研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

フェデラリズム余話(2・完)

2006-01-17 06:31:14 | Weblog
政治学で「近代」を考える場合、主題となるのは主権国家についてである。「主権国家」は人類史にとってけっしてメジャーな存在ではない。ある時期、世界のある一角ににわかにできた政治体であるに過ぎない。しかしながら、この政治体は非常に戦争に強かった。「戦争に強い」ということは、福祉にも強いということである。すなわち、領域内のすべての事柄を一元的に支配できるということであり、内部の効率性は、外部への強靭さと軌を一にするのである。これが革命あるいは漸次的民主化をへて「国民国家」に変容して、先進国となった。

「(国民)国家の終焉」だとか、「国民国家の限界」だとかという言葉を聞くと、私は不愉快になる。国民国家以前の人類社会がいったいどれだけの不幸な矛盾を抱えてきたか。ハンナ・アレントは、国家なしの人間には、実質的権利が存在していないということを亡命中の経験から身にしみて理解していた。彼女には、世界主義など実感としてあり得なかった。「もし国家がなかったら」と想像するなら、それは何のことは無い、「力」の世界である。女性の権利も、身障者の権利も、自然状態では存在しない。その証拠に中世以前にはそんなものは無かった。結局権利とは法の問題であり、法に実質を与えるものは国家なのである。自然法などは架空の概念に過ぎないのであって、国家なき法は要するに架空のお話なのである。国家あっての法であり権利である。国家が個人の権利を侵害することはもちろんあり得る。しかし、国家なしには個人の権利は想像上のものでしかない。国家抜きには人間の権利は実質的に存在しない。逆に言えば世界はそれくらい獰猛である。その獰猛な世界の一角を「同じ文化をもつ」と想像し得る人々のカタマリが切り取って、自分たちのための特別な領域を形成したのが国家である。確かに国家には様々な危険な部分がある。しかしながら、そういう危険を矯正し得るのも、国家という単位あってこそなのであって、アナキーでは矯正のしようもない。

こうしてできた、主権国家だが、その性格上形成期はデスポティズム(専制)そのものに見えるわけである。イングランドやフランスのように、国家の領域が長い歴史をへてほぼ確定しつつある場合はなし崩し的に主権国家化が進んでいくが、歴史的条件から事が簡単に進まない地域は多く存在していて、こういう地域では、政治構想の正当化を「デスポティズム批判」によって行っていた。デスポティズムの反対概念は「自由」なわけだが、この自由を実現する手段は、「権力の抑制」であるとされた。権力の抑制の手段には二つあって、それは「混合政体論」と「フェデラリズム」である。この両者はともに単純な集権化が難しい地域に生活していた政治理論家が国家を形成する際の正当化理論として使用していた。

このうち前者の混合政体論は、アメリカ革命のプロセスで近代的三権分立に変容していったということは以前に触れたし、これからどこかで敷衍するだろう。今回の検討課題はフェデラリズムである。

少々古い話をするが、本多勝一が以前アメリカ合衆国を合「州」国と表記していたことをご存知の方は多いだろう。アメリカ史の研究者の中には実際に「合州国」と表記する人もいる。またある研究者は、州が事実上の国家として強力な自立性を有していた南北戦争以前のアメリカを「合州国」とし、南北戦争以降ひとつのネイションになったアメリカを「合衆国」と表記していたりする。しかし私はアメリカにおける「フェデラリズム」の歴史的用法を検討するに、日本語表記は「合衆国」でよろしいと考えている。

アメリカにおいては、「入植以来160年の慣行を温存しますよ」というのが連邦政府形成の条件だったわけである。入植以来の慣行をイギリス本国が侵害したから、アメリカは独立に踏み切ったわけで、アメリカ人にとっての「善き政体」とは「160年来の慣行」なのである。それがたまたま「最寄りの政府(州政府)」に権力の多くを留保するというものであった。ここは、今日の我々がもつアメリカの州-連邦関係に対するイメージとは実は一致していない。今日の我々は、日本の地方自治と比較して、アメリカの州政府の強力さに注目したり、また逆に連邦政府権限が大きくなっている傾向に注目したりするわけだが、建国期のアメリカにおいては、連邦政府という名の「中央政府」というのが圧倒的に不吉な異物だったということの方が大きな問題だったのである。「中央政府」とは建国期のアメリカ人にとっては「イギリス本国政府」のイメージだったのだから。だから、建国の父たちがこれから作ろうとしている連邦政府なるものを正当化しようと思えば、まず「この連邦政府なんてものは、本当にたいした権限はもっていないんですよ。ただ、皆さんの州だけではできない機能(外交など)を補完するための便宜的なものに過ぎないんですよ。これまでの我々の享受してきた自由はほうっておいても永遠に維持されるわけではないのです。連邦政府はあくまでもこれまでの自由を永続化させるための道具なのです」というニュアンスを前面に出すことになる。『ザ・フェデラリスト』を通読してみると、実はけっこう辟易とすることが多い。辟易するというのは、後世の我々は、フェデラリスツの真意を知っていて、彼らははっきりと主権国家を作ろうとしていたのだが、それを政治的理由から粉飾していたのだから。「連邦」という言葉は、フェデラリスツにとっては、後世の我々が考える以上に、「政治的」な配慮に基づく言葉だったのである。後世の我々にとっては、連邦制というのは、一つの政治形態として考察の対象なわけだが、フェデラリスツにとっては、主権国家に向かう「プロセス」だった。アメリカ史は、一貫して連邦権限が強化されていく歴史だったわけだが、それは建国者たちの意図を考えれば当然である。

つまり、州の自立性に主眼があったのではなく、人民の同意やこれまでの慣行を保全するというのが「連邦」という言葉に集約されているので、わざわざ「合州国」と力みかえらずとも「合衆国」という馴染み深い表記でよいと私は考えている。「州の自立性」とは、要するに「人民の自由」を象徴する政治的言葉だったわけで、主眼はあくまで州ではなくピープルだった。ただ、中央政府設立に反対する人々を取り込むのには非常に重要な言葉だったのである。例えば、ジェファソンなどは州の自立性を「条件」に連邦政府という名の中央政府を認めることが出来たのである。

フェデラリズムとは、結局は「架橋の理論」ということである。すなわち、主権国家に向かうに際して、現実に存在する自立的な地域権力を取り込んでいくための暫定的形式である。だから、逆に地域権力の自立性を政治的には配慮してみせることになる。この辺は、EU憲法を作ろうとしている人たちの言説をみればなんとなく想像できるだろう。連邦政府設立に際してなされる言説は、行政の効率性以上に、「人権」を重視するものが多い。地域権力(既存の主権国家)だけでは保全できない人権を連邦の存在によって救い得るのだと。連邦形成者のこうした傾向は、マディソンによる有名な『ザ・フェデラリスト』第10篇以来の伝統である。逆に言えば、連邦それ自体を目指すということは歴史の中では実はなかった。だから、すでに主権国家であるものを連邦化することはまず出来ない。そいういうわけで、道州制が実現する日は来ない。

2 コメント

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Unknown (あしがらにゃんこ)
2006-02-13 04:42:41
「すでに主権国家であるものを連邦化することはまず出来ない。」――ふふふ。考えさせられますな。いつのどのタイプの「主権国家」をイメージしているのか。



私も日本がアメリカタイプの連邦制を実現する可能性は皆無だと思ってます。ただし、連邦制=アメリカ型とは限らないわけで。



連邦制の話を書き始めると長くなるので、また今度ビビンバでも食べながらやりましょう。(って、一体いつになることやら。)
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Unknown (オッカム)
2006-03-23 10:23:05
あしがらにゃんこ様



すんません。

春先の鬱がひどくて、寝込んでました。

ネットそのものから離脱状態でした。

だんだん回復してきたので、リアクションを。



いや、たしかに、スパーンと論理が飛躍しました。

連邦制の歴史というよりは、日本史に対する私の考え方が

グツグツとありまして、「無理だよ」という気分があったんですよね。

ここ、文章にすれば長くなるので、例の韓国料理屋でやりましょう(笑)
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