映画に 乾杯! / 知の彷徨者(さまよいびと)

名作映画に描かれている人物、物語、事件、時代背景などについて思いをめぐらせ、社会史的な視点で考察します。

世界金融の黙示録 2

2010-06-05 16:41:48 | 世界経済
編外 「日本化」する世界金融

はじめに

 ここでいう「金融の日本化」とは、産業経済の高度な発展ののち産業成長全般が停滞し、新産業の成長も大したことがなく、金融資金の投資対象分野の成長が見られなくなる結果、金融資産の増殖条件が枯渇していく状態のことを意味する。
 金融資産が過剰に蓄積した結果、十分な利ザヤ稼ぎの部面がなくなっていくわけだ。
 一方、過剰な金融膨張=バブルの破綻の結果として、金融機関は投資リスクの縮減を余儀なくされた。そうなると、経済成長や新業種育成には多かれ少なかれリスクがともなうことから、リスク回避のあまり、産業全般に十分に資金が循環しなくなる。
 こうして、金融機関の内部には「金余り」、一般企業では「資金不足」というパラドクスが絡み合って進行し続ける。
 その結果、低金利ないしはゼロ金利状態がもたらされる。
 世界金融の日本化とは、先頃の金融危機ののち、各国金融市場で膨大な財政資金の供給の継続とともに、金利低減が政策として追求され、その後も資金面から見て厳しい経営環境が解消しないために、低金利状態が持続し、さらに何らかのリスク・危機の手出現をきっかけとして金利が低落していく状態を意味する。
 一方で行き場を失った過剰な投資資金・投機資金が蓄積され、他方で一般企業の成長停滞と資金不足が持続する。
 だが、投資(投機)資金を預託された以上、利ザヤ稼ぎの場面をどこかにでっち上げなければ飯の種がなくなり、いずれ利ザヤ稼ぎの元手がなくなる金融企業は、金融規制の網の破れ目や不備な場所を見つけては、リスクの高い投機を繰り返すしかない。
 こうして、しだいにリスク要因が累積して、いずれ破綻や没落を免れない活動にのめり込み続けるしかない。

 今回出現したリスクは小さな規模のものだった。ギリシャの財政破綻(の見込み)だ。だが、この線香花火の火花のような危機は、金融循環の連鎖のなかで、世界経済を吹き飛ばすかもしれない大型火薬庫まで導火線がつながっている気配である。

1 兆候

 先頃、ヨーロッパの上空をアイスランドの活火山から噴出した火山灰・噴煙がうっすらと覆い尽くしたという。ヨーロッパに乗り入れている世界の航空業界は深刻な混乱に陥り、航空便によって輸送されている人や財貨、資源、資金などの移動流通が停滞した。
 この「空の混乱」が続いていた時期に、ヨーロッパの地上では、規模は小さいが根が深い金融・財政危機がヨーロッパの経済構造を撹乱し始めていた。
 ギリシャ政府の財政危機だ。
 EUのなかでは、実に小さい「取るに足りない」ような国家でのできごとだった。EUの総人口の40分の1の人口と観光業以外にはさしたる産業がない貧しい国民の。
 西ヨーロッパを中心とするEUの経済・金融・財政構造にとっては、一見、それほど大きな意味を持たないような、貧弱な地方のできごとだった。
 ところが、EUはこの小さな国家とその財政機構を、その脆弱さを知りながら、全ヨーロッパ的規模での共通通貨システム=ユーロの運営・循環システムに取り込んでしまった。
 おそらくは「足手まとい」で1つの危機要因となるであろうことを知りながら、この国に通貨統合への十分な準備がないことを承知しながら、ヨーロッパの一時の政治的雰囲気にのまれて。

●通貨システムと政治システム●

 世界経済のなかでの金融=財政システムの歴史を省察するとき、通貨システムというのは、政治権力や統治レジームにとって決定的・死活的な意味を持つ存在であることがわかる。国家権力の存立と運営にとっては、国家が統治支配する社会空間から経済的剰余を中央政府の財政(「国庫」)に集めるために、そして政府財政に集められた膨大な資金=資源を経済社会に配分・投入して社会の再生産循環を誘導ないし組織化することが、不可欠である。
 そもそも、まず何よりも、中央政府・統治組織(国家装置)に人や資源、資金、情報を集めて組織しなければならない。軍を含めた中央官庁の施設や建物、人員、情報通信装置を調達配置し、動かすためには膨大な資金が必要だ。

 ひとつの国家が政治的・軍事的単位として安定して成立するためには、領土内の社会空間全域にわたって強制的に妥当・流通する通貨が不可欠である。まさに、ある国民国家が独自の政治体として統合されていく過程では、それまでいくつもに分断されていた多数の通貨圏と課税圏、関税圏を統合していかなければならなかった。
 イングランドしかり、フランスしかり、アメリカしかりだった。とりわけ、そのことが明白ななのは、ドイツの歴史である。

 19世紀半ばまで、ドイツは多数の通貨圏、関税圏=課税圏に分断されていた。プロイセンとオーストリアは、中央ヨーロッパの政治的統合の覇者になろうとして、18世紀以来、つねに敵対し合い、競争し、戦争を戦った。勝ち残ったのは、プロイセンを中核とする北ドイツの通貨同盟と関税同盟だった。
 それがドイツ諸地方の政治的・軍事的統合の、最大にして最終的な契機となった。

 19世紀半ばから後半のドイツでの通貨統合と関税統合が成功して、やがては世界覇権をめぐってヨーロッパ全域を戦争に巻き込むほどの「強国」が生み出されたのは、統合過程の中核として機能するプロイセンという恐ろしくアグレッシヴで戦術巧みな政治的・軍事的単位があったからだ。
 ブリテンの援助と、その後の黙認を受けながら、中央ヨーロッパで地域覇権を握ったプロイセンは、周囲の多数の弱小領邦に統合への参加、すなわち編合吸収を強迫したのだ。プロイセンの支配的・指導的地位を受け入れて、つまりは従属を受け入れながら、統合して強大化するはずの国家として、いくぶんかの利益配分を受けることを。

 つまり、ドイツの通貨=関税統合では、政治的発言権と軍事力における強制=強迫の契機が決定的に重要だった。統合への参加国が、「対等性」とか「民主主義」の原則で集合し、利害の調整をしたわけではない。

 しかし、EUは、世界的規模で「民主主義」とか「対等性」が建前上、国家間関係の基本原理となった時代に、関税同盟、租税同盟からさらに通貨同盟をめざして政治や行政、立法、司法などの仕組みを調整・統合していかなかればならなかった。
 それは、国民国家に集約=独占されていた統治機能=国家装置機能を、部分的に段階的に、共通の組織制度に委譲していく実験=過程であった。

 ところで、さしあたりヨーロッパには、合衆国を中核とする軍事同盟=NATO(北大西洋同盟と呼ぶ)が抜きがたく存在してきたから、最初6か国から始まったEECは、西ヨーロッパの統合の最終目標を「政治的同盟・通貨同盟」に置いた。「軍事的同盟」は、ドゥゴールのフランスとNATOの絡み合いの問題もあって、ペンディングしておいた。
 つまりは、そもそもは、ヨーロッパ統合がかなり進展して政治的統合が一定程度達成された段階で、最も困難な通貨同盟に進む計画だった。そのくらい通貨統合は難しい課題だったのだ。

 ところが、1980年代末(すなわち東欧やソ連のレジームが次々に崩壊していく局面)からの世界とヨーロッパの政治的雰囲気のなかで、国ごとの相違や格差、ことに財政運営や経済・金融構造に懸隔がある状況を冷静にに分析することを拒否して、準備段階を経ずに、ヨーロッパ統合の範囲(参加メンバー)を一挙に広げ、あわただしく通貨統合にまで進んでしまった。
 ただし、通貨同盟への参加資格を評価するための「財政運営の基準」を捏ね上げて、参加資格を「審査」した。だが、「合格」のレッテルを張りつける準備でしかなかった。
 地中海ヨーロッパの常態として、庇護と癒着、財政配分における腐敗や癒着、買収や賄賂、横流しによる財政分配がギリシャの「専売特許」だった。軍事政権独裁が続いてきて、まともな国家財政の運営の規律も経験もない国家だった。富裕層は政府の財政機構や上級官僚と人脈的・家系的に癒着・融合していて、彼らの資産や所得が課税・徴税から巧妙に免れているという伝統がしっかり根付いている。
 EUへの加盟の条件として統治レジームの民主主義が必要とされているが、ギリシャについて言えば、実際の財政運営や課税制度では民主主義とは程遠い状態にある。にもかかわらず、EUに加盟してしまった。事情は、東欧諸国家についても同じである。

●通貨権力の基盤●

 国家の中央政府がドルとか円とか、ポンドとかの国民的通貨を発行できるのは、中央政府の金融財政装置が領土内で圧倒的な量の準備貨幣(通貨ではない貨幣=貴金属)を支配・保有しているからだ。いくら政府の強制権力を行使しても、準備貨幣を支配していなければ、通貨を発行しても信認されない。
 ヨーロッパでは、もともとはこの機能を担っていたのは、法制度としての政府組織ではなく、市中の金融商人とその団体だった。だから、国民国家ができ上がるためには、中央政権はその域内の最有力の金融資本(商業資本)グループと癒着・結託する必要があった。それゆえ、19世紀までのヨーロッパ国民国家の財政運営は、すべからく政府が依存する特殊な金融商人グループの利害に沿っておこなわれていた。
 たとえばイングランド銀行。この銀行は、議会の統制と監視を受けながら(というよりも議院とシティの金融資本との利害共同化によって)、政府財政の調達(国債発行と税収の管理)を担ってきた。この銀行は、王権から独占的特許状を与えられたシティの金融商人団体にほかならなかった。
 イングランド銀行は、第2次世界戦争後の深刻な財政金融危機からいち早く復興するために労働党政権によって「国有化」されたが、それまでは、シティ(世界で最大・最強)の金融グループの利害に直接的に連動した国家財政の運営・運用をおこなってきた。彼らが、パクスブリタニカのもとで世界的規模で組織された金融循環ネットワークや貿易ネットワーク、工業支配のメカニズムを支配統制している限り、シティの利害が「国民=国家の利害」だったのだ。
 この権力構造=共同主観に、政治的に意味のあるほどの異議申し立てをおこなうことができる階級や団体組織はいなかった。
 そして彼らこそが、アメリカが急速に台頭するまで、世界で最大の準備貨幣=貴金属の保有者であり、最終的な決済手段としての貴金属の配分や循環をめぐって地球で最有力の支配権を握っていたのだ。

 この点に関して、「アジアの後発国」=日本の住民たちの認識は、おそろしく一面的である。どういうことかというと、国家=中央政府肝いりの「中央銀行」が「はじめにありき」という認識や意識を当たり前だと信じているということだ。
 つまり、国家の通貨システムには、はじめから公(おおやけ)の中央銀行があるのだという思い込みを抱いている。
 ところが事実は違うのだ。「王様やお代官様が有力商人と癒着結託して甘い汁を吸いまくる」という仕組みこそが、国家とその財政運営の創出過程のありようなのだった。はじめっから、国家と財政は、特権的な商業資本・金融資本グループの利害によって構造化されてきたのだ。
 だから、少なくとも20世紀末ごろまではどんなにひどくても、財政は「民主化」されてきたのだ。すなわち「公平で公共的な」という仮面=外被をかぶれるくらいには。
 国家の財政運営は、本来すこぶる偏っていて不公平で敵対的で、階級格差が歴然としたものなのだ。収奪と搾取のメカニズムである。「ないところからむしり取って、あるところに集める(集積する)」メカニズムなのである。幻想を抱いてはいけない。課税の公平性なぞというものは、いまだかつて、地球のどこでも実現したことがない。

 そもそも王権や中央政府の通貨権力は、自らの権力がおよぶ地理空間にわたって、ほかの勢力による造幣=通貨発行を禁圧し抑圧して、造幣機能を独占してきたことの成果なのである。とはいえ、王権や政府は、自ら貴金属の調達や鋳造・刻印、あるいは量目や品質の管理などをおこなう実務能力がなかったので、造幣権力を特殊な商人(彼らは金細工工房を支配している)に委託したのだ。高額の運上金の支払いと引き換えに、貨幣鋳造の実務をおこない莫大な利益を獲得する特権を付与したのだ。

 それが、しだいに国家の中央政府の強大化とともに、通貨権力を国家=中央政府が一般の金融資本から独立して独占するという共同主観ができ上がってきたのだ。ことに第2次世界戦争後、荒廃したヨーロッパの復興と経済成長のために「管理通貨制度」が確立されていった。
 中央政府からは形式上は独立した中央銀行や準備貨幣管理機関が、貨幣=貴金属の圧倒的部分を独占するという仕組みがいきわたるようになった。
 それにしても、通貨主権の本質は、国家装置をつうじて結集した《国民資本:NationalKapital》の権力である。有力な金融資本ないしは国家装置が準備貨幣を支配独占し、造幣権=発券権限を独占しているという状態を基礎としている。 

 以上の歴史は、単一の国家の内部で展開した過程だった。
 ところが、EUは諸国家からなる関税同盟・経済同盟でしかない。参加諸国家間の支配=従属関係が、建前上、許されない制度である。それゆえ、そこでは、従来の「通貨制度」とは異なる通貨が制度化されなければならなかった。

 すでにほかのブログ記事で述べたように、国民国家という存在は、経済的には単一のシステムをなす世界経済の政治的・軍事的な分割=下位区分状態であって、非自立的な構成単位でしかない。とはいえ、相体的に自立的な分割単位である。
 世界経済のなかの諸国家同盟としてのEUは、全体としてこの世界システムの内部で構造制約を受けている。法的には主権を備えた独立国家どうしの統合は、EUという共同の組織に主権の一定部分を移譲することによって実現される。
 もとより、あらゆる国家は、外観上、法的には自立した政治的単位だが、世界経済のヒエラルヒーのなかに組み込まれていて、支配=従属関係のどこかに位置づけられている。経済的再生産連関において、単独で自立できる国家は1つもない。ことにヨーロッパでは、ほとんどの国家は軍事的にアメリカ合衆国に従属している。NATOという軍事同盟組織をつうじて。
 だから、自発的にか強制的にかは別として、アメリカ以外のあらゆるヨーロッパ諸国家は、すでに主権や独立の制限や剥奪を受けているのである。が、EUは原則上、参加国家の自発性にもとづいて統合=同盟を形成していく建前になっている。もちろん、法制上のフィクションにすぎないが。 

●EU個別国家の財政運営・財政事情とユーロ●

 EUにおける通貨統合=通貨同盟構築には大きな困難がつきまとっていた。というのも、単一の通貨同盟(通貨圏)への統合は、最優位に立つ支配的な政治単位によってほかのあらゆる国家の財政主権が奪われ解消されることを不可欠の条件とするからだ。ところが、EUは構成諸国家の自発的意思による主権の部分的な放棄・相互委譲によって、つまりは法的に主権をもつ国家のあいだの政策調整・制度調整によって、共通通貨制度への統合をはかっているからだ。
 つまりは、「ヨーロッパ合衆国」の単一の国家財政システムの構築なしには、単一=共通通貨への統合は実現されないものなのだ。
 現在のところ、EU諸国家の財政の単一財政機構への統合は、その計画すらはかられていない。にもかかわらず、ユーロという共通通貨への同盟を制度的におこなった。権力装置としての通貨システムの必要条件を満たしていないにもかかかわらず。

 なぜ、いかにして共通通貨の導入を達成したのだろうか。
 いくつかの擬制・擬態の政策・制度を設定して、フィクシャス(仮構的)にユーロの発行と運用の仕組みをつくりあげたのだ。ということは、これらの擬制(かりそめの政策調整装置)がまともに機能しなければ、通貨ユーロの貨幣機能は麻痺するか、信認が大きく没落するか、いずれかの結果になる。それは避けられない。

 さて、その調整政策とはどういうものか。
 政府財政の運営方法の共通化と傾向の収斂である。つまりは、財政運営に共通の約束事を設定して、共通基準にしたがって財政を運営するというものだ。
 端的には、各国の年度ごとの財政赤字の規模と比率に制限を設けるというものだ。当然のことながら、各国の公債の発行額にも限度を設けることになる。

 この政策は、ECの構成国が「先進6か国」までだった時期の経験をもとにしている。
 世界経済のなかでの地位が似通った諸国家、国内の政治制度がまあ近似している諸国家からECが構成されている頃の状況を前提としている。
 ところが、その後ECは拡大し、EUへと制度的外被を改めた。構成メンバーも大幅に増えた。以前は経済的に停滞的であった(後進的なのでその分将来の成長が期待される)諸国家(スペインやポルトガル、アイアランド、ギリシャ)さらには「社会主義的レジーム」のもとで危機的なまでに経済が脆弱だった東ヨーロッパも参加した。
 将来の経済成長率が期待されたのだろうか。すでに発達して停滞局面に入った西ヨーロッパに比べて新たな投資場面があると。
 西ヨーロッパでは金融資金が過剰だが、投資先市場がない。東ヨーロッパではこれから産業成長をはかる必要があるが、資本の蓄積が貧弱だから?

 理由はいろいろだが、そういう環境のなかで、ユーロの導入が実行されていった。
 EU加盟国は、審査基準(基本的に財政赤字の規模・比率が基準内に収まること。黒字ならなお結構)を満たせば、あとは国民投票などでユーロへの参加意思が多数派を占めて政府の方針が決定されれば、共通通貨への同盟が可能になる。そこで、各国政府は厳格な管理・抑制によって収支均衡の財政支出を持続させることになる。
 そうなると、政府の支出予算には「大ナタ」が振るわれ続けることになる。産業保護・育成のための公共投資は絞られ、弱小産業(小企業)への財政支援は切りつめられる。福祉関係予算も削られる。しかも、税収は増やさなければならないから、増税傾向となる。とにかく、政府財政の収入を増やして支出を削るしかない。
 だが、これは、政権の支持基盤を掘り崩しかねない賭けである。多数派市民の同意を調達しなければならない。

 これは、政権や政府機関に対する市民の批判や監視の仕組みが整っている国家の場合でもそうだということだ。高度な制度としての民主主義が整っている場合だ。つまり、政権による財政資金がある程度トレイサブルな場合だ。
 ところが、ギリシャはどうだったか。
 乱脈を極める状態だった。富豪や大企業は政権あるいは地方政府と癒着して、脱税と等しいような節税や優遇を受け、それでもようやく国庫に集まった資金のかなりの部分が特権階層や特権団体に分配されて消えてしまう。高級官僚が権限をかさにこういう仕組みを率先して組織化している。
 恩顧と庇護のシステムが幅を利かせている。
 これにかかわる政治過程た政策は個別国家の主権として保護され、ほかの構成国やEUによる監視や干渉から免れている。
 それをいいことに、ギリシャはEUに虚偽の財政報告を続けた。うわべを糊塗した国家財政諸表を提出して、ユーロへの参加資格を認定してもらった。
 だが、それは次の経済危機が来るまではばれなかった。

●投機筋のたくらみ●

 さて、いまや国債市場も国際化し、国債の利率や格付けの変化にともなう「リスクをヘッジ」するという名目で「先物取引」が導入されている。つまりは、国債の格付けや利回りをサイコロの目とする賭博ゲイムが世界的規模で横行している。
 投機市場だから、証拠金取引や「カラ売り」もやり放題だ。
 その結果、国債の評価低下という特定の国家の財政危機に直結する事態によって、しこたま利ザヤを稼ぐ投機市場が、堂々とまかり通っているわけだ。場合によっては、投機筋が示し合わせて多数派が一斉に国債の放出をおこなえば、特定の国債の利率は跳ね上がり、格付けは低落する。
 そのオペレイションで大儲けできるのだ。とはいえ、それは、カードゲイムの1巡目だけの「勝ち」であって、2巡目はない。金融決済と信用の連鎖は、儲けた会社と損したところとが必ずつながっているからだ。2巡目は金融崩壊・信用崩壊の津波が来る。

 ギリシャの乱脈財政は、財政金融筋では誰でも知っている有名な事実だ。

 数年前、世界金融危機が明白化し、その後、各国の緊急財政出動が繰り広げられていくと、「賢い金融筋」は、いずれ財政が逼迫しているギリシャの財政危機は避けられないし、そうなればユーロとEU域内金融市場の危機はやって来るだろうと読んでいたかもしれない。
 示し合わせはなかったかもしれないが、ギリシャの財政危機の兆候の発現を待って、投機市場で荒稼ぎを始めたところがあった。どうせ危機は来るのだ、余波をまともにかぶる前に、売り抜けて利ザヤを目いっぱい稼いでおこうとしたのか。
 それにしても、このオペレイションは危機の発現を加速し、増幅・深刻化した。

 そういう筋は、危機の情報が金融市場を駆けめぐると、ユーロの信認低下(暴落とまでrは言えないが)をも当然予期しただろう。レイトの変動から利ザヤを稼ぐチャンスも同時に来ると。為替市場=通貨の国際取引でも巧妙に立ち回った。
 為替相場は投機筋の動きで加速し、増幅した。

●危機の連鎖●

 ところが、このゲイムには2巡目はない。2巡目は崩壊の連鎖しかない。
 さて、ギャンブルにはほんの一握りの勝ち組の大局に、圧倒的多数の負け組がいる。先物取引でもそうだ。いや勝ちと負けとの格差と比率は何十倍にも増幅されている。
 ギリシャの国債を保有している金融機関、先物取引きで逆の目に賭けた組がいるはずだ。
 だが、彼らもまた、世界的規模での金融連鎖、決済循環の鎖の1つ1つをなしているのだ。
 割りを食った金融機関のバランスシート(財務諸表)は、恐ろしいものとなっているだろう。だから、この恐ろしい数値は金融機関の外には出ない。公表すれば、金機関としての格付けと信用度が没落するから。アメリカの住宅ローンの破綻連鎖と同じである。
 導火線の片側には火がつき始めた。爆薬はヨーロッパやアメリカの有力金融機関のなかに隠されている。いつどこで爆発するか。
 金融機関は互いに取引相手に疑惑の目を向け、足元を見ようと血眼になっているが、目が曇っていて正確な判断はできない。
 そうなると、短期の資金不足を補うためのインターバンクのコールローン(短期借入)は、リスクを隠している金融機関との取引連鎖をつなぐ場になるかもしれない。通常は安全確実な短期貸し借りが、リスクの温床(火薬庫)になってしまう。短期利率は上昇し、格付けの低い金融機関は資金逼迫に陥るだろう。
 他方、財政危機が原因だから、リスク上昇で長期借款の利率も上昇していくはずだ。

 だが、いずれもこの上昇金利分をまかなう金融利子=利ザヤの稼ぎ場が消え去ってしまっている。したがって、公定の金利は低いままで維持されるしかない。そうなると、リスクの回避メカニズムは働かなくなる。
 





 


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