KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

生きるという本質

2008-06-10 | Weblog

君は生きるために産まれてきた。

君は自ら生きようとして産まれてきた。

力をふりしぼって産道を出て、

あらん限りの声で泣いて呼吸をはじめ、

母の手に抱かれた。

生きることは、

君が意識しようがしまいが、

君の、生命たる本質的な意志である。


生を選ぶこと。

生きようとすること。

生き続けようとすること。

それが生命の本質であり本能だ。


しかもそれは君だけの本能ではない。

君が人間であるということは、

君は人類を生きているということだ。

他人なしに君は人間ではいられない。

人類を生きることこそが人間の証だ。

だからこそ言う。

自ら死ぬな。

誰かを殺すな。

自らを生かせ。

困難を越えよ。

非情を払い、情を熱くし、

誰かの幸福につくすのだ。

そこに生きる充足感がある。

幸福がある。

絶対にある。


君よ。

君を裏切るな。

君の生命たる本質を裏切るな。