたら、息子がいる時はよくしてくれるんだけど、いないとコロリと変わる」
「ふん」細い婆さんは一心に聞いている。
「いない時は、ちょっとあんたいつまで食べてるんですか!。そうやって夜まで食べる気ですか!、なのよ。息子がいるときは、お母さん、お味噌汁おかわりは?、とくる、声まで変えてね。腹が立って仕方がない。」
「そうなのー、それはまたきついねぇ。それ息子さんに言ったの?」
「もちろん言った。でも、相手してくれないどころか、何馬鹿なことを言ってる!って反対に怒られたわ。最近は息子がいない時はご飯用意してくれないんだよね」
「まあ!」細い婆さんが大声をあげた。「まー辛かったね。昼はウチに来るといいよ、うちは爺さんと二人だし遠慮はいらないよ。」
「ありがとう」
「ご飯といえば昼ご飯まだだったね」細い婆さんが鞄の中をゴソゴソしながら言った。「これ食べようよ」
細い婆さんは、鞄から箱を取り出した。饅頭のようだ。私は寝たふりをして聞いているが、饅頭の包装をむく音に、ゴクリとツバを飲んだ。
「学生さん」きっと私に言っているのだろうが、居眠りしているていう手前、そう易々と起きられぬ。
「学生さん」再び声をかけられた。私は今気づいたようにキョトンとした顔をしてみせた。
「学生さん、これ良かったら食べて。」細い婆さんがハリのない手を差し出した。その手には饅頭があった。
「いや、いいです。」私は小さい声で断った。しかし、私の腹は正直でぐーっと鳴った。二人の婆さんは笑った。私も赤面しながら照れ笑いした。
「まあそう言わず、どうぞ。若い人はお腹が減るでしょう。うちの孫もよく食べるよ。」
私はお礼を言って受け取り、ガッついて食べるわけにはいかないので、ゆっくり包装紙をむき、ゆっくり大きく口にした。口いっぱいに甘さが広がる。食べ終えると、
「も一つどうぞ」
今度は遠慮なく頂いた。「うまいです。」
婆さん達が微笑んだ。私も微笑み返した。
私は何度も礼を言って下車した。
プラットホームの立ち食いそば屋から湯気がほのかに上がっていた。