自己中心はよくない。
特定の誰かを中心に太陽なんぞ回ってはいないからだ。
人間の欲望を消費させるための産業は、
いまも根強く残っているが、やがてそれは少数派になる。
あたりまえだ。
それらの産業は人間に奉仕するように見えて、
実は人間の体力や精神力を消耗させているだけだからだ。
だが自己犠牲はどうか。
自分を犠牲にして他者を救う。
その精神の気高さには感服するが、
ぼくは少し待て、と思う。
犠牲になった自己にも、あなたは責任を負っている。
あなたの魂や肉体をあなたは自由に使用する権利がある、
と、ぼくは思わない。
すべてが結び合っているとするなら、
一個の生命は、すべての生命の共有財産ではないか。
他者の生命も、あなたの生命も、同じだけ重い。
自分を犠牲にしてはならない、のではないか。
誰かの笑顔があなたの笑顔を誘う。
誰かの希望があなたの希望である。
誰かの健康はあなたの健康である。
あなたの成長が他者の成長につながる。
あなたの希望が他者にも希望を与えていく。
あなたの勇気が他者にも勇気を沸き立たせていく。
そんな自他ともに歓ぶ世界をこそ、
創造しなければならないのではないか。
誰かが元気を回復するためには、
あなたが病に侵されなければならないとしたら、
それは間違ってはいないか。
ぼくは、そういうやりかたで人類が生き延びるとは思えない。
あえて言うなら、そこにあなたの最後のエゴイズムがあると、
ぼくは勇気を出して言っておきたい。