KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

触れあうこと

2008-06-13 | Weblog



何度も言うけれど、

触れあうことはとても大切だ。

たとえば明け方の夢を思い出せばいい。

皮膚感覚がともなう夢は、

それが夢であったなどとはとても思えないほどだろう。

そのとき人は「もう一つの現実」さえ生きている。

夢と現実を脳は必死でたて別けようと努力するが、

それでも目覚めた後に残るもの。

それが生々しい皮膚感覚だ。

夢は「見る」ものだが、

「聞く」ものでも、「嗅ぐ」ものでも、「味わう」ものでも、

「触れる」ものでもある。

そして、この「触れる」という感覚が、

もっとも夢を生々しくさせる要因だ。


今日のコミュニケーションは実に多様化している。

だがメールよりも電話が、

電話よりもさらに実際に会うことがもっと大切だ。

かりに将来、

バーチャルに立体視し、聞き、嗅ぎ、味わうとこが可能になっても、

触れる感覚さえ擬似体験できるようになっても、

それはすべて「電子」という単一の媒介を通じて行われるものであり、

当然のこととして時間差が生まれ、

「擬似」以上のものを求めることはできない。


まず会うことだ。

まず触れあうことだ。

それこそが生命体同士にとって最重要の交流だ。

それがゆいいつ、

人類を人類として、人間を人間として保つ、

根本的な要素なのだ。

そうぼくは確信する。



この空の下に

2008-06-12 | Weblog



あの雲の下あたりに君はいる。

今日の雲はぼくに似て、

何だか泣いているように見える。

会いたいよ、君に。

切なくて胸が震えるけれど、

思わず涙が落ちそうになるけれど、

ぼくは我慢する。

そうだとも。

ぼくは男だ。

泣いたりなんかしない。

もし電話がかかってきたら、

馬鹿な話をして笑って笑って、

煙に巻いて、自分をだまして。

それでいいんだ。

君が元気なら、

君が笑うなら、

君が明日へと向かうなら、

ぼくは微笑んで、

ぼくも未来を目指すから。



君に目を凝らせ

2008-06-11 | Weblog

自分は何ができるんだろう。

自分には何にもできない。

もし君がそんなふうに思っているなら、

それは、ちょっと違う。


君には好きなことがある。

君にはやってみたいことがある。

できないと思っていただけで、

あきらめていたことがある。


やってみよう。

手を出してみよう。

足を進めてみよう。


やってみる。

すると、すぐに

もっともっとできるすごいやつが現われる。

おっと、そこであきらめるな。

そんなやつが出てきたということは、

そいつがどんなにすごいかを知ることができたということは、

君がすでに動きはじめたということだ。

君のやっていることが目に見えはじめたということだ。

よおし、あいつに追いつけと、

目標が具体化する。

そこからが勝負だ。

やがて君は、

追いかけてきたやつの限界や長所や欠点を知ることになる。

自分にしかできないことを見つけたりもする。

するとさらに、そいつを超えた目標を設定できる。

こうして君は伸びていく。


君には、君にしかできないことがある。

なぜなら君は、君という独自性を生きているからだ。


君自身の内に目を凝らせ。

見えてくるものがある。

そいつを引き出せ。


目標は高いほどいい。

君はどこまでもいける。

ぼくなんかより遥かに上をだ。



生きるという本質

2008-06-10 | Weblog

君は生きるために産まれてきた。

君は自ら生きようとして産まれてきた。

力をふりしぼって産道を出て、

あらん限りの声で泣いて呼吸をはじめ、

母の手に抱かれた。

生きることは、

君が意識しようがしまいが、

君の、生命たる本質的な意志である。


生を選ぶこと。

生きようとすること。

生き続けようとすること。

それが生命の本質であり本能だ。


しかもそれは君だけの本能ではない。

君が人間であるということは、

君は人類を生きているということだ。

他人なしに君は人間ではいられない。

人類を生きることこそが人間の証だ。

だからこそ言う。

自ら死ぬな。

誰かを殺すな。

自らを生かせ。

困難を越えよ。

非情を払い、情を熱くし、

誰かの幸福につくすのだ。

そこに生きる充足感がある。

幸福がある。

絶対にある。


君よ。

君を裏切るな。

君の生命たる本質を裏切るな。


女性の世紀

2008-06-09 | Weblog

女性の世紀が来た。

女性が胸を張って、太陽と共に生きる時代が。

懸命な女性は、勇敢な女性は、

すでに臆病な男性や、権威にすがる男性など、

見向きもせずに走りはじめている。

そんな男性は切り捨てられていく。


ぼくは今でも男らしくありたいと思うが、

それは、女性を見下すこととは一切関係がない。

ぼくは、女性を尊敬する。

自然を育むのは女性の特質だ。

世界に色彩を与えるのは女性だ。

白と黒の世界は終わった。

これからは、あらゆる色彩がきらめく時代だ。

それは女性の活躍なしにありえない。

ぼくにはできないことを女性が行う。

それは当然のことだが、

だからこそ世界には、社会には、女性が必要なのだ。

かつて少なからず気高い女性はいた。

そして今日、多くの女性が同じ道を走りはじめている。

アメリカ大統領の民主党候補からは、

ついにクリントン氏は撤退し、

「もっとも高くてもっとも頑丈なガラスの天井を今回打ち破ることはできなかった」

と表明したが、

それでもガラスの天井は、あとほんの少し、

誰かが指を突けば崩れ落ちるところにまで、

女性は戦い進んだ。

勇敢なる女性たちよ、

ぼくは、あなたがたを懸命に応援する。

そして男性であるぼくが、

何をすべきかを、どうあるべきかを、

世界に問いかけていくだろう。



君という存在

2008-06-08 | Weblog


君の足は、なぜついているのか。

前に進むためだ。

君の手は、なぜついているのか。

何かをつかみ取るためだ。

君の目は、なぜ顔面にあるのか。

前を見つめるためだ。


君よ。

後退とは、きわめて意思的な行為だ。

ライオンは、獲物を見定めるために、ほんのわずか後退する。

それは、いまいちど状況をしっかり確かめて、

間違えなく捕まえるためだ。

かりに退却があったとしても、

それは、困難にぶち当たったとき、

一時的に逃れ、体力を蓄えるためにすぎない。


そうして、ぼくらは獲物をつかみ取る。

そのために手がある。

目もまたしかり。

獲物を捉え、見定めるためだ。


さて、獲物とは、人間においては

未来のことだ。

幸福のことだ。


人間とは、本質的に、本能的に、未来に向かう存在だ。

君の体が、それを見事に証明している。


未来は、幸福は、

必ず存在する。

でなければ、君は、手足や目を持っているはずがない。



希望の木

2008-06-07 | Weblog


木を植えよう。

君の心に。

一本の、希望の木を。

はじめは幼くひ弱だが、

大空にどこまでも伸びろと祈るとき、

やがて木は大樹をめざす。

やがて木は幹を太くし頑丈になり、

やがて木はたくさんの実をつける。

そうして鳥たちが、嬉々として実をついばむだろう。


木を植えよう。

君の心に。

君が植えた希望の木は、

君に大きな収穫をもたらすだけではない。

君の周囲に木陰を作り、

嵐を避ける動物たちが寄りそって、

多くのものの支えとなって、

君が植えた一本の希望の木は、

より多く希望の種子となって、

風に吹かれて、世界に飛び立つのだ。


木を植えよう。

君の心に。

一本の、希望の木を。



ポトスと雨の日

2008-06-05 | Weblog
こんなしっとり雨の日は、

ポトスがみんな喜んでいる。

可愛く凛々しく葉を湿らせて、

大きく大きく伸びている。

昨日よりも葉は開き、

昨日よりも茎は伸び、

明日へ、明日へ、まっしぐら。

親から離れてまだ少し。

だけど若さは素晴らしい。

ポトスよ、ポトス。

大きくなあれ。

ポトスよ、ポトス。

明日をめざせ。


ぼくは水やり怠らず、

しっかり霧吹きしてあげる。

つやつや光る若い葉よ。

まだうす緑の君たちよ。

汚れをしらない君たちよ。


ぼくはこうして励まされ、

ぼくはこうして明日へ向かう。


雨はいやだと思うけど、

君を見てるといいものだ。

そんなふうに心は和み、

ぼくは今日も仕事に励む。


ぼくの友だちは多いけど、

君はいつも横にいて、

勝手に未来をめざしてる。

横目でちらりとぼくを見て、

知らんふりして気にしてて、

明日は晴れるといっている。

未来はすてきといっている。



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君はスプリンター

2008-06-04 | Weblog

君は、テニスの選手か、はたまたスプリンターか。

瞳はめまぐるしく動いているが、

雨の日も嵐の日も、いっぱい洗濯物を干して、

ママチャリに乗って、さっそうと出かけたかと思ったら、

車道に飛び出しそうな子どもを叱り飛ばし、

泣いてる子には頬ずりをして、

ほっとして腰を下ろしコーヒーを飲む暇もなく、

かかってくる電話に出たと思ったら、

メールを受けては投げ返し、

右にも左にも前にも後ろにも動ける体勢で、

手にはラケット、足にはスニーカー。

あたしは万能じゃないのよ、とは言うけれど、

どんな悩みにもけっしてめげず、

走り出したら止まらない。


君はしなやかな人。

凝ってる肩など気にする暇もなくて、

美容室なんて言葉も忘れているほどに、

手足を動かし、くるりと振り向いては、

目の前の誰かに微笑んで、

今日から明日へと、

しっかりと走っていく。


その瞳に太陽は映り、

その髪には天使の輪が生まれ、

美しい人。

それは君。



ネギの子

2008-06-03 | Weblog
ぼくは、どうしても君を食べられない。

ネギの子。

あんまり可愛いから。

ほんの軽い気持ちで、

伸びてきたら食べられるかも、なんて、ちょっと思いながら。

根元まで切っていたのに、

もう、こんなに成長して、子どもまで出てきて、

ぼくはもう、ドキドキしている。

どこまで伸びるんだろう。

もし、まだまだ成長するなら、

土に移しかえてやろうか、なんて、

それでも、まだ食べられなかったら、

ネギ畑でもつくってやろうか、なんて、

勝手に空想をふくらませて。


でも、もし、枯れてきたらどうしよう。

ネギくん。ネギの子どもたち。

毎朝、ぼくは水を取りかえるから、

お日さまにもキチンと当たるようにするから、

虫がつかないように気をくばるから、

どうかこのまま成長してくれ、と、

祈るように、君を見つめて。

ネギくん。

ぼくは、きっと、ずっと、君を食べられない。

ふう。


雨の街で

2008-06-02 | Weblog

雨もまた悪くない。

小雨の中で、しっとりと包まれながら、

ぼくは思う。

君はいないけど。


空を見上げる君。

まぶしくもないのに、手をかざしながら。

怒ってもいないのに、しかめっ面をして。

でもすぐに、まっいいか、なんて笑ってる。

水たまりの波紋を見て、眼を丸くしている。

いやがるぼくの手を引っぱって、雨に中に飛び出そうとする。


そんな君を思いながら、

懐かしさで胸は震えるけれど、

君の体温を、こんなにも感じているから。

雨もまた悪くはない。

君の体温はぼくに移り、

ぼくはまた誰かの心を温かくする。


ちっちゃな君。

どんなに会いたくても会えない君。

こんな日は心も濡れるけれど。

君は笑っているかい?

うん。きっと笑っているよね。


雨の神戸。

ぼくは、ひとり、手をかざして見上げてる。

さあ。今日も働こう。



お日さまの匂い

2008-06-01 | Weblog
最近ぼくは、とっても洗濯が好きになった。

ぐうたらで、掃除もキライで、洗濯なんか1ヶ月に一度くらいで、

な~んにもしたくなかった、このぼくが。

信じられないよね!


それはね。

お日さまが大好きになったからなんだ。

洗濯したあとのTシャツ、バスタオル、シーツ…

そのお日さまの匂いに包まれると、

とっても気持ちがいいって、

すっごく感じるからなんだ。


青空の下に出ると、うーん、って、伸びをしたくなるだろう。

どんなに暑い夏でも、海に行きたくなるだろう。

それは、お日さまが照らしてくれているからなんだ。

サングラスをして、日傘をさして、紫外線よけクリームをつけてでも、

それでも、ぼくらはお日さまの光を浴びようとする。

フシギだな。


でもね。

ぼくらは結局、お日さまに育まれてきた。

生きるってことは、お日さまと一緒に生きるってことなんだ。

そうして自分の心に、熱と光を蓄えていくことなんだ。

お日さまと同じ熱と光を。

そんなふうにして、闇を照らしていこうよ。


ぼくにできることは、もちろん君にもできる。

まずお日さまに照らされて、う~ん、って、伸びをしよう。

そこからはじめよう。


君は決してひとりぽっちじゃない。

ね!