KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

今日より明日へと

2008-06-30 | Weblog



晴れやかに、

今日より明日へとぼくは進もう。

昨日の午後、ぼくは空に広がる雲の中に、

うっすらとした青空を見上げた。

そうして今日は、晴れ間が広がり、

太陽がぼくを照らしている。


君よ。

嘆くな。

時を待ち、時を創ろう。

じっと耐えながら、

それでも果敢に、成すべきことを成していくのだ。

今日より明日へと地球は運行する。

今日より明日へと生命は変転を遂げていく。

君よ。ぼくよ。

その変転の主体こそぼくらだ。


さわやかに、洗濯物は風に翻り、

真白い雲は、雨など忘れたように漂い、

道を行き交う人たちは、みな快活げだ。


君よ。ぼくよ。

流転のままにではなく、

自ら明日を目指すのだ。

宿業という名の鉄鎖を、

そうしてぎりぎりと打ち砕いていくのだ。



その悩みをぼくによこせ

2008-06-29 | Weblog

ああ、君よ。

君はまだ若く有能だが、

自分の心をまだまだ閉じ込めたままだ。

だからぼくは、いつも先回りをして、

ぼくの経験や学んだことから推し測って、

君が楽に選べる回答を用意したりしているけれど、

何度も何度も繰り返して、結局、君は、

そこにたどり着いたりするのだけれど、

ぼくはいつも、もう一歩先の君の未来を案じている。


ああ、君よ。

君の未来はぼくよりも何倍も開けているのだ。

君の力はぼくの何倍もあるのだ。

今のぼくなら、自分を励ましてやっと投げ倒すことができる課題を、

君なら、決めた瞬間にそれができるのだ。


ぼくは、そのために、君に苦言を述べたりもする。

ほとんどのぼくは笑っているが、

本当は、

ほとんどのぼくは泣いている。

君よ、

その悩みをぼくによこせ。



人生の深遠

2008-06-28 | Weblog

このように人生が流転するなどと、誰が予想できただろう。

母子家庭の貧乏な生活を送りながらも、

勉強が嫌いで、教師には反発してばかりで、

おまけに高校も中退し、

名もないブルーカラーとして社会に出た一人の痩せた男が、

やがてものを書くようになり、世界を知り、

ときに贅を尽くし、ときに欲望に囚われながら、

本を出し、多くの知己を得、

邸を持ち、邸を潰し、

借財に追われるようにして、

裏切られ、精神を病み、

それらを決死で乗り越えて、希望をつかみ取り、

今再びこの神戸に一人生きる。

ああ、人生は、だが、

まだはじまったばかりだという気がしてならない。


そうだとも。

ぼくには、まだまだ成さねばならないことが山のようにある。

ぼくには、まだまだ切り拓くべき地平が待ち構えている。

ぼくには、ぼくの人生は大勝利したと示さなければならない義務がある。

ぼくには、愛する人を幸福にする義務がある。

ぼくには、世界を知りたいという欲求がある。

ぼくには、人類千年先の行末を見つめたいという欲求がある。

ぼくには…、

まだまだ語り足りない思いがあふれるほどにある。

我が道は、洋々と開けている。


人生は深遠だ。

その思いはますます深くなる。

生命の究極にたどり着くまで、

それは夢かもしれないが、

ぼくは生きて生きなければならないと、

ぼく自身が叫んでいる。



スロベニアよ!

2008-06-27 | Weblog
スロベニアよ。

北にオーストリア、南にクロアチア、

西にイタリア、東にハンガリーに囲まれた、

中欧の小さな国。

昨夜ぼくは、あなたたちの歌声を聴いた。

「カルミナ・スロベニカ」女声合唱団。

あえてヨーロッパ音楽的な洗練を廃し、

だが繊細で、大胆で、とても知的だ。

「郷愁」という言葉がぼくの脳裏をよぎる。

故郷への郷愁。

ぼくは神戸にいるというのに。

その郷愁は、恐らくは「人間」そのものへの郷愁だった。

人間という故郷への、たまらないほどの郷愁。

胸を熱くする歌声。

ぼくらは、何と人間から遠ざかっていることかと、

思い知らされるその歌声は、

スベロニアの大地の匂いがして、

ぼくらの魂を揺るがした。


スベロニアよ。

今は発展し行く共和国だが、

その歴史は大国に翻弄され続けてきたという。

その悲しみを、苦しみを、喜びを、

ぼくは生々しく受け取って、帰路に着いた。

スベロニアよ。

懐かしい人間の魂の叫びよ。

確かにぼくは聴いた。

ありあまる悲劇を乗り越えた民衆の歌声を。

ぼくの胸深くに到達する、人間への賛歌を。



君の空は晴れているか

2008-06-25 | Weblog


ぼくはいつも、ぼくの空を見上げる。

じっとりとした梅雨の日々は、空も黒ずんでいる。

けれどもぼくは、じっと空を見上げる。

すると、空の一点に晴れ間が広がってくる。

今日、君の空は晴れているか。

ぼくの空の東側がずいぶんと暗い。

それは明日の太陽をさえぎろうとする働きか。

それとも、君の心の重さの故か。


君よ、今日も苦しみ喘ぐ君よ。

それでもじっと見上げるのだ。

君の空を。

どんな曇天でも、その上には必ず太陽が位置している。

どんな雨もやがては晴れ間に変わる。

祝祭の、生まれたてのような太陽の光は、

きっと大きな虹をつくってくれることだろう。


君よ、下を向かずに、どうか君よ。

今日という日を生きていこう。

負けないで生きていこう。

太陽はきっと輝く。

君の頭上に。

さあ、笑顔でいこう。

その笑顔こそが、太陽を招きよせるのだから。



心を透明にして

2008-06-24 | Weblog

ときにぼくは、心を透明にする。

自分を見つめる目さえ遠くに押しやって、

風に溶け込ませて心を自由に漂わせる。

するとすべてが一瞬に見えてくる。

すべてが一瞬に覚知できる。

動こうとする人の気配。

人の怒りや悲しみや境涯や心の動き。

次の瞬間に何が起きるかということ。


欲望や自我を越えたとき。

そのとき世界を覚知することができる。

欲望や自我はつねに自分にあるものだけれど、

それを飛び越えてみる。

心を透明にする。

それはほんの短時間だけ可能なことだ。

なぜなら普段のぼくは、

自分の欲望や自我の行方をつねに見守っている。

自分を知る上で、それはとても大切なことだから。

そうしてときには鎧を着せて自分を防御する。

心を透明にすることは、

自分を守る防御の一切を取り払うことだ。

だから長い時間はできないけれど、

そのおかげでぼくは、

世界の一端に触れ、知ることができる。

慈悲も無慈悲も、善も悪も、生も死も、

すべては生々しくここに存在しているのだ。



君にありがとう

2008-06-23 | Weblog


君が持ってきてくれた米、

君が釣ってきてくれた魚、

君が送ってくれたレトルト食品、

君が手渡してくれたキャラメル、

みんなみんなありがとう。

ぼくは、君たちに支えられている。


深夜にくれた一本の電話、

朝に入っていた一本のメール、

いつの間にか入っていた着信記録、

君の元気な電話の伝言、

みんなみんなありがとう。

ぼくは、君たちに見守られている。


無慈悲にぼくを突き落とした君、

罵詈雑言で悪態をついた君、

ぼくをだまし抜いた君、

そんな君たちにさえ、ぼくは感謝する。


みんなみんな、今日のぼくをつくるのに必要だった。

ああ、そして、ぼくは何よりも師匠に感謝する。

ぼくの哲学も思想も夢も見聞も知恵も理想も勇気も、

すべては、あなたから頂いたものだった。


なんと多くの、どれほど無類のプレゼントによって、

ぼくは成り立っていることか。

だから今日もぼくは、若々しく未来に向かうのだ。



会いたいだけ

2008-06-21 | Weblog




なんだかんだいったって、あの人に会いたいだけなんだ。


ぼくが六甲の山に向かってそうつぶやくと、


それでいいんだよ、と、山は微笑む。


そうなんだ。


それでいいんだ。


この気持ちを忘れないで、


ぼくは今日を耐え、明日をつくろう。


寂しさも切なさも、みんな希望のみなもとになれと。


いつか胸を張って会える、


その日のために。





君を壊すな

2008-06-20 | Weblog



君は、自分自身なんか壊れたっていい、

なんて思っていないだろうな。

もし少しでも思っているなら、

少しきつい言い方になるが、よく聞いてくれ。


君に、君を壊す権利はない。


なぜなら君に、誰かを壊す権利がないのと同じだからだ。

生命が尊いというなら、君の生命も同じだけ尊い。

自分自身の心に燃え上がる魂の本質をよく見つめるのだ。

それをしないから、君は自分なんか壊れてもいいと思っている。

君自身の本質は、生きようと必死でもがいている。

それを知らなければいけない。


君よ、断固として、生を選べ。

うれしいときも、悲しいときも、苦しいときも。


そのときはじめて君は、

誰かのいのちに勇気や希望を届けることができる。

だから君よ、

生き生きと前進するのだ。

君自身が勇気と希望に輝くのだ。

愛する君よ。


支え合うこと

2008-06-19 | Weblog

友よ。

今日もアパートのドアを叩き、携帯電話を鳴らす友よ。

ぼくはまた、ひとつ気付いたことがある。

あなたたちは、ぼくに胸襟を開き、悩みを打ち明け、

ぼくたちは共に、

悩んだり、怒りを爆発させたり、泣いたり、笑ったりしてきた。

今日までのぼくは、あなたたちに奉仕していると思ってきた。

あなたたちの未来を拓くことが、ぼくの崇高なる目的なのだと。

けれどもそれは思い違いだった。

ぼくは、とんでもなく思い上がっていた。

本当はそんな一方通行ではなかったのだ。

あなたたちは、そのようにすることで、

ぼくの人生により豊かな色彩を与え、

ぼくに生きる力を与え続けてくれていたのだった。

あなたたちの未来を拓くことは、たしかにぼくの崇高なる目的ではある。

だがあなたたちもまた崇高なる者だった。


支え合うこと。

それは弱い人間のすることだと思ってきた。

だが違った。

ぼくが友を信じるということは、

あなたが未来を拓くということは、

ぼくはあなたを頼りにしているということだ。

ぼくと友は支え合っていた。

まぎれもなく人間はそうして生きてきたのだ。


崇高なる友よ。

ぼくはこうしてますますあなたを信じ、

ますますあなたを頼るだろう。

ぼくをぼくたらしめているのは、あなたたちだ。

だからこそ、あなたたちに未来を託すのだ。


ぼくは、あなたたちに深く感謝し続ける。



自己犠牲

2008-06-18 | Weblog

自己中心はよくない。

特定の誰かを中心に太陽なんぞ回ってはいないからだ。

人間の欲望を消費させるための産業は、

いまも根強く残っているが、やがてそれは少数派になる。

あたりまえだ。

それらの産業は人間に奉仕するように見えて、

実は人間の体力や精神力を消耗させているだけだからだ。


だが自己犠牲はどうか。

自分を犠牲にして他者を救う。

その精神の気高さには感服するが、

ぼくは少し待て、と思う。

犠牲になった自己にも、あなたは責任を負っている。

あなたの魂や肉体をあなたは自由に使用する権利がある、

と、ぼくは思わない。

すべてが結び合っているとするなら、

一個の生命は、すべての生命の共有財産ではないか。

他者の生命も、あなたの生命も、同じだけ重い。

自分を犠牲にしてはならない、のではないか。


誰かの笑顔があなたの笑顔を誘う。

誰かの希望があなたの希望である。

誰かの健康はあなたの健康である。

あなたの成長が他者の成長につながる。

あなたの希望が他者にも希望を与えていく。

あなたの勇気が他者にも勇気を沸き立たせていく。

そんな自他ともに歓ぶ世界をこそ、

創造しなければならないのではないか。


誰かが元気を回復するためには、

あなたが病に侵されなければならないとしたら、

それは間違ってはいないか。

ぼくは、そういうやりかたで人類が生き延びるとは思えない。

あえて言うなら、そこにあなたの最後のエゴイズムがあると、

ぼくは勇気を出して言っておきたい。



ぼくが望むもの

2008-06-17 | Weblog



ぼくの望みは、そんなに大きなものじゃない。

ちいさなちいさなものだ。

愛する人と凪ぎの海を見つめながら、

ほっこりと過ごし、

夕暮れの浜辺を手をつないで歩き、

明日も晴れるかな、と言って眠る。

そんなことだ。


けれども本当にそうであるためには、

この空を晴れやかにしなければいけない。

この海を美しくしなければいけない。

隣人が苦しんでいるのを黙って見過ごすことはできない。

食べものが安全であるような仕組みを作らなければいけない。

緑にあふれる地球にしなければいけない。

二度と大きな戦争が起きない世界にしなければいけない。

原水爆やクラスター爆弾などの悪魔の兵器は根絶しなければいけない。

民衆のためになる正しい政治を行う政治家を選ばなければいけない。

子どもたちが生き生きと未来を目指す社会を作らなければいけない。

平和を構築し、みんなの笑顔があふれる社会を作らなければいけない。

自分だけの幸せも、二人だけの幸せも、

この地球上のどこを探してもないんだ。

誰もが幸せをつかむために明るく生きる社会こそ必要なんだ。

誰もが自分らしく生きることができる社会こそ必要なんだ。

そうでなければ、ぼくは、

ぼくの小さな望みさえかなえられないことを知っている。

だったら戦うしかないんだ。

勇気をふりしぼって。


ぼくが見つめる空も海も、

どうしたって世界に通じているんだから。

ぼくの望みは、ぼく一人だけのものではないのだから。


苦しみ

2008-06-16 | Weblog


乗り越えられない苦しみなんてない。

ぼくはそう思う。

頭の芯までアルコールが充満するほどに、

酒を浴びるほど飲んで飲んで、それでも苦しくて。

そんな日をいくつもぼくは過ごしたが、

結局、苦しみは過ぎ去った。


悩んで悩んでもがき苦しみながら、

それでも地を這うようにして進んだこともあった。

生きているから苦しいし悲しいのだと、

死んでしまえばよほど楽だろうと何度も思った。

でも結局、ぼくは生きることを選んだ。

だって人間は、もともとが生きるように仕組まれているんだから。


そしていまぼくは、

いくらあがいても打ち破れない限界に、

それでも爪を立てて挑み続けてはいるが、

ぼくは絶対に勝利すると決めている。


乗り越えられない苦しみなんかない。

乗り越えることができる苦しみしかやってこないんだ。

そうなってる。


勝つと決めた者は勝てる。

敗北は自分の心の中にあるんだ。



子どもたちよ 未来たちよ

2008-06-15 | Weblog

ああ、何ていとおしい子どもたちよ。

疲れた顔をして、

ちょっとはにかんで、

ぼくを見上げる子どもたちよ。

身勝手な大人たちに振り回されて、

それでも文句を言うこともできず、

結局は心を痛めているというのに、

大人たちは気付こうともしないのだ。


君の手は、未来を握りしめているというのに、

自分の都合で、自分を押し付けて、

自分の持ち物かなんかのように振る舞う大人たちのせいで、

その未来は萎縮し、壊れかけさえしている。


そんな馬鹿なことがあるものか。

そんなことが許されていいものか。


大人たちよ。

よく聞くがいい。

子どもを自分の所有物として扱うな。

子どもを自分の矮小な権威とやらに従わせるな。

子どもを自分の腐った世間体とやらで縛りつけるな。

子どもに自分のストレスや不満をぶつけるな。

そんなふうにしながら「お前たちがかわいいから」なんて言うな。

「お前たちがいるから仕方がない」なんて子どものせいにするな。

そんなやつをぼくは絶対に許さない。


子どもは宝石だ。

子どもは地球の未来だ。

大人たちよ。

子どもと真摯に向き合うのだ。

それは自分の未来に向き合うことだ。

子どもの未来を拓くことに尽力するのだ。

子どもの可能性は人類の可能性だ。

子どもを抱きしめることは未来を抱きしめることだ。

ぼくは断固として子どもの側に立つ。

ぼくは断固として愚かな大人たちを攻撃する。

未来軍に勝利をもたらすために!




君は風になる

2008-06-14 | Weblog

美しい風よ、それは君だ。

晴れた日の午後、空には雲が浮かぶ。

それはぼくだ。

君は風になり、ぼくは雲になる。

やがてぼくは空に溶け、

やがてぼくが風になり、

今度は君が雲になる。


生まれては大きくなり、

かたちを変えながら、

小さくなって消えていく雲よ。

どこに溶けていくのか。

空に。

それ自身がひとつの運動だ。

次には君がエネルギーになり、

雲を動かしていく。


ぼくらはそんなふうに繋がっている。

ぼくらはそんなふうに生きている。


君は一人じゃない。