北海道はなぜ駄目なのだろうか。北海道が駄目な理由を論理的に説明できれば、たぶんいろいろな問題を説明できそうな気がするのだが、正直どこから手をつければよいのか皆目見当がつかない。そこで、補助線を引きながら少しずつ検討したい。長いシリーズになるので、時々触れる話題にしたい。
テレビで日本ハムファイターズに関するローカル放送が流れる時間帯は本当に地獄である。北海道のローカル放送では、日本ハム批判はしてはいけないことになっている。日本ハムの試合を報じる番組では、勝っても負けても、選手たちを絶賛しなければならない。だから、元プロ野球選手の解説者が、ある選手の批判を口にすると、ローカル局のアナウンサーやローカル・タレントは黙り込む。嘘ではない。本当なのだ。本当に黙り込むのだ。そして解説者の批判が終わると、他の出演者はまるで何も聞かなかったかのように、また選手たちの素晴らしさを語り始める。時間の経過とともに、東京から来た解説者も地元の空気を察するようになる。すると彼らも商売だ。今度は満面の笑顔で称賛しかしなくなる。そんな仕事の仕方が楽しいのかと思うが、どうせ彼ら元プロ選手の解説者たちは、東京が本拠地だ。北海道には小遣い稼ぎに来ているだけだから、そんな瑣末なことにこだわる必要はないのだろう。多少鬱屈した気分になっても、どうせ明日には東京だ。しかし、彼らは東京に帰れるが、北海道に取り残される私はどうしたらいいのだ。
昨年(2009年)の開幕戦。その試合の9回表のテレビ中継は異常だった。投手はダルビッシュだったのだが、彼が苦しげに投げている画面の右下に1-3の得点が記され、左上に「ダルビッシュ!あと三人!」という文字が映されていた。たまたまテレビをつけ、9回から中継を見た私は、てっきり日本ハムが1-3で勝っていて、開幕投手のダルビッシュがあと三人で片付けるところなのだと思い込んだ。ところが違うのだ!負けていたのである。しかし、ローカル局のアナウンサーは、ダルビッシュがいかに素晴らしい投球をしているかを力説し、解説者は明らかに戸惑いながら、あいづちを打っていた。ローカル・アナウンサーは、北海道のファンたちの声援がいかに温かく、選手たちのチーム・ワークがいかに美しいかを繰り返し語る。9回裏。日本ハム打線はとうとう追いつくことができなかった。つまり負けた。しかしローカル・アナウンサーの選手たちへの絶賛は途切れることはない。
深夜の民放ローカル枠は、三局が日本ハムとコンサドーレ札幌の特集番組を同時間帯に放送する。もちろん、絶対に批判は行わない。日本ハムの選手へのインタビューは、「気持ち悪い」の一言である。必ず選手に、北海道のファンはいかに温かいかの確認をする。日本ハムの選手はみな聖人のように清く、ダルビッシュなど、好青年の見本のように描写されている。彼の面構えを見る限り、彼がそんな人間ではないことは明らかで、彼自身が北海道のローカル局の人々に辟易としているのも明らかなのだが、この「報道」姿勢はかわらない。しかし選手たちは如才ない。まったく非の打ちどころのない態度で対応している。それはそうだろう。彼らも東京の人たちなのだ。数日我慢すれば済む話なので、現地人の望むような態度に終始する。衝突してまで状況を代える努力をするメリットが彼らには無い。私の苛立ちや焦燥を何とかする義務など、選手たちにあるはずがないのだ(当たり前だ)。
本州の人々には信じてもらえないだろうが、(皆様から見て)津軽海峡の向こう側では、こんな映像が本当に存在するのである。21世紀になって10年が経つ現在に。
ここに北海道とはどういう土地柄なのかを示すヒントがあるように思う。東京とはもちろん違うのはよいとして、京阪神地域の阪神タイガースへの姿勢と比較しても何かが根本的に異なるのも明らかだ。「違う」のではない。「遅れている」のだ。前近代的な暗黒が、この土地にはあるとしか言いようがない。
キーワードは、たぶんコロニーだ。
テレビで日本ハムファイターズに関するローカル放送が流れる時間帯は本当に地獄である。北海道のローカル放送では、日本ハム批判はしてはいけないことになっている。日本ハムの試合を報じる番組では、勝っても負けても、選手たちを絶賛しなければならない。だから、元プロ野球選手の解説者が、ある選手の批判を口にすると、ローカル局のアナウンサーやローカル・タレントは黙り込む。嘘ではない。本当なのだ。本当に黙り込むのだ。そして解説者の批判が終わると、他の出演者はまるで何も聞かなかったかのように、また選手たちの素晴らしさを語り始める。時間の経過とともに、東京から来た解説者も地元の空気を察するようになる。すると彼らも商売だ。今度は満面の笑顔で称賛しかしなくなる。そんな仕事の仕方が楽しいのかと思うが、どうせ彼ら元プロ選手の解説者たちは、東京が本拠地だ。北海道には小遣い稼ぎに来ているだけだから、そんな瑣末なことにこだわる必要はないのだろう。多少鬱屈した気分になっても、どうせ明日には東京だ。しかし、彼らは東京に帰れるが、北海道に取り残される私はどうしたらいいのだ。
昨年(2009年)の開幕戦。その試合の9回表のテレビ中継は異常だった。投手はダルビッシュだったのだが、彼が苦しげに投げている画面の右下に1-3の得点が記され、左上に「ダルビッシュ!あと三人!」という文字が映されていた。たまたまテレビをつけ、9回から中継を見た私は、てっきり日本ハムが1-3で勝っていて、開幕投手のダルビッシュがあと三人で片付けるところなのだと思い込んだ。ところが違うのだ!負けていたのである。しかし、ローカル局のアナウンサーは、ダルビッシュがいかに素晴らしい投球をしているかを力説し、解説者は明らかに戸惑いながら、あいづちを打っていた。ローカル・アナウンサーは、北海道のファンたちの声援がいかに温かく、選手たちのチーム・ワークがいかに美しいかを繰り返し語る。9回裏。日本ハム打線はとうとう追いつくことができなかった。つまり負けた。しかしローカル・アナウンサーの選手たちへの絶賛は途切れることはない。
深夜の民放ローカル枠は、三局が日本ハムとコンサドーレ札幌の特集番組を同時間帯に放送する。もちろん、絶対に批判は行わない。日本ハムの選手へのインタビューは、「気持ち悪い」の一言である。必ず選手に、北海道のファンはいかに温かいかの確認をする。日本ハムの選手はみな聖人のように清く、ダルビッシュなど、好青年の見本のように描写されている。彼の面構えを見る限り、彼がそんな人間ではないことは明らかで、彼自身が北海道のローカル局の人々に辟易としているのも明らかなのだが、この「報道」姿勢はかわらない。しかし選手たちは如才ない。まったく非の打ちどころのない態度で対応している。それはそうだろう。彼らも東京の人たちなのだ。数日我慢すれば済む話なので、現地人の望むような態度に終始する。衝突してまで状況を代える努力をするメリットが彼らには無い。私の苛立ちや焦燥を何とかする義務など、選手たちにあるはずがないのだ(当たり前だ)。
本州の人々には信じてもらえないだろうが、(皆様から見て)津軽海峡の向こう側では、こんな映像が本当に存在するのである。21世紀になって10年が経つ現在に。
ここに北海道とはどういう土地柄なのかを示すヒントがあるように思う。東京とはもちろん違うのはよいとして、京阪神地域の阪神タイガースへの姿勢と比較しても何かが根本的に異なるのも明らかだ。「違う」のではない。「遅れている」のだ。前近代的な暗黒が、この土地にはあるとしか言いようがない。
キーワードは、たぶんコロニーだ。
プロスポーツチームのある地域だとこの手の番組はよく見かけます。
もうひとつは、「例えば野球」の話しということ。
北海道では、批判をしずらいと言う一般的な話しとご理解頂ければと思います。
世界の王さんに卵をぶつけるような福岡のファンなんかよりよっぽどマシかと思います。
プロ野球に関しては、私は福岡RKBの中西一清さんの番組をPodcastで聞いてますが、ソフトバンク・ホークスを手放しで賞賛するというようなことはないんですよね。そもそも地元サポータなんて欧州サッカーを見ていれば、手厳しいくらいがいいのかもしれません。
YOSAKOIに関しては、ウンザリしている声はよく聞くのですが(札幌市民は特に)、周りに参加している人もいるので、大っぴらに悪口も言えない訳でして。YOSAKOIがヤンキー(北部人ではない)文化と融合してしまったことで、非常に残念なものになってしまったなぁと個人的には思います。
北海道論、続きを期待しています。