ときにぼくは、心を透明にする。
自分を見つめる目さえ遠くに押しやって、
風に溶け込ませて心を自由に漂わせる。
するとすべてが一瞬に見えてくる。
すべてが一瞬に覚知できる。
動こうとする人の気配。
人の怒りや悲しみや境涯や心の動き。
次の瞬間に何が起きるかということ。
欲望や自我を越えたとき。
そのとき世界を覚知することができる。
欲望や自我はつねに自分にあるものだけれど、
それを飛び越えてみる。
心を透明にする。
それはほんの短時間だけ可能なことだ。
なぜなら普段のぼくは、
自分の欲望や自我の行方をつねに見守っている。
自分を知る上で、それはとても大切なことだから。
そうしてときには鎧を着せて自分を防御する。
心を透明にすることは、
自分を守る防御の一切を取り払うことだ。
だから長い時間はできないけれど、
そのおかげでぼくは、
世界の一端に触れ、知ることができる。
慈悲も無慈悲も、善も悪も、生も死も、
すべては生々しくここに存在しているのだ。
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