KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

君という存在

2008-06-08 | Weblog


君の足は、なぜついているのか。

前に進むためだ。

君の手は、なぜついているのか。

何かをつかみ取るためだ。

君の目は、なぜ顔面にあるのか。

前を見つめるためだ。


君よ。

後退とは、きわめて意思的な行為だ。

ライオンは、獲物を見定めるために、ほんのわずか後退する。

それは、いまいちど状況をしっかり確かめて、

間違えなく捕まえるためだ。

かりに退却があったとしても、

それは、困難にぶち当たったとき、

一時的に逃れ、体力を蓄えるためにすぎない。


そうして、ぼくらは獲物をつかみ取る。

そのために手がある。

目もまたしかり。

獲物を捉え、見定めるためだ。


さて、獲物とは、人間においては

未来のことだ。

幸福のことだ。


人間とは、本質的に、本能的に、未来に向かう存在だ。

君の体が、それを見事に証明している。


未来は、幸福は、

必ず存在する。

でなければ、君は、手足や目を持っているはずがない。