ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

「母の遺影」

2013-12-08 | エッセイ
2013年12月8日(日)

朝から、和室の整理をした。チチやソフの肖像画はここに・・。
ハハの俳句ノートはこの引き出しに・・。
ダンナの遺影は、小箪笥の上に・・。
そして、もう要らなくなった書類の山・・。
ふ~・・・。
和室がすっかり仏間になったなあ・・。
いろいろと思い出が出てくる。
そこで、今日は、ハハのエッセイを・・。(文中仮名)
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「母の遺影」                            
 母が亡くなった。五年に及ぶ入院で少しずつ衰弱していき、六月に、
「この夏は越せないでしょう」と担当医から伝えられてから一月半、とうとうこの時が来てしまった。
酸素マスクを外された母の顔は、最後の一息を求めているかのように口を大きく開けたままだった。
肺炎を起こし、息をするのが苦しかったのだろう。母の額や頬に触ってみても、もう何の反応もして
くれない。
 病院の霊安室で一晩付き添う間に、母は、刻一刻と冷たくなっていった。やがて、看護師さんたちが
差してくれた頬紅でピンク色になった母の丸い顔は驚いて口を開けている童女のように見えてきて、
可愛らしく、「こんなに子供になってしまって……」と、母に語りかけた。
 翌日の午前中に、母の遺体を東京の菩提寺の一室に安置した。布団に眠るように横たわる母を見ると、
大きく口を開けたままなのが気になってきた。
「この口のまま、あの世に行くのも、なんだかねえ……。おじいちゃんに会うわけだし」
 と、義妹の紀子さんと話し、葬儀屋さんに、母の口を閉じることが出来るか、相談してみた。
葬儀屋さんは、「なんとかなります」と請合い、じきに若い女性のメイク担当者が来てくれた。
彼女は母に一礼すると、母の顎の関節に手をかけ、ぐんと顎を引っ張り出した。それから、
今度は顎先に手を置いて、力をこめて上へ押し上げたのだ。「閉じました」と言うと、彼女は、
メイク道具を取り出した。本格的なメイクを終えた母の顔をしかと見ると、
……そこには、細面の女性の顔があった。それは、なんと、母とはあまり似ていなかった母方の祖母の
顔だった。「いかがでしょう?」と、こちらを窺うメイクさんを前に、私は、
「美人になってしまって、うちのおばあちゃんじゃ無いみたい」
 と、思わず呟き、紀子さんが、急いで、
「こんなに綺麗にしてもらって、ありがとうございました」
 と、お礼を言ってくれた。だが、メイクさんが帰ると、紀子さんも本音が出る。
「お義母さんじゃないみたい」と。
 顔がこうも違うと、母のようで母ではなく、元に戻すことも出来ないし、あまりの成り行きに、
ふたりして、「美人にはなったけれどねえ」と乾いた笑い声をあげるしかなかった。
お寺に到着した弟や甥、姪も、母の顔を見て、「おばあちゃん……?」と首を傾げる。私と紀子さんで
経緯を話し、私は、
「あのね、母方のおばあちゃん、お母さんのお母さんの顔にそっくりよ。似てなかったのにね。
DNAが繋がっているって表に出てきたのよ」
 と、みなを納得させるよう声を強め、弟たちも、「そうだなあ」と、頷いてくれた。
 翌日が通夜ということで、夕方には弟たちが引き上げ、私がもう一晩付きそうことになった。
お線香をあげ、母の顔を見詰めるが、母方の祖母にしか見えず、悲しい気持ちが真っ直ぐ母に向けら
れない。そして、私は、久しぶりにその祖母と母に思いを馳せた。
 戦争で家と、夫(私の祖父)と長男を失った祖母は、戦後の混乱期に、私の母と二人して、
末の息子である叔父を育ててきた。母は、家庭科の教師、看護師、大学の事務員をしたと、
ぽつりぽつり話してくれたことがあったが、どうしてそのように職業を変えていったのだろうか
詳しくは聞いていない。祖母が先に大学の事務に勤めていたようで、祖母の縁故で入ったのだろうか。
その時代を、女二人、きっと強い絆で支えあい、頼りあって乗り越えたのだろうが、結婚前のことを
母は改めて話すようなことは無かった。だから、私も弟もその頃の母のことは、あまりよく知らず、
そしてもう辿ることも出来なくなってしまった。
 祖母は、たまに我が家に泊まりに来たが、父に対しては遠慮がちで、初孫の私に、
「遙ちゃん」と呼びかけてくれた声はいつもとても穏やかだった。朝になると祖母は、丁寧に
お化粧をしていた。主婦になった母が普段はクリームをちょっと塗るくらいだったのに、
祖母はいくつもクリームを塗って、頬紅もつけていた。綺麗になった祖母を、私は、
「おばあちゃんなのに、お化粧をして……」と、違和感を持って見た。
 年を重ねるにつれて母は資生堂の化粧品の愛用者となり、当時の祖母ほどの年となった私も、
今や、お出かけ前にはあれこれ顔に塗ったりぽんぽんとパフで叩いたりが欠かせない。そして、
頬紅を差して鏡を覗いた祖母の姿が懐かしく思い出される。
目の前にお化粧をした祖母そのままの顔がある……。
母は、私の知らない「祖母の娘」の顔になってしまった。
その顔で、母は私達に別れを告げ、祖母のもとへ還って行くのだろうか……。
父親似の私も、いつか、「母の娘」の顔となって、母のもとへ還るのだろうか……。
 翌日、通夜の始まる少し前に叔父一家が来てくれた。叔父も叔母も棺の中の母の顔に戸惑っている
様子で、私が事情を説明すると、従兄弟が、
「確かに、お祖母さんに似ている……。でも、遺影の伯母さんは、僕の知っている伯母さんのお顔です」
 と、祭壇に飾られた母の遺影に目をやった。それは、両親の金婚式の時の写真から選んだものだ。
つられて見上げると、そこに、私の母が微笑んでいた。
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思いもかけないことになったけれど、お葬式は無事に済んだ・・。
お正月が近づくけれど、少し寂しい・・。

夕方、Tさんが京菜と大根を届けてくれた。
さて、何に料理しようかな・・?
コメント
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