KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

自己犠牲

2008-06-18 | Weblog

自己中心はよくない。

特定の誰かを中心に太陽なんぞ回ってはいないからだ。

人間の欲望を消費させるための産業は、

いまも根強く残っているが、やがてそれは少数派になる。

あたりまえだ。

それらの産業は人間に奉仕するように見えて、

実は人間の体力や精神力を消耗させているだけだからだ。


だが自己犠牲はどうか。

自分を犠牲にして他者を救う。

その精神の気高さには感服するが、

ぼくは少し待て、と思う。

犠牲になった自己にも、あなたは責任を負っている。

あなたの魂や肉体をあなたは自由に使用する権利がある、

と、ぼくは思わない。

すべてが結び合っているとするなら、

一個の生命は、すべての生命の共有財産ではないか。

他者の生命も、あなたの生命も、同じだけ重い。

自分を犠牲にしてはならない、のではないか。


誰かの笑顔があなたの笑顔を誘う。

誰かの希望があなたの希望である。

誰かの健康はあなたの健康である。

あなたの成長が他者の成長につながる。

あなたの希望が他者にも希望を与えていく。

あなたの勇気が他者にも勇気を沸き立たせていく。

そんな自他ともに歓ぶ世界をこそ、

創造しなければならないのではないか。


誰かが元気を回復するためには、

あなたが病に侵されなければならないとしたら、

それは間違ってはいないか。

ぼくは、そういうやりかたで人類が生き延びるとは思えない。

あえて言うなら、そこにあなたの最後のエゴイズムがあると、

ぼくは勇気を出して言っておきたい。