OUR STRUGGLE - よわいたたかい
23日、激しい雨のなかに聞いた
この言葉はとても心に染み入った。
何かに異を唱えるときには、いつも川上に向かって歩くような気分だ。
なんでわざわざそんなことするんだ的な
そんなことしないで楽しくやろうぜ的な
そういう大きな流れと逆行するような気持ちになる。
強い心でいなくては、と思わないとそこにはいられない。
なので、これを聞いて、張りつめていた気持ちが一気に楽になった。
(※宮下公園関係ではイベントでもデモでも必ずSAFER SPACE(*)
があることも非常に素晴らしいことだと思う)
私は、努めてくだらないプラカードを作って持っていくけど、
それには理由があって、プラカードを見て失笑してたり、
こんなしょうもないプラカードがあった、と一人でも写メを撮ってくれたら、
その日のデモは成功、と思っているからだ(毎回成功する)。
(ちなみに、路上で目を引くのに有効なのは、怒りでも
かっこよさでもなく「POPなくだらなさ」にあるような気がしている)
その異議への賛否はともかく、プラカードの文字を読んで反応してくれることが
勝ちと考えれば、写メ撮った人は誰かにその写真を送るだろうし、
笑った人は誰かにその話をするかもしれない。
そうやって静かに広がることを想像する。
そういう小さな楽しみを持ちながら、わたしはデモに行く。
以前、今年の5月のメーデーデモの写真を、デモに行かない友達に
見せて、いかに楽しかったかを語ると、顔を曇らせて
「人に迷惑をかけて、楽しむのはどうか」
「なにか大事なメッセージがあるならともかく
単に楽しむために道路を使うのはおかしい」
と言われた。デモに行ったことがなければ常識的な意見だと思う。
(メーデーは、労働者のお祭りなので、他のデモとは違って
一年の中で最も気楽で遊べるデモである。)
例えば、東京マラソンがものすごいお金と迷惑をかけて
開かれても「人に迷惑をかけて、楽しむのはどうか」と怒る市民は
あまりいないようだ(迷惑がってる人は大量にいると思うけど)。
権力側、大きな企業側がやる「でっかい迷惑」は、迷惑に勘定されず、
普通の市民の「ささいな迷惑」は、一挙一動、集中攻撃されたりする。
(芸能人の微小な事故とかも)
子供を持つ親は、「他人に迷惑かけないこども」に育てようと必死で、
年老いた親は「迷惑かけずピンピンコロリと死にたい」と思っている。
「迷惑」をいかに忌避するかが、今の世の中の最重要事項になっている。
しかし、迷惑をかけない、というのは、余裕のない減点主義の世界だ。
どんなに心がけていても、
いつか人の助けを借りないと生きていけないことがある。
そのとき「迷惑かけない主義」の人はどうするんだろう?
あっという間に絶望しちゃいそうだ!
大切なのは、他者に対する許容心と想像力を持つことだと思う。
当たり前のようで、なかなか難しいけど。
いかに自分や他人が困ったときに助け合えるか、
というネットワークを広げて、実践していくほうが、
「迷惑をかけない」ことに悶々と腐心するより、ずっと楽しくて気持ちがいい。
そう思う、今日このごろです。
(*)Safer Space:
<問いかける・向き合う・サポートする>ことが可能な空間。
ハラスメント状況におかれた人が違和感・不快感を表明することができて、
問いかけられた人が何が問題なのか考えることができて、
ハラスメントのない空間のためにそこに居る人みんなが
しらんぷりをしない空間。
Safer Spaceのアイデアは日常の関係における性的暴力・抑圧をなくすための
直接行動から生まれ、支配や抑圧のないオルタナティブな空間づくりの実践として広がっている。
(こちらより無断転載)
23日、激しい雨のなかに聞いた
この言葉はとても心に染み入った。
何かに異を唱えるときには、いつも川上に向かって歩くような気分だ。
なんでわざわざそんなことするんだ的な
そんなことしないで楽しくやろうぜ的な
そういう大きな流れと逆行するような気持ちになる。
強い心でいなくては、と思わないとそこにはいられない。
なので、これを聞いて、張りつめていた気持ちが一気に楽になった。
(※宮下公園関係ではイベントでもデモでも必ずSAFER SPACE(*)
があることも非常に素晴らしいことだと思う)
私は、努めてくだらないプラカードを作って持っていくけど、
それには理由があって、プラカードを見て失笑してたり、
こんなしょうもないプラカードがあった、と一人でも写メを撮ってくれたら、
その日のデモは成功、と思っているからだ(毎回成功する)。
(ちなみに、路上で目を引くのに有効なのは、怒りでも
かっこよさでもなく「POPなくだらなさ」にあるような気がしている)
その異議への賛否はともかく、プラカードの文字を読んで反応してくれることが
勝ちと考えれば、写メ撮った人は誰かにその写真を送るだろうし、
笑った人は誰かにその話をするかもしれない。
そうやって静かに広がることを想像する。
そういう小さな楽しみを持ちながら、わたしはデモに行く。
以前、今年の5月のメーデーデモの写真を、デモに行かない友達に
見せて、いかに楽しかったかを語ると、顔を曇らせて
「人に迷惑をかけて、楽しむのはどうか」
「なにか大事なメッセージがあるならともかく
単に楽しむために道路を使うのはおかしい」
と言われた。デモに行ったことがなければ常識的な意見だと思う。
(メーデーは、労働者のお祭りなので、他のデモとは違って
一年の中で最も気楽で遊べるデモである。)
例えば、東京マラソンがものすごいお金と迷惑をかけて
開かれても「人に迷惑をかけて、楽しむのはどうか」と怒る市民は
あまりいないようだ(迷惑がってる人は大量にいると思うけど)。
権力側、大きな企業側がやる「でっかい迷惑」は、迷惑に勘定されず、
普通の市民の「ささいな迷惑」は、一挙一動、集中攻撃されたりする。
(芸能人の微小な事故とかも)
子供を持つ親は、「他人に迷惑かけないこども」に育てようと必死で、
年老いた親は「迷惑かけずピンピンコロリと死にたい」と思っている。
「迷惑」をいかに忌避するかが、今の世の中の最重要事項になっている。
しかし、迷惑をかけない、というのは、余裕のない減点主義の世界だ。
どんなに心がけていても、
いつか人の助けを借りないと生きていけないことがある。
そのとき「迷惑かけない主義」の人はどうするんだろう?
あっという間に絶望しちゃいそうだ!
大切なのは、他者に対する許容心と想像力を持つことだと思う。
当たり前のようで、なかなか難しいけど。
いかに自分や他人が困ったときに助け合えるか、
というネットワークを広げて、実践していくほうが、
「迷惑をかけない」ことに悶々と腐心するより、ずっと楽しくて気持ちがいい。
そう思う、今日このごろです。
(*)Safer Space:
<問いかける・向き合う・サポートする>ことが可能な空間。
ハラスメント状況におかれた人が違和感・不快感を表明することができて、
問いかけられた人が何が問題なのか考えることができて、
ハラスメントのない空間のためにそこに居る人みんなが
しらんぷりをしない空間。
Safer Spaceのアイデアは日常の関係における性的暴力・抑圧をなくすための
直接行動から生まれ、支配や抑圧のないオルタナティブな空間づくりの実践として広がっている。
(こちらより無断転載)