「
ひめゆり」という映画を見てきました。
(一般公開は5月26日からポレポレ東中野、その後順次各地で公開予定)
沖縄に「ひめゆりの塔」っていうのがありますが、その「ひめゆり学徒隊」で
生存された人たちの証言によるドキュメンタリー。
2時間10分ある映画なんですが、けっこう、あっという間。
タイムリーというか、私は2月末に沖縄に行きまして、
そのときに
ひめゆり平和祈念資料館にも行ったのです。
その足で近くにある第一外科壕という場所にも寄りました。
だから、あの場所でそんなことが…とか、あのとき話をしてくれた人が
映画に出ている…とか、この映画がとても身近に思いました。
ひめゆり学徒隊ってなにか、というのもひめゆりの塔に行くまで
女学校の生徒が犠牲になったらしい、くらいな知識しかなくて、
情けないのですが、沖縄戦で傷ついた兵隊を看護するために、
同じ敷地にあった師範学校と高校の女学校の生徒が集められて
結成されたのがひめゆり学徒隊です。
映画は時系列に、ひめゆり学徒隊が結成されて、どんな現場に従事していたか、
地上戦まっただなかで学徒隊に解散命令が出されて、働いていた壕から
追い出されたこと。逃げまどうなかでたくさんの生徒・教師が殺されたこと、
といったことが、実際に起こった場所(今は美しい自然しかない)で語られます。
言葉には、良くも悪くも力がある。
楽しかったことを話せば自分も相手も楽しくなるけど、
辛い経験は、辛かったことをまるで今体験したように呼び戻してしまう。
戦争や繰り返される凶行みたいなものは、
被害に遭った人が、苦しくて言葉になんてできないまま
亡くなって、それを体験してない人が、その痛みを知らないから
またそれを繰り返すのかなと思う。
だから、この映画で語った人たちは、わたしには想像もつかない勇気を持って
カメラの前に立ったんだと思う。
印象的だったエピソードがあった。
地上戦がものすごく激しいときに、
突然、学徒隊の解散命令が出されて、
夜が明けるまえに壕から出て行けと言われる。
死を覚悟する生徒達。
「家族に会いたい」ってみんなが思っていて、
でも、誰も口には出さない。
そのうち誰からともなく、
「ふるさと」の歌を歌い出して、
泣きながら小さい声でうたった、
という話がものすごく心に残った。
わたしは、「ひめゆり」の人たちが経験したようなことに
耐えられる気が全くしない。
絶対にまた起こらないという確信も持てない。
だから、なんでこんなことが起こったか、というのを知りたい。
戦争で死ぬことが名誉だったり、生き残ることが恥と教えられた時代のこと。
女学生だった人たちの勇気を受け取りたい。