長田百合子と谷川栄子の健康ブログ

カラダとココロを守る健康術満載! 主婦も必見!

『No.1トヨタのおもてなし レクサス星が丘の奇跡』の裏に  小笠原流礼法あり

2015-11-20 07:15:15 | 礼法
大変ご無沙汰しており、誠に申し訳ありませんでした。
また、久しぶりにブログを再開させていただきます。

さて先日、『No.1トヨタのおもてなし レクサス星が丘の奇跡』(PHP,2014.9.25)
という一冊の本を読みました。
その本の帯には「『お辞儀』ひとつで人生が変わる」とあり、ホテルマンの
ような制服を着たレクサスの警備員さんのお辞儀の写真が載っています。
また、表紙を開けたすぐ裏に、「見返りを期待せずに与えれば必ず返ってくる」
という一文が目に飛び込んできます。

内容は、タイトルや帯のコピーからも大よそ想像がつくのではないかと思いますが、
要するに「おもてなし」の心、気遣い、思いやり…の数々が、レクサス星が丘の
スタッフの皆さんのエピソードを通じて紹介されているのです。

「レクサスでは小笠原流礼法の作法を取り入れている」と聞いていましたが、
本書の中でも小笠原流礼法の「呈茶の作法」が紹介されています。(p.137~139)

今、月一回、うちで開催している小笠原流礼法名古屋教室では、
初級・礼書抄・煎茶道の3クラスがあります。
(詳しくは、http://www.wnf-academy.com/ogasawararyu/ をご参照ください)
初級のメンバーはまだ習い始めて半年程ですが、基本動作を身につけられるよう
毎回、実践的にしっかりと教わっています。
何より先生が素晴らしく、関西支部の山本菱知先生にわざわざおいでいただいています。
「相手に対する敬意と思いやりである『礼儀』を形で表すのが『作法』」ということで、
「なぜそうするのか」という意味を常に考えながら一つ一つの動作を行っています。

レクサスのスタッフの方々は、その作法を自分たちなりに礼儀の心を込めて、
日々実践されているのだと思います。
自分も家族も車を運転しないので、レクサスとご縁が結べることはないでしょうが、
「レクサス星が丘」の前はよく通りますので、今後も是非、注目していきたいと思います。

小笠原流礼法・マナー食事会を終えて(長田ゆり子)

2014-08-05 11:19:07 | 礼法
さて、キャッスルホテルのクラウンで「食事会」を兼ねたマナー教室がありました。
そんな名古屋城の素晴らしい思い出に
ほんの少しばかりの知識を加えて、
より一層素晴らしい思い出になれるように飾ってみたいと思います。

家康は関ヶ原の合戦後、東海道の要塞である尾張国の領主だった福島正則を、
五十万石に加増して安芸国に移しました。

そこへ封じた忠吉は若くして死に、
その後を九男義直が継ぐことになりました。

1610年、豊臣家の二大巨頭といえる福島 正則と加藤清正は、
徳川義直の城、
つまり名古屋城の建築を「手伝う」よう家康から命じられました。

天下普請の 公共事業と言いながら、
手伝えば手伝うほど外様大名の財力を消耗させることになる・・・
名古屋城の建築は正に家康の「真綿で首を絞める策」といえました。

最も働いたとされる加藤清正は、
この後に京の二条城で家康と秀頼の会見に立ち会った帰りの船の中で、
あまりにも呆気ない突然死を遂げます。
まるで謀殺させたようなミステリーによって、
清正は50歳の生涯を閉じることになりました。
やがて息子の代で、幕府の取り潰しにあうことも知らないで。

福島正則も同様、
豊臣家の滅亡後に武家諸法度に違反したと何癖をつけられて
50万石を2万5千石に減封、転封され、
その後に取り潰しにあいました。
幕府がとった処置で少しばかり納得がいくことを上げるなら、
正則 の子どもの正利に旧領から3112石を与えられ
旗本 として生きられたことくらいでしょうか。

そんな悲惨な未来など知る由もなく、
二人の巨頭は、自らの財力を惜しみなく削って名古屋城の建築に精を出しました。

そんな天下の巨城を前にして
徳川将軍家の公式礼法を学んでいる私が
とても静かで平和な時に包まれて
贅沢な料理をいただくことができている・・・

悲しみや苦しみが土台となって創り上げられた「歴史」や「平和」の重さを、
切ないほどの感慨の思いでに浸ったとき
私は今までに味わったことのないような
感無量の思いで満たされていました。

不満など言えるはずもない恵まれた時代に生きられていることに心から感謝して
いついつまでも誰かのお役に立てるように努めなくてはならない・・
そんな使命感でいっぱいになっていました。

尊敬する山本先生や、仲間のみなさまと
貴重な思い出ができたこと・・
平和な時間を共用できましたことに心から感謝し
小笠原流礼法の学習に改めて意欲を持つことができました。

こんな素晴らしい機会をつくってくださった山本先生に
心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。



そして、改めまして皆様、
どうぞ末永くよろしくお願い申し上げます。        

小笠原流礼法の教室(長田ゆり子)

2013-06-19 00:29:50 | 礼法
私は居合道を習っていた時、
徹底的に「歩き」にこだわって練習したことがありました。

足を滑らせるように綺麗に歩けるようになると、
歩くとき、頭が上下にまったく動かなくなるのです。

つまり、台の上に乗って誰かに引っ張ってもらっているような感じで、
すーーっと移動していく・・・

これが本当に美しいというより、不思議な魅力と迫力があって、
そういう歩き方に憧れて
道場を何時間も行ったり来たりして歩いたものでした。
でも、なんといっても「歩き10年」という世界ですから
がんばったって無理なものは無理というもの。

小笠原流礼法も歩き方は一緒です。
居合道の先生も礼法の先生も「履物はつま先が減るのよ」と同じことを言われ、常にそういった歩き方で過ごしていらっしゃるようです。
さすがですね。

ところで、小笠原流礼法の授業で特に面白いことがあります。
谷川先生の歩き方が、極めて「妙」なのです。

彼女は中国に長い間住んでいたため
長距離の自転車走行や歩きはお手のもの。
しかも、驚くほど重い荷物をもってサッサと歩いて行くので、
車で移動がほとんどの私には到底真似できません。

歩幅は極めて大きく男性的
かかとから着地してつま先を付けるといった理想的歩行ですが、
皮肉にも礼法とはまるで逆。

つま先から入って畳に着地して滑るように歩いて行けるよう
真面目に練習されているのですが
どうしても今までの歩き慣れた習慣から
谷川先生のつま先の部分が反りあがってしまい
おくゆかしい物静かな靴歩きしかできないのです。

それを観て何度吹き出しそうになったことか・・
もちろん、そんな私だってまともな歩き方ができるはずもありませんが
小笠原流礼法での谷川先生の歩き方を見ていると、
愛嬌があって実に面白いのです。

小笠原流礼法とは、鎌倉時代から引き継がれた日本文化がありますから
授業は素晴らしい内容なのですが
毎回先生始め、下を向いて笑いを堪える生徒たちが後を絶ちません。

みんな一生懸命覚えようとする気持ちが先に立って
「ロボット人間」のような歩き方になってしまったり、
どっちの足を出そうかと迷った挙げ句に硬直状態になってしまったりするからです。

小笠原流礼法の教室は、意外や「クスクス笑い」が絶えません。
私にとって、今では本当に楽しい(失礼)お稽古事になっています。



小笠原流礼法・名古屋教場(長田ゆり子)

2013-04-02 06:00:09 | 礼法
当学院の一室を使用して、小笠原流礼法を習っています。

三十代の頃、習ってみたいと思い
図書館に出向いていろんな本を調べてみたことがありました。
資料から「小笠原流礼法」とは
なんとも凝り固まって堅苦しい礼儀作法だという印象を持ち
こんな作法は到底習えないとアッサリ諦めてしまって二十年以上が経ちました。
                                        
勿体ないことをしましたが
縁があれば
やがて自然とつながるのですね。

この度ご縁あって
宗家本部理事・高等総師範の山本先生直々に
小笠原流礼法を習えるようになって何だか夢のようです。

習ってみて分かったことは
堅苦しい・・凝り固まっているような作法ではなく
すべてが流れる水の如くなめらかで
まったく無駄のない立ち振る舞い・・
それが美しい身のこなしにつながっています。
見惚れるほど自然で、何一つ不快感なく温かいのです。

礼法は、自分を美しく見せるためのものではありません。
相手を大切に思う心が基底になり
敬い
思いやり
配慮の心を形にして表現したものです。
そういった人を思いやる心遣いや気配りが
「美しい姿」として相手に映るのでしょうね。

写真は月謝袋です。センスの上にのせて納めます。
赤は魔除け、血潮、元気回復の意。白は穢れを祓います。素敵でしょう。
全ては「いついつまでも美しく生きる」ためです。