宇宙の山ちゃん

只今に感謝、ありがとうございます♪

本日は晴天なり2️⃣

2019-11-17 14:26:00 | 神仏
氷川神社で久しぶりにお札やお守りを見ていると一社神棚が頒布していました。

一体2,000円の頒布料でした。作りも大変よろしく確りしていました。

今日は良い日だ、今日こそ求めようと心に決め、6,000円を財布から出して三体求めました。

帰路、氷川だんごを食べ、おたふくという広島お好み焼きに寄り私は鉄板です食べ、母への持ち帰りを手に帰りました。

神棚の設置です。思ったより大きく幅をとりました。

神宮大麻は来週氷川神社にお返しするとして横に置かせて頂きました。

この機に古いお札をお返しさせて頂こうと思っています。







本日は晴天なり

2019-11-17 11:21:00 | 神仏
武蔵一宮大宮氷川神社参拝

今日の氷川神社は益々の盛況ぶりでした。
いつもの参拝用の40分無料駐車場も入場の車両の列ができていました。

その列に並んだのですが、大勢の参拝客は七五三であることに気付き、別の駐車場に向かいました。

呉竹荘前で警備員に止められました。見ると結婚式の列でした。

今日は歓迎されている。そう観じ、嬉しくなりました。

駐車場も私の一番お気に入りのコインパーキングが空いていました。

鳥居を⛩潜り参道を通るのは久しぶりのことです。

赤い神橋は撮影で大混雑。手水舎、本殿と向かいます。

スサノオオオカミ
まもりたまえさきはえたまえ

本日は晴天なり。富士山も🗻綺麗に拝見できました。


祝賀御列の儀

2019-11-11 16:36:00 | 神仏
天皇皇后両陛下の祝賀パレードのあった昨日は、

朝から雲ひとつないまさに日本晴れ。
天照大御神様のお出ましである。

私の家から見える富士山もくっきり🗻とお姿を拝見できました。

感謝とお祝いの気持ちの中、伊勢の神宮にお参りしたいところだが無理なこと。

行こうと思って行けてなかった東京大神宮にお参りすることにしました。

この神宮の経緯は、明治。

明治天皇の御裁断を仰ぎ、東京における伊勢の神宮の遥拝殿として明治13年(1880年)に創建。

当初は日比谷の地に御鎮座されたことから、世に「日比谷大神宮」と称された。

関東大震災後の昭和3年(1928年)に現在地に移ってからは、

「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を「東京大神宮」と改めた。

現在広く行われている神前結婚式は当社の創始によるもの。

東京大神宮を分かりやすく言うと

◉東京のお伊勢さま

◉造化三神も祀る
 
(造化三神とは、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)


◉格式高い東京五社の一つ

 (五社に数えれる他四社は、日枝神社、明治神宮、靖国神社、大国魂神社)

さて、

私がお参りしたのは、パレードの翌日、東京の病院を終えてからでした。

薬に時間がかかり、辛うじて午前中、いや探し当て時は正午を少し回っていました。

決して広くない境内は参拝する方が後をたたない状況に驚きました。

しかも、若い女性参拝客が大半であったからです。

平日というのに。

いわゆる縁結びの神としての御利益参拝客なのでしょうか。

本殿横の御守等の頒布所は列が出来ていました。勿論女性達ばかり。

私はその列を横目に本殿に向かい、千円札を賽銭箱に入れる。のし袋を忘れてしまい申し訳なく思いながら。

二礼二拍手し、ぶつぶつと天津祝詞を唱え、かんながらたまちはえませ、いやさかましませ

を2回ずつとアマテラスオホミカミと唱え一礼してその場を去りました。

祈念など出来ません。なんだか気恥ずかしい思いでしたから。







七五三

2019-11-04 09:17:00 | 神仏
武蔵一宮大宮氷川神社へ少し遅い8時過ぎにお参りした。

駐車場が混んでいた。あ、七五三か!。

家族総出で参加するので、一軒につき3台というのも珍しくない。

七五三の親子で1台、両家の祖父母で計2台、合わせて3台となる。




(写真の提灯は、大嘗祭を祝う為に掲示されている。ほんの一部の撮影)


七五三で何故神様にお参りするのか。

実のところ、神様に大きくなりましたとお見せして、健康など祈願する、いわゆる節句であると思っていた。

しかし、神様からのお預かりものである子供をお見せしに行くのが、七五三だという方もある。

だから、
神様からお預かりしたこの子をこんなに元気にそだてました、と着飾って祝いお見せするというわけである。

だから、
虐待など以ての外なのである。