研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

ベンジャミン・フランクリンの風景(3)

2005-07-03 21:11:40 | Weblog
最終的にフランクリンは、北米植民地の独立への決意を固める。彼は、アダムズ、ジェファソンらとともに独立宣言の起草委員となり、ジェファソンの「独立宣言」の草稿の添削者のひとりとなった。ジェファソンの独立宣言の草稿は、名文ではあったがかなり長く、彼の異常な教養と複雑な思考回路がそのまま叩き込まれていた。これにアダムズやフランクリンが容赦なく筆を入れた。ザクザクと削られ、言い回しを修正される様子を見ていたジェファソンはさぞ辛かったろうが、最終的な出来栄えは、多くの添削後の文章がそうであるように、最初の草案より素晴らしかった。異常な教養人の原案をたたき台に、これまた異常な教養人たちが練り上げると、なるほど歴史的文書というものはできるものである。(この独立宣言の作成過程については、明石紀雄先生の『トマス・ジェファソンと「自由の帝国」の理念』のなかに詳細な研究がある。)

フランクリンが、最終的に独立への決意を固めた背景は、要するに「大西洋両岸の二つのイギリス人社会の政治的伝統はもう別のものになってしまっていた」ということに尽きるであろう。北米植民地というまったく新しい環境で160年の間、独自の政治生活をおくってきたのである。このことは、「代表なければ課税されず」という北米植民地側の有名な主張にたいするイギリス側の回答にしめされている。

フレンチ・アンド・インディアン戦争終結以降、「印紙税法」をはじめとしてイギリス本国は植民地統治の必要からさまざまな課税立法を可決してきた。それにたいして、北米植民地の人々は、「自分たちは、ウエストミンスターの庶民院に一人も代表者を送っていなければ、そもそも投票権もないのである。それゆえ、自分たちが代表されていない議会できまった課税立法は受け入れられない。それを押し付けることは専制であり、『イギリス人の自由』にたいする侵害である」と主張した。これが、「代表なければ課税されず」の中身である。教科書におけるアメリカ史の該当部分はこれで終わるが、実はこれにたいするイギリス側の回答がある。

イギリス側の回答者は、長年商務院の委員を務め当時庶民院議員であったソウム・ジェニンズと首相秘書官トマス・ウォタリーである。彼らが展開した議論は、「実質的代表(virtual representation)」の理論である。彼らによれば、英国国内においても、バーミンガムやマンチェスターは、ウエストミンスターに議員を送っていないが、これらは当然に英国議会の立法に服するという。なぜなら、英国議会というところは、イギリス全体の利益を検討する場なのであり、これらの都市の住民がイギリス人である以上、英国議会には「実質的に」代表されているのである、という論法である。彼らによれば、ウエストミンスターから300マイル離れた地域に妥当する論理が、3000マイルはなれた「イギリス人」になぜ妥当しないのかというのである。「お前たち植民者もイギリス人なのだろう?だったら、英国議会は当然お前たちをも実質的に代表している。そうじゃないとしたら、お前たちはイギリス人じゃないということになる。そもそも議会とは、各国の外交官たちが、利益を争う場ではなく、ネイション全体の利益を調整し増進するための場なのである。」という主張である。これは、少々分かりづらいかもしれないが、現代に置き換えるなら、国会議員の「国民代表」の論理である。日本の国会議員は、それぞれ自分の選挙区から選ばれる。しかしながら、いったん議員となった以上、日本国の代表として振舞うべきであるとされる。つまり、各地方選出ではあるが、同じ日本国である以上、その議員は日本国民の利益を体現しているとされるし、体現できるとみなされる。選挙区が小さいのは、候補者の人格を有権者が判定しやすいための便宜であり、日本国民がみな平等であるならば、選挙区が日本のどこにあろうが関係ないのである。議員の代表し得る範囲が日本の領域なのである。同様に、イギリス帝国のどこかから選出された議員は、イギリス帝国全体を代表し得るのであり、北米植民地の人々がイギリス人ならば、当然、英国議会の立法には従うべきであり、それこそがイギリス人の義務であるというのである。

田舎者の植民地人たちの理屈を本国の秀才たちが完封した。こういわれて北米植民地人はたじろいだ。たじろいだが、納得できないのである。理屈で言い負かされながら、それが納得につながらないということは、その理屈が現実や実感を反映していないということである。「イギリス本国の議会は、本当に我々を代表しているのだろうか?我々の利益をイギリス本国は代表し得るのだろうか?」という疑問が鬱々と北米植民地人の心に鬱積していく。3000マイルの海は、両者を別の国民にしてしまっているのではないのか。もっといえば、そもそも北米植民地が独自に構成する植民地議会においては、イギリス側が主張する300マイルの違いは、代表者なくしては代表されてこなかった。北米植民地における代表観念は、実は「直接代表(actual representation)」である。いわば、「地域代表」であり、議会に送り込まれる代表者は、地域の「訓令(Instruction)」に基づいて行動する。これは、現代のアメリカ下院議員は、そうなのである。彼らは連邦議会の議員であるが、選挙区の利益を連邦において代弁する人々なのである。(アメリカにおける直接代表の伝統については、阿部斉先生の『民主主義と公共の概念―アメリカ民主主義の史的展開』(勁草書房、1966年)に詳しい)

この時、「騙されるな!」と喝を入れたのがジョン・アダムズである。アダムズは、「実質的代表なんてものは、観念上の遊びであり、詐欺である」とバッサリと斬って捨てた。知的・文化的コンプレックスを持っていた北米植民地の人々は、これではっと目が覚めた。自分たちには自分たちの政治的伝統があって、それがイギリス本国と違うことが、自分たちの劣等性を意味するわけではないと考えたのである。アダムズのこのドメスティックな叫びにたいして、フランクリンは外交の現場で同じ事を実感せざるを得なかった。印紙税法以降、フランクリンは、なんどもイギリスに渡り、イギリスのエリートたちと交渉を重ねるたびに、彼我の政治的伝統が別のものになっていることを実感せざるを得なかった。まるで別の国のようなのである。一国の主権とは一国に一つである。しかしイギリス帝国には、英国議会と別の考え方をもつ植民地議会が存在する。「国家内国家」は、主権概念と両立できない。だとするなら、北米植民地は、本国にたいし対等ではなく、従属者となる。もし本国が植民地の利益を代表できないならば、植民地はどうなるのか?それに北米植民地のイギリス人は耐えられるのか?

ここにおいて、ドメスティックな愛国派と国際人フランクリンの結論が一致をみたのである。