KEN子さんのblogに詳しいのですが、
沖縄県内のお坊さんが、
行政側による泡瀬干潟への強引な土砂投入のニュースに胸を痛め、
1月25日(日)の朝8時、昼12時、夕方18時の3回にわたり、
現地で“泡瀬干潟埋め立てによって失われるすべての生き物たち”
に対する供養式をおこなったそうです。
私の宗教的な行事といえば、お葬式やお盆の墓参りくらいなもんですが、
このお坊さんたちの行動を見ると、
どんな宗教も、もともとこういうものなんじゃないかと思う。
人間としての奢りへの戒めとか、他者を大事に思うこととか。
------------------------------------
【お坊さんによるFAX原文】
先日1/15、 「泡瀬干潟の埋め立て」の報道を見て
1人の仏教者として、また一人の人間としていたみと深い悲しみを感じ、
筆を取らずにはいられませんでした。
これは賛否を問うものではありませんので
市役所の方にも、
泡瀬干潟を守る連絡会の方にも
同じ内容を送らせて頂きます。
まず、事業者の皆様おかれましては
「環境に配慮しても、やむなく埋められてしまうサンゴの移植を行った」
とあります が 例え「やむなく」であっても失われたいのち、
またこれから奪っていくいのちに対しては供養すべきと感じました。
また反対されている皆様と、
それ以外の特に行動を行ってこなかった私を含む、すべての人々が、
人間のあくなき欲求が、便利さと快適さをとことん追求するために、
このような現状を生み出した事実もあります。
つまり、泡瀬干潟で失われていくいのちは、
結果として人間全てが加害者です。
つきましては
来る日曜日に3回の供養の仏事を行いたいと考えています。
日曜日ですので工事業務に差し支えないとは思いますが、
仮設橋梁入口の警備員詰所の隣辺りで
小さな焼香台を設け、 私が読経致します。
賛否問わず
「この埋め立て事業によって失われた命を弔う」
という思いのある方は御参列頂きたく お知らせ申し上げます。
沖縄東本願寺 長谷 暢
------------------------------------
泡瀬干潟供養式
今日のできごとがもうUP!!やまたいくん、Goodjobです。すごい。
映像の字幕でも出ていますが、
ここで僧侶より語られた言葉は以下の通り。
---------------------------------------------
本日ここに、泡瀬干潟の埋め立て工事に伴い失われていく、
すべての生き物たちの「いのち」の供養にあたり、縁ある人々が集い、
その生き物たちを偲びつつ、真実のみの教えに出遇う、
仏縁を結ばれんことをねがい、その思いを申し上げさせていただきます。
それよくよく案ずれば、私たち人間は、果てしない欲望により、
限りなく便利で快適な生活を求めております。
私たちのいのちのために生きとし生けるものを採取し、
我々の血肉となるだけではなく、それ以上のものを常に殺し、
生活しています。
また、少しでも便利になるならば、不必要に自然までも壊しつづけ、
昨今は終にその影響が如実に現れつつあります。
いま、ここ泡瀬干潟においては、わたしたち人間のいたらぬ知恵をもって、
多くの生き物を殺しております。
その加害者の一人として、また、
仏様から「すべてのいのちは尊い」と教えられ、
その教えを生きようとするものとして、ここに懺悔し、
この埋め立て事業によって失われるいのちを弔う儀式を執り行います。
願わくは、仏陀が教える
「私たちはこれ以上貪る必要がなく、足りていることを知れ」
といういのちの教えに耳を傾け、いまを生きる者として、
何を願っているのかをあたらめて問い、
この果てしなき欲求を追い求める生活の中で、
真実の生き方を回復したいものです。
今、このときにあたり、失われていくいのちを供養し、
私たち人間が生き物たちから願われていることに耳を傾け、
すべての生き物を救いたいという阿弥陀仏の本願をよりどころとして、
その深い願いに生きることを誓います。
敬って白す。
二〇〇九年一月二十五日 沖縄東本願寺
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そして、2/2は「世界湿地の日」ということで 、来週日曜日(2/1)には
沖縄式「精霊流し」的な行事を予定しているそうです。
--------------------------------
ここで、KEN子さんblogから一文。
「祈り」は「終わり」ではなく
「反省」と「再生」の気持ちを込めて
これ以上同じような事を繰り返さないよう
私も心から祈ります。
---------------------------------------------
今現在、どんどん干潟に土砂が入れられている状況ではありますが、
KEN子さんの言葉を借りれば、「祈り」は「終わり」では、ない!
これからです。
泡瀬干潟の埋め立てによって、失われる生き物の「いのち」に、
“人間”が含まれないはずはない(とくにこれからを生きる若い人)。
いのちについてどう考えていて、どう扱っているかで、
人間としての姿勢が表れるのであれば、
行政側、開発側の人々が、自分の家族や子供たちに、
どんなふうに自然やいのちについて語っているんだろう。
すごく、聞いてみたい。
そして、表白(注)にあった、
「私たちはこれ以上貪る必要がなく、足りていることを知れ」という言葉。
みんながそう気付いたら、こんな開発も戦争も無くなると思う。
注=ひょうびゃく/ひょうはく=法会(ほうえ)の始めに、
その趣旨を仏前で読みあげ、
仏法僧の三宝および大衆に告げること。また、その文。
●リンクいろいろ
・泡瀬干潟を守る連絡会
・カクマクシャカblog 1月21日 「awase」より。
子供に残すべきは、僕達が親から残された大事な“沖縄”だ。
コンクリートとお金じゃない。
沖縄県内のお坊さんが、
行政側による泡瀬干潟への強引な土砂投入のニュースに胸を痛め、
1月25日(日)の朝8時、昼12時、夕方18時の3回にわたり、
現地で“泡瀬干潟埋め立てによって失われるすべての生き物たち”
に対する供養式をおこなったそうです。
私の宗教的な行事といえば、お葬式やお盆の墓参りくらいなもんですが、
このお坊さんたちの行動を見ると、
どんな宗教も、もともとこういうものなんじゃないかと思う。
人間としての奢りへの戒めとか、他者を大事に思うこととか。
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【お坊さんによるFAX原文】
先日1/15、 「泡瀬干潟の埋め立て」の報道を見て
1人の仏教者として、また一人の人間としていたみと深い悲しみを感じ、
筆を取らずにはいられませんでした。
これは賛否を問うものではありませんので
市役所の方にも、
泡瀬干潟を守る連絡会の方にも
同じ内容を送らせて頂きます。
まず、事業者の皆様おかれましては
「環境に配慮しても、やむなく埋められてしまうサンゴの移植を行った」
とあります が 例え「やむなく」であっても失われたいのち、
またこれから奪っていくいのちに対しては供養すべきと感じました。
また反対されている皆様と、
それ以外の特に行動を行ってこなかった私を含む、すべての人々が、
人間のあくなき欲求が、便利さと快適さをとことん追求するために、
このような現状を生み出した事実もあります。
つまり、泡瀬干潟で失われていくいのちは、
結果として人間全てが加害者です。
つきましては
来る日曜日に3回の供養の仏事を行いたいと考えています。
日曜日ですので工事業務に差し支えないとは思いますが、
仮設橋梁入口の警備員詰所の隣辺りで
小さな焼香台を設け、 私が読経致します。
賛否問わず
「この埋め立て事業によって失われた命を弔う」
という思いのある方は御参列頂きたく お知らせ申し上げます。
沖縄東本願寺 長谷 暢
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泡瀬干潟供養式
今日のできごとがもうUP!!やまたいくん、Goodjobです。すごい。
映像の字幕でも出ていますが、
ここで僧侶より語られた言葉は以下の通り。
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本日ここに、泡瀬干潟の埋め立て工事に伴い失われていく、
すべての生き物たちの「いのち」の供養にあたり、縁ある人々が集い、
その生き物たちを偲びつつ、真実のみの教えに出遇う、
仏縁を結ばれんことをねがい、その思いを申し上げさせていただきます。
それよくよく案ずれば、私たち人間は、果てしない欲望により、
限りなく便利で快適な生活を求めております。
私たちのいのちのために生きとし生けるものを採取し、
我々の血肉となるだけではなく、それ以上のものを常に殺し、
生活しています。
また、少しでも便利になるならば、不必要に自然までも壊しつづけ、
昨今は終にその影響が如実に現れつつあります。
いま、ここ泡瀬干潟においては、わたしたち人間のいたらぬ知恵をもって、
多くの生き物を殺しております。
その加害者の一人として、また、
仏様から「すべてのいのちは尊い」と教えられ、
その教えを生きようとするものとして、ここに懺悔し、
この埋め立て事業によって失われるいのちを弔う儀式を執り行います。
願わくは、仏陀が教える
「私たちはこれ以上貪る必要がなく、足りていることを知れ」
といういのちの教えに耳を傾け、いまを生きる者として、
何を願っているのかをあたらめて問い、
この果てしなき欲求を追い求める生活の中で、
真実の生き方を回復したいものです。
今、このときにあたり、失われていくいのちを供養し、
私たち人間が生き物たちから願われていることに耳を傾け、
すべての生き物を救いたいという阿弥陀仏の本願をよりどころとして、
その深い願いに生きることを誓います。
敬って白す。
二〇〇九年一月二十五日 沖縄東本願寺
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そして、2/2は「世界湿地の日」ということで 、来週日曜日(2/1)には
沖縄式「精霊流し」的な行事を予定しているそうです。
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ここで、KEN子さんblogから一文。
「祈り」は「終わり」ではなく
「反省」と「再生」の気持ちを込めて
これ以上同じような事を繰り返さないよう
私も心から祈ります。
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今現在、どんどん干潟に土砂が入れられている状況ではありますが、
KEN子さんの言葉を借りれば、「祈り」は「終わり」では、ない!
これからです。
泡瀬干潟の埋め立てによって、失われる生き物の「いのち」に、
“人間”が含まれないはずはない(とくにこれからを生きる若い人)。
いのちについてどう考えていて、どう扱っているかで、
人間としての姿勢が表れるのであれば、
行政側、開発側の人々が、自分の家族や子供たちに、
どんなふうに自然やいのちについて語っているんだろう。
すごく、聞いてみたい。
そして、表白(注)にあった、
「私たちはこれ以上貪る必要がなく、足りていることを知れ」という言葉。
みんながそう気付いたら、こんな開発も戦争も無くなると思う。
注=ひょうびゃく/ひょうはく=法会(ほうえ)の始めに、
その趣旨を仏前で読みあげ、
仏法僧の三宝および大衆に告げること。また、その文。
●リンクいろいろ
・泡瀬干潟を守る連絡会
・カクマクシャカblog 1月21日 「awase」より。
子供に残すべきは、僕達が親から残された大事な“沖縄”だ。
コンクリートとお金じゃない。