この字は一文字で何と読むでしょうか。
神仏から見て「いのち」と読みます。
私達の「いのち」は生死紙一重、表裏一体ということでしょうか。
これは、9月23日、聞乗寺(現在の当家菩提寺)で開催された彼岸法要での法話の一部の内容です。
奥深い意味を観じますね。
お彼岸という概念は日本のみであり、仏教本来の概念にはありませんし、他国の仏教にもありません。
やはりお盆もそうでした。基本に流れるものは神道、いや古神道、
もっというと、縄文時代より脈々と続いてきた自然崇拝と祖霊崇拝の概念が日本教となっだのでしょう。
神仏習合でしたから、当然といえば当然ですね。
しかし、彼岸は根付いたのは上記理由でしょうが、最初の彼岸供養は、怨霊の鎮魂のために行われたことだといいます。
早良親王の怨霊を鎮魂のため、全国の国分寺に春分と秋分の日を真ん中に前後3日で計7日間の供養を命じたのです。
以下引用
延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた。『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」と怨念を鎮めるためであった。そして3月17日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」の、国分寺の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になった。