1/19、国立のキノ・キュッへで行われたパレスチナのドキュメンタリー映画
「レインボー」の上映+藤田進さん(アラブ・中東近代史研究)と
小田切拓さん(ジャーナリスト)のトーク、というのをみてきました。
こじんまりとしたレストランにぎっしり60人くらい。
学生も多く立ち見まで出る盛況っぷり。
この映画は以下のとおり、“今”のガザではなく5年前のもので時間は40分弱。
タイトルの「レインボー」は希望とかそういう意味じゃなくて、2004年に
イスラエル軍がパレスチナに向けて行った軍事作戦の名前。
(軍が付ける作戦の名前はほぼ悪趣味だと思う)。
------
『レインボー』 監督:アブドゥッサラーム・シャハダ(2004/パレスチナ)
2004年5月のイスラエルによるガザ侵攻、
占領下のパレスチナの人々の痛み・悲しみを描くドキュメンタリー。
------
素人の私としては、パレスチナが去年の12/27から急に
イスラエルから攻撃され始めたわけではないというのが
(イスラエル軍の占領は何十年と続いているわけですが)
あらためてよくわかりました。
ちなみに、「レインボー」含め、パレスチナ関係イベント情報はここにくわしいです。
冒頭、家族が、娘の誕生日を祝うためにケーキのキャンドルに火をつけるシーン。
前日、誕生日を祝ってもらったばかりの私は自分と一気に重なってしまった。
娘の誕生日を祝おうとしたときに爆撃を受けて、
自分以外の家族全員(妻と子供(3才の娘と1才半の息子))を失った男性が、
がれきと化した家のなかを、「これは娘に買ってあげたプレゼント」
「これは妻が着ていたブラウス」「息子が使っていた枕」と説明していく。
主を失ったモノたちを見ていると、
石内都が原爆の遺品を撮った「ヒロシマ」を思い出す。
破壊された鳥小屋を修理している少年に話しかける。
「中の鳥はどうしたの?」
「飛んでっちゃった」
「かなしい?」
「いや、うれしい。殺されるよりは、自由になったほうがいいよ」
生花業を営む男性。
「幸せな世界にしたくて、花を育ててきた。
そして、神様のお返しは、これだ。血だよ」
と、赤い花束を突き出す。
爆撃で亡くなった遺体を安置する場所がなくなり、
生花を保管する保冷庫に、たくさんの遺体が安置してあるのを
見せる男性。
どの人々も最後に言う言葉は、
「祈ることしかできない。それ以外に、なにができる?」
というもの。
映画を撮影している監督もどんどん無力感に襲われて
「物語は多すぎて、悲しみは限界を超える」とつぶやく。
そういう感じで、たくさんの人たちが自分と家族の身に
何が起こったかを証言していく映画です。
映画が終わったあとのトークのおかげで
映画ではよくわからなかったことがきちんと補完され、
ついでに現在に至った背景や、ファタハとハマスの関係、
イスラエルとアメリカのことなど、非常に分かりやすかった。
ただ知れば知るほど、なんというか、和平がいかに遠くに
あるのかと思わずにはいられなかった。
とにかくでかいのはアメリカの出方なんだなぁ…。
(そしてオバマは親イスラエルを表明している)
ただ、これは理不尽な“占領”(戦争ではなく)であるというのは
よくわかった。しかもこんな状態が、ずーっと続いていた上での
あのとんでもない攻撃…と考えると、気分はずっと暗くなる。
この映画に出ていた人たちがみんな元気でいるんだろうか、
映画のなかで監督がラファに住む母を訪ねるシーンがあったけど、
あの母性のカタマリみたいなお母さんは大丈夫だろうか、
そんなことばかり考えてしまった。
トークで、“占領”を遠い出来事のように思わないでほしい、
日本だって第二次世界大戦で中国に対して
同じようなことを行っていたんだから、と言っていた。
あと、150万人が住む土地を自分が占領する立場で
シュミレーションしてみること、とも。
私が住む世田谷区の人口の二倍がだいたいパレスチナ自治区と
同じくらいになる。どのインフラ設備を破壊し、どこを残すか、
どこから占領していくか?そう想像することで、
自分の住む街がパレスチナになる。
なるほど…と、映画とトークを見て、国立から帰る途中、
普段全く乗らないルートだったせいか、
逆方向に乗ったことに30分くらい気づかず(!)、
帰宅が予定より一時間も遅くなり、自分に驚いた。
「レインボー」の上映+藤田進さん(アラブ・中東近代史研究)と
小田切拓さん(ジャーナリスト)のトーク、というのをみてきました。
こじんまりとしたレストランにぎっしり60人くらい。
学生も多く立ち見まで出る盛況っぷり。
この映画は以下のとおり、“今”のガザではなく5年前のもので時間は40分弱。
タイトルの「レインボー」は希望とかそういう意味じゃなくて、2004年に
イスラエル軍がパレスチナに向けて行った軍事作戦の名前。
(軍が付ける作戦の名前はほぼ悪趣味だと思う)。
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『レインボー』 監督:アブドゥッサラーム・シャハダ(2004/パレスチナ)
2004年5月のイスラエルによるガザ侵攻、
占領下のパレスチナの人々の痛み・悲しみを描くドキュメンタリー。
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素人の私としては、パレスチナが去年の12/27から急に
イスラエルから攻撃され始めたわけではないというのが
(イスラエル軍の占領は何十年と続いているわけですが)
あらためてよくわかりました。
ちなみに、「レインボー」含め、パレスチナ関係イベント情報はここにくわしいです。
冒頭、家族が、娘の誕生日を祝うためにケーキのキャンドルに火をつけるシーン。
前日、誕生日を祝ってもらったばかりの私は自分と一気に重なってしまった。
娘の誕生日を祝おうとしたときに爆撃を受けて、
自分以外の家族全員(妻と子供(3才の娘と1才半の息子))を失った男性が、
がれきと化した家のなかを、「これは娘に買ってあげたプレゼント」
「これは妻が着ていたブラウス」「息子が使っていた枕」と説明していく。
主を失ったモノたちを見ていると、
石内都が原爆の遺品を撮った「ヒロシマ」を思い出す。
破壊された鳥小屋を修理している少年に話しかける。
「中の鳥はどうしたの?」
「飛んでっちゃった」
「かなしい?」
「いや、うれしい。殺されるよりは、自由になったほうがいいよ」
生花業を営む男性。
「幸せな世界にしたくて、花を育ててきた。
そして、神様のお返しは、これだ。血だよ」
と、赤い花束を突き出す。
爆撃で亡くなった遺体を安置する場所がなくなり、
生花を保管する保冷庫に、たくさんの遺体が安置してあるのを
見せる男性。
どの人々も最後に言う言葉は、
「祈ることしかできない。それ以外に、なにができる?」
というもの。
映画を撮影している監督もどんどん無力感に襲われて
「物語は多すぎて、悲しみは限界を超える」とつぶやく。
そういう感じで、たくさんの人たちが自分と家族の身に
何が起こったかを証言していく映画です。
映画が終わったあとのトークのおかげで
映画ではよくわからなかったことがきちんと補完され、
ついでに現在に至った背景や、ファタハとハマスの関係、
イスラエルとアメリカのことなど、非常に分かりやすかった。
ただ知れば知るほど、なんというか、和平がいかに遠くに
あるのかと思わずにはいられなかった。
とにかくでかいのはアメリカの出方なんだなぁ…。
(そしてオバマは親イスラエルを表明している)
ただ、これは理不尽な“占領”(戦争ではなく)であるというのは
よくわかった。しかもこんな状態が、ずーっと続いていた上での
あのとんでもない攻撃…と考えると、気分はずっと暗くなる。
この映画に出ていた人たちがみんな元気でいるんだろうか、
映画のなかで監督がラファに住む母を訪ねるシーンがあったけど、
あの母性のカタマリみたいなお母さんは大丈夫だろうか、
そんなことばかり考えてしまった。
トークで、“占領”を遠い出来事のように思わないでほしい、
日本だって第二次世界大戦で中国に対して
同じようなことを行っていたんだから、と言っていた。
あと、150万人が住む土地を自分が占領する立場で
シュミレーションしてみること、とも。
私が住む世田谷区の人口の二倍がだいたいパレスチナ自治区と
同じくらいになる。どのインフラ設備を破壊し、どこを残すか、
どこから占領していくか?そう想像することで、
自分の住む街がパレスチナになる。
なるほど…と、映画とトークを見て、国立から帰る途中、
普段全く乗らないルートだったせいか、
逆方向に乗ったことに30分くらい気づかず(!)、
帰宅が予定より一時間も遅くなり、自分に驚いた。