大宮氷川神社の東側にスタジアム大宮があり道を挟んで「黒塚大黒天」があります。




以前は鬱蒼と木が茂り、おどろおどろしいものでしたが、最近伐採されました。
一度訪れようと思いながら中々行けませんでしたが、
ある日車で走っていますと、フッと不動明王像が目に入りました。

同じ境内に違いないと思い、本日スタジアム大宮に駐車し探索をしました。

しかし四方の入口は全て施錠されており、中に入ることができませんでした。
帰宅して調べました。
(以下、引用)
鬼婆伝説に福島県の「安達ヶ原の鬼婆」がありますが、
『諸国里人談』には武蔵国足立郡(現在のさいたま市大宮区)の足立ヶ原における話しが元であるとも記されています。
『埼玉県伝説集成』には、伝説の本所について、文献が紹介されまとめられています。
昔、大宮驛の森の中に鬼婆が棲んでいて、往来の女を誘って家に泊まらせ、その女を殺して血を吸い肉を食っていた。
この鬼婆を退治したのが、旅の僧・東光坊阿闍梨祐慶で、武蔵坊弁慶の師匠と言われています。
祐慶が法力によって石になった鬼婆を葬った塚は黒塚と呼ばれ、現在の黒塚山大黒院あたりとされており、
「安達ヶ原」や「黒塚」の能や歌舞伎,浄瑠璃をされる方々が、上演の成功を祈りにやってくるそうです。
祐慶は、鬼婆に殺された人々を葬る為に、鬼婆を呪伏した際の護身仏と伝えられる金銅薬師如来像を本尊とした東光寺を開創しています。
『日本伝説叢書 北武蔵の巻』では、別の話も紹介されています。
武蔵国足立郡箕田郷(現在の鴻巣市)に生まれた渡邉綱(渡辺氏の祖)は、源頼光に仕えた頼光四天王の一人で、剛勇で知られていた。
ある時、大宮の森に鬼婆が住んでいて人間を食うと言う話を聞き行ってみると聞きしに勝る大怪事であった。
怒った綱はうまく老婆の元に忍び込み、容易に鬼婆を退治してしまった。
<参考文献>
「日本伝説叢書 北武蔵の巻」 藤澤衛彦 著、すばる書房
「埼玉県伝説集成 分類と解説 下巻」 韮塚一三郎 編、北辰図書
「大宮市史 第5巻 民俗・文化財編」 大宮市史編さん委員会 編、大宮市役所
「浦和市史 民俗編」 浦和市総務部市史編さん室 編、浦和市
「日本伝説大系 第5巻」 大嶋善孝・岡部由文・常光徹・平野馨・宮田登 著、宮田登 編、みずうみ書房
「日本随筆大成 第三期9巻」 日本随筆大成編纂部 著、吉川弘文館
鬼婆伝説の発祥の地として、福島県と争っていましたが、
この発祥の地とするのは、未開の蛮地と吹聴する様なものだと諭され、福島に譲ったという話が残っているそうです。
神社仏閣でやたらとお願いするのは良くない理由に、
その神社仏閣がどういう経緯で建立されたのか分からないというものがあります。
祟りを恐れて神仏として祭り上げ、あるいは封印したのかもしれません。
これに関しては、東光寺というお寺があるそうなので、今度はそこを探索したいと考えています。