1月9日~12日
修学旅行へ行ってきました。そろそろ勉強を優先にしようと思っている時期に“学を修める”というのは言葉でいえば矛盾しているようですが、なんとなしに一つの区切りになりそうなちょうどいい心持がしています。楽しかった4日間の記録のメモ代わり、簡単にご紹介します。
(写真はすべてEOS kiss X2で撮影)
・1日目
羽田空港→那覇空港→斎場御嶽→沖縄県立博物館→那覇市中央公民館→サザンビーチホテル&リゾート沖縄泊
2011年以来の飛行機搭乗。お昼過ぎに那覇に到着して斎場御嶽へ行ったあとは那覇に戻って沖縄県立博物館と那覇市中央公民館へ。
那覇市中央公民館では久米島で戦争を経験した方のお話を聞かせてもらいました。
住民を守るために戦っていたはずなのに、日中戦争を終えて沖縄に来た日本軍は守らなければならない住民までも殺していたこと。ひめゆり学徒隊などのように沖縄が離島県であるがゆえに動ける者を総動員して戦わなければならなかったこと。そして戦争が終ってもなおたくさんの米軍基地がある事実。
戦争を繰り返してはいけない。
沖縄には戦後71年、アメリカからの返還後45年を越えてもなお基地問題や戦争の後遺症が残っています。
また、周りより遅れて文明が発達し、中国へ進貢していた琉球王国時代から薩摩による支配、琉球処分を経てから日本になり、沖縄戦を経験した沖縄の歴史。その歴史の中の、住民にとって良い部分からも悪い部分からも生まれ積み重ねられてきた文化が、沖縄にはたくさんあります。
日本の中でも特異な歴史と文化を大切に考えて、自分たちのために何ができるのか、どうするのがよいのかを考えるため、今回の講和でたくさんの良い知識を与えていただきました。
この場を借りて改めて、ありがとうございました。
・2日目
沖縄県立平和祈念公園→糸数アブチラガマ→ひめゆりの塔→道の駅かでな→リゾネックス名護泊
2日目は糸満市で朝を迎えました。雲の隙間から見えた朝日もすぐに隠れて雲の中へ。
平和祈念資料館。各地からこの場所へやってきて戦死したたくさんの方々の名前が刻まれていました。沖縄戦を伝える映像、資料、証言。平和を祈念、しかし祈念するだけでは平和は続くものではないと強く思います。
糸数壕では日本軍の拠点、その後は病院として使われた地下空間に入って71年前に起きたことを肌で感じました。ひめゆりの塔でも同じくひめゆり学徒隊について学んで、昼食後は沖縄の南端から一気に名護市のホテルまで。
途中休憩の道の駅かでなでは隣接する嘉手納基地を展望、発着陸する訓練の戦闘機を見て基地問題に触れました。騒音は想像をはるかに上回る、とてもとても大きな音でした。
日中は終始曇っていましたが日没の前に一瞬だけ顔を出した夕日。
オーシャンビューのホテルだったので水面に浮かぶ光がとても美しかったです。
・3日目
リゾネックス名護→ビオスの丘→OKINAWAフルーツランド→今帰仁城跡→美ら海水族館→リゾネックス名護泊
午後1発目、今帰仁城。三山時代、北山の拠点となったグスクです。
グスクも資料館も駆け足での見学になってしまったのが悔やまれますが、1月で既に咲いていた桜は美しかった場所
美ら海水族館。ジンベエザメは八景島でも見たことがあるので2回目です。
海が近く広い敷地、やはり楽しい水族館でした。
一通り見たあとは外へ出て海を眺めました。
東京の6月頃と同じ気象条件になる1月の沖縄。終始曇っていた今回の旅行を象徴するような一枚です。
・4日目
リゾネックス名護→首里城→国際通り→那覇空港→羽田空港
最終日は首里城からスタート。前日までにいろいろと歴史を学んだので1つ1つにつながるところがあって面白かった城内、ここも時間が短かったのでちょっと見足りない気はしますが一応一通り巡りました。
龍樋。
透水層である琉球石灰岩があるおかげで水が出て栄えた首里。首里の繁栄を支えた湧水です。
鉄道趣味として沖縄に来て外せないのはゆいレール。
こんなことしてるから見学時間が短くなるんだろう、というのは承知の上。一緒に見学した友達にちょっと時間をもらって撮影、木の葉の隙間に覗くのは沖縄伝統の赤瓦。1枚でも納めることができてよかったです。
この後は国際通り・平和通り・公設市場等ででお土産を買って帰路へつきました。
*
以上が修学旅行の記録です。
歴史を学んだ最初の2日間と、それを踏まえて文化に触れて観光した最後の2日間。普段生活している東京と違う歴史を持っているがゆえに文化も違って、普段と違うものに触れるのはやはり楽しいものでした。
そして何より道中や見学地、そしてホテルでの友達との思い出はここには記録せず、忘れられない記憶として僕の中に残しておくことにします。
4日間の楽しい楽しい思い出ができました。ありがとう、にふぇーでーびる、沖縄!
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