祖父母同居で幼少期を過ごし、仏壇や神棚があるのは当たり前の世界でした。
月に一度の墓参りも当たり前でした。
近所の葬式などの前を通ると、立ち止まり合掌したり、一礼したりするものですから、私への大人達の評判は上々でしたね。
大好きな本は、ギリシャ神話など神話系の著書でした。不思議な話が好きでした。
また、占いなどにも興味を持ちました。
今でもはっきりと覚えていますが、私が幼い頃、今は亡き父が私の手相を見るたび、母にこの子は長生き出来ないかもしれない、と言っていました。
実際、私の手のひらの生命線は三分の一くらいしかありませんでした。それから神秘の世界に惹かれました。
潜在意識に残っているのでしょう、手相以外の占いに固執しました。
また、改名など後天的な改善がはかれるとされるものには、かなりのめり込みました。
姓名判断、気学、算命学、四柱推命など一所懸命勉強?しました。後で手相も変わると分かりましたが…
色んな親族の生年月日で占い、「あの叔母ちゃんは、晩年寂しいよ、このままでは」
なんて予言めいたことも言ってました。
高校時代、Sの家信者であった同級生Tに感化されて、入信こそしませんでしたが、
無限の可能性や人間神の子、病気はない、実相は光明、といった教えに触れました。
その後、色んな本との出会いから、神様仏様に感心を持つようになりました。
算命学の極意に祈祷がありますし、運命は先祖供養や神仏への信仰によって、
悪運が軽減されたり、改善されたりするというものがあります。
親孝行、先祖供養、神仏信仰により、運命は改善されると理解する様になりました。
それからは、占いでなく神仏信仰へ関心は完全に移りました。
大学時代、腹痛で救急病院に行きました。痛いのをずっと我慢していたのですが、痛くて我慢できない状態となったのです。
そのまま入院となり、即手術となりました。
友人Mに後から聞いた話ですが、母が私の下宿の部屋を拭き掃除しながら、泣いていたらしいのです。
同じ下宿に住んでいたMに、医者に呼ばれて原因不明と言われ治らないかもしれない、と泣きながら言ったのだそうです。
当の本人は、盲腸だと思って平気で過ごしていましたが、一週間は痛くてたまりませんでした。
後は腹に管を通してあったのを抜く時と、抜いた後、そこに毎日のガーゼの入れ替えをするのですが、その度にかなり痛く嫌でしたが。
結局は良くなったのですが、最終検査結果を大丈夫だと言った時の主治医の満面の笑みで晴れ晴れした顔は、後からMに聞いて納得出来ました。
現在、私の生命線は二重になって伸びています。
友人たちには、私の日限地蔵大菩薩様への欠かさぬお参りは有名でした。
生かされたのだと今でも信じています。
社会人となってから、伊勢の神宮参拝を始め、完全に神仏崇敬こそが真髄であると悟り?の境地となったものです。
社会人になって占い師に手相を見てもらう機会がありました。
その占い師に
「神様に守られてますね〜」と言われて、嬉しかった思い出があります。
今日もお守りいただきまして
誠にありがとうございます。