福島県立相馬高校の演劇部の創作劇
「今、伝えたいこと(仮)」を見てきた。
明日の最終公演を見に行く人もいるかもしれないので、
内容については書かないでおくけれど、
泣かされっぱなし。
福島のこどもたち、こんな思いをさせて、
みんなみんなごめんなさい、と謝ることしかできない。
震災以降、反原発デモとかお祭りの手伝いとかで
数回福島や釜石に行ったけど、現地の人とじっくり話せたわけではなかった。
特に高校生と話す機会なんかなくって。
すごくショックだったのは、高校生たちが
「自分たちを差別しないでくれ」と切実に思っていること。
アフタートークで1人の女の子が涙ぐみながら話していた。
「ネットが好きでいろいろ見るけれど、そこには福島に対する差別が
たくさん書かれている。福島から出るなとか放射能がうつるとか。
できたら、もうすこしだけ、やさしく福島のことを見てもらえないだろうか」
本当は、立ち上がって、「そんなこと、誰も思ってないよ!!!」と言いたかった。
(震災以降、わたしはそういう差別をされた、というニュースや伝聞を
聞いたことはあっても、実際の書き込みは見たことがなかった。もちろん、
まわりでそんなことを言う人はいない。どこで言われてるのか?)
でも思い出した。2011年だったか、大友良英さんが話していたこと。
「福島の人たちは、自分たちが疎まれてるってものすごく感じてます。
震災直後、福島では、「いま新幹線で東京へ行くと、東京駅で福島から来た人には
福島から来た「しるし」がつけられる」というデマが広がったんです。
そんなのウソに決まってるとみんな思うかもしれないけど、
福島では、真顔で聞かれるんです。「東京に行くとそういうしるしつけられるんでしょ?」と。そういう精神状態だったんです。」
学生たちのアフタートークでの言葉。
学生「福島は美しいところなんです。
原発が爆発してから、不安で頭がおかしくなりそうになって、
夜にそっと外に出ました。
そこには本当にきれいな星空がありました。
それをいまでもよく覚えてます。」
やるせなさすぎる。
学生「今、福島では、わたしたちのようにたたかっている人もいますが、
あきらめている人も多いです。」
補足するように、アフタートークの進行役だった方が言った。
「彼女は“たたかっている”と言いました。
福島で、この演劇をやることがどれほど勇気のいることか」
「わたしはたたかっている」と発言する高校生にはじめて出会った。
今回は、演劇だけでなく、演目のきっかけとなったラジオドラマと、
相馬高校放送部が作った映像「Girl's life in SOMA」の上映もあった。
ラジオドラマは、原発から30キロ(東電から補償金が出る地域)から
ギリギリ外れた31キロのところに住む女子高生が作ったもの。
30キロなら危険で、31キロなら安全で補償もいらない、
そんなわけがないと、彼女と、彼女の祖母、母親が
冷静に、しかし静かに怒りながら語ってゆく。
「Girl's life in SOMA」は、桜満開の2012年の相馬が舞台。
いろんな女の子たちにインタビューをしているのだけど、
さっきまで楽しそうにしていた子が
健康について話していたとき、急に泣き出す。
「もしこれから何か起こったら、自分の運命だと思って受け止めます。」
映像のラストは春風に吹かれて笑う女の子たち。
そこにこんな言葉がかぶる。
「何があっても、差別されても、負けずに生きてく。
だって、女子高生だもん。」
なぜこんな思いをさせないといけないのか。
原発事故は、こどもたちひとりひとりに時限爆弾をしかけた。
学生たちのアフタートークの最後に、
生徒が「福島に遊びに来てください!」と言った。
終わって、出口で演劇部の女の子たちがならんで挨拶してくれた。
私は、なにか言いたかったけれど、泣いてしまいそうで
おじぎしかできなかった。
わたし、何ができるのかな。
ちょっとわからなくなってきた。
でも、見に行ってほんとによかった。
出口で「どうぞ」と渡された相馬高校のステッカーは、
自分のMacに貼った。
自分のなかに、相馬高校をつくれ。