研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

ジョージ・ワシントンの憂鬱(3・完)

2005-11-05 20:57:37 | Weblog
アメリカ外交の基本的な型として教科書では、「孤立主義」と「介入主義」とが必ず説明されるわけだが、両者はともに「単独主義」の現れ方の違いであるということに関しては、多くの人々が同意するだろう。そしてこうしたアメリカ外交の起源がジョージ・ワシントンの行った中立政策と「告別の辞」にあったことは、Felix GilbertのTo the Farewell Address.以来の通説となっている。ただし、これが建国当初において自明であったかというと、そうではない。これまでのエントリーで繰り返し書いてきたが、独立戦争における外交戦略は、見事なまでの多国間外交と同盟戦略である。考えてみれば当たり前の話で、そもそもヨーロッパの外交史に単独主義外交などが存在したことがないのだから、ヨーロッパ人であった彼らが単独主義外交を自然に行うはずがない。これには具体的に選択された契機があるのである。

建国当初のアメリカ外交には三つの可能性が存在した。一つはハミルトン派(ハミルトンその人とは違う)による「親英」路線で、これは要するにヨーロッパの国際情勢に積極的に関与することでアメリカの利益の保全と増進をはかる考え方である。もう一つは、トマス・ジェファソンを象徴的存在とする「親仏」路線で、これは共和制の理念に基づくイデオロギッシュな外交路線である。これらに対する第三の可能性が、ワシントンの中立路線であった。この三つが並存していた。

英仏戦争のさなかにワシントンがジョン・ジェイをイギリスに送り込んでイギリスとの紛争を回避したことは先に記した(ジェイ条約)。これは、中立を望むワシントンとハミルトン派の思惑がたまたま一致しただけで、ワシントンの親英感情の表れではもちろんない。ジェイ条約によって、今度はアメリカはフランスの攻撃対象になったわけだが、これを担当したのは第二代大統領のジョン・アダムズである。当時は、政権が代われば閣僚が入れ替わるという習慣がなかったので、アダムズはワシントン政権から閣僚の多くを受け継いだため、アダムズ政権の閣僚は、親英路線のハミルトン派であった。ハミルトン派の閣僚たちは当然イギリスとの事実上の同盟関係のもとにフランスと戦い、それとあわせて国内の親仏派のジェファソン派の一掃を狙った。この時期のジェファソンは、政治的に完全な危機的状況に陥っていた。しかし、アダムズは独断でフランスに和平特使を送り込み、フランスと和平してしまったのである。これによって、今度はハミルトン派の外交路線が崩壊してしまった。アダムズが再選できなかった理由はもちろんここにある。要するに自分の与党を粉砕してしまったわけだから。これをもってアダムズを「無能」と整理するのがアメリカ政治史の通説となっているが、これは無能なのではなく、アダムズが身を挺してワシントンの外交路線を守ったのである。すなわち、アダムズもまた親英路線でも親仏路線でもなかった。外交における中立路線派だったのである。ちなみに、このときフランスとの和平交渉にあたった人々が、モンロー政権期に活躍していて、中でもパリで諜報活動に従事していたジョン・クインジー・アダムズは国務長官としてモンロー・ドクトリンを作成している。

以上をまとめると、建国期アメリカでは、ワシントン政権において親仏路線を断ち切り、アダムズ政権において親英路線を断ち切ったわけである。一言でいうなら、フランクリンが丹精こめて作り上げた外交経路を、初代と第二代の大統領が12年かけてひっくり返したということである。こうした外交と内政が絡み合った政治抗争から多くを学んだジェファソンは、その大統領就任演説において「ヨーロッパ外交から距離を置く」ことを表明することで自らの親仏路線の放棄を宣言し、その政治理念のエネルギーを「大陸国家論」に注ぎ込んだ。すなわち大西洋の向こうに背を向け、西部への膨張を政権の基盤とした。「マニフェスト・デスティニー」の幕開けである。

さて、こうした経緯から建国当初のアメリカの党派構成を再検討してみると、次の三つが大まかに存在していたことが分かる。
① ハミルトン派フェデラリスト:リアル・ポリティックス
② モデレイト・フェデラリスト:国内派
③ ジェファソニアン:普遍的理念的外交政策

いわゆる「フェデラリスト政権」とは①と②とのつかの間の同盟関係であった。「フェデラリスト」と一口に言っても、内部には「国際派」と「国内派」がいたのである。アメリカ政治史では、前者をHamiltonian Federalist、後者をModerate Federalistと呼ぶ。国内派がなぜ、Moderateなのかは分からないが、そういうことになっている。ワシントンはたまたま国際派と政策目標を同じくしていた(ジェイ条約)ので、政治的には傷つかなかったが、アダムズはワシントンと理念を同じくしながら国際派と政策目標が異なっていた(米仏和平)ために、この同盟関係が崩壊したわけである。このフェデラリストの分裂によって、大統領選挙ではジェファソンがアダムズに勝利することになるが、ジェファソンは自らの親仏路線を放棄したことは前述の通りである。

以上の経緯から、建国期において、アメリカの外交思想からは国際派が政治的に葬り去られたことがわかる。アメリカの単独主義外交とは、モデレイト・フェデラリストとジェファソニアンとの合作である。すなわち、国内派の歴史における勝利の帰結であった。

「ベンジャミン・フランクリンの風景」のエントリーで述べたとおり、そもそもアメリカ独立革命は、「外国経験豊富な古い世代」と異なる、「外国経験の乏しい新世代」によってなされたものであった。そして独立後には、その中でもさらに「国内派」の「国際派」に対する勝利によってアメリカ外交の路線が確立したのである。それは、ジョージ・ワシントンという、アメリカ大陸から一歩も出たことのない人物によって始まり、ジョン・アダムズという、豊富な外交経験をもちながらもヨーロッパに反感しかもっていなかった人物によって確立した。そしてそれはジェファソンからモンローにいたるヴァージニアの大統領たちによって理念的な補強がなされた。

「平家・海軍・国際派」という言葉がある。これは日本においてドミナントな勢力にならない人々を指す言葉である。しかし、「平家・海軍・国際派」的なるものがドミナントにならないのは、日本ばかりではない。というのは、「政治」における力の源泉とは土着性だからである。しかし、より積極的にいうならば、共同体にたいする責任は土着的な人物しか担えないのではないかと私は思う。なんとなれば、土着的な人々は、その国土が崩壊すればもう行く先が無いからである。しかし、国際派はそうではない。

ジャン・ジャック・ルソーは、「国際派には用心しろ。彼らは普遍的な人間の義務を語るが、国民の義務にはとんと無関心である」と『エミール』のなかで述べた。究極的な意味で、国際派は国民一般と運命を同じくしていないのである。

ジョージ・ワシントンという人は、アメリカあっての偉人であった。彼がもしヨーロッパに生まれていれば、平凡な騎兵将校としてその人生を終わっていただろう。ジェファソンやハミルトンならば、あるいは歴史に名を残せたかもしれない。しかし、ワシントンはアメリカという風土によってのみ偉大であった。そして、アメリカの政治・外交の慣行は、こういうアメリカでのみ偉大な人物によって打ち立てられたのである。

3 コメント

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国内派と国際派 (M.M.生)
2005-11-24 12:04:38
>>以上の経緯から、建国期において、アメリカの外交思想からは国際派が政治的に葬り去られたことがわかる。アメリカの単独主義外交とは、モデレイト・フェデラリストとジェファソニアンとの合作である。すなわち、国内派の歴史における勝利の帰結であった。



 プロの研究者でない私には、新鮮な説です.今までは、漠然とフェデラリスト=新英派、リパブリカン=新仏派との舞台立てで考えておりましたので.ただ、フェデラリストもリパブリカンも、責任ある政治化なら、あの時点でアメリカの将来を考えれば国内派たらざるを得ませんでしたね.国際社会(それはすなわちヨーロッパ列強のパワーポリティックの世界)のプレイヤーになるには、アメリカの力は(理念はともかく)ひ弱すぎましたから.ハミルトンのあの性急とも思える路線(工業化、国立銀行、常備軍等々)も、英国かぶれと批判されましたが、他国に範を求めれば、英国しかない(その判断は、今から見れば全く正しかったと私には思えるんですが)という国内重視の逆説的反映とも思えます.それが証拠に、ジェファーソンが大統領になっても(司法制度に対する立場は別として)、ハミルトンの政策を随分と踏襲してますから.もっとも、ジェファーソンさん自身は、とんとそういう意識はなかったようで、自分は従来のリパブリカン路線を発展させていると考えていたようですが.どうも不思議な人で、人を欺くというより、自分自身が無意識に変化してしまい、それでいて政治的信条の普遍性を最後まで信じていたひとですね.たえず怒りと不安にさいなまれたジョン.アダムズとは対照的ですが、最後までアメリカに忠実であった偉大な二人でした.やっぱり長生きは得ですね.最後までいろんなメモワールを残せましたから.その点、ハミルトンはお気の毒.その分、後世の人が評価してあげないとね.彼も又、偉大でしたから(なにしろ10ドル札ですから)(笑).





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誤字 (M.N.生)
2005-11-24 16:18:33
すいません.指の調子が悪いのか、誤字がありました.(苦笑)

M.M.生→M.N.生

新英、新仏→親英、親仏

政治化→政治家
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Unknown (オッカム)
2005-12-19 03:25:56
>プロの研究者でない私には、新鮮な説です



はっきりこう主張しちゃってるのは、オッカムだけですので、鵜呑みにしない方が安全かもしれません(笑)。ただ、外交史の専門家ではなく、建国期を専門としている私の目には、そう見えますという話です。



そこで、ハミルトンですね。私は彼を思うとなんとも胸が熱くなるんですよねえ。やっぱり彼は高潔だと思いますね。「ハミルトン派」と「ハミルトンその人」は断じて別だと思います。というのは、実はハミルトンその人は、アダムズのフランスとの和平を一切妨害していないんです。彼もまた、国内分裂を心から心配していたんですね。そもそもワシントンの「告別の辞」を書いたのはハミルトンですからね。本当に誤解される立場というか、やっぱり「役割分担」が建国の父たちの間にあったんでしょうね。



ジェファソンについては、ヘンリー・アダムズが完了したら書きたいと思います。
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