猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ⑤

2012年05月28日 21時48分09秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ⑤

 このようにして、異国の夷「チクリキ」と「ヘンカイ」は、万里の嶮岨を乗り越えて、

ようやく胡国へと戻ったのでした。ケンダツ王の悦びは限りも無く、王照君の花のよう

な姿をご覧になって、

「さてもさても、世の中にこのような美人が居るとは、驚いた。かの漢朝には、このよ

うな美人が山のように居るのであろうのう。」

と感歎しましたが、王照君が、漢朝でも千人第一の美人で有ると聞いて、更に悦びました。

ケンダツ王は、姫君を慰めようと、様々の鳥を集め庭に放し、様々に気を引こうとしましたが、

王照君の心は晴れません。ただ、都のことだけを思って、沈み込んでばかりです。ケン

ダツ王は、この様子をご覧になり、

「いやいや、そのように心が弱くては困ったものだ。よし、これより野狩り、山狩りを

行うこととする。ちょうどケンリ山の花も盛りであるから、心の慰めにちょうど良い。」

と王照君を輿に乗せ、ケンダツ王を始めとして、一門の公卿大臣は、早速にケンリ山へ

と向かうのでした。

 さて、漢朝では、臣下大臣が集まり、評定の最中です。シバイリュウ、シバユウの両

将軍が言う事には、

「先日の胡国との戦いでは、味方が沢山討たれたために和睦して、王照君を胡国に遣わ

しました。万人の死に替えて一人の后を犠牲にすることは、万民には有り難い限りであ

り、後の世にも、女を惜しまぬ誠の聖王と、書き記されることでありましょう。

 

 しかし、我等両将軍は、大軍を率いて出陣したにもかかわらず、何の功も残せず、た

だ后を敵に渡しただけです。これを、知略などと澄ましていては、後の世の名も恥ずか

しいばかりです。ですから、我等両人が、手勢を率いて、王照君を取り返し、最前の恥

辱を雪ぎたく思います。」

と、奮い立っています。これを聞いたゲンシリョウは、

「ご両人の仰ることもごもっともです。しかし、胡国は多勢であり、かつ統率が取れて

いますから、いくらあなた方に、知謀、勇力があったとしても、簡単には行きませんよ。

よくよくお考えあるべきです。」

と言いました。しかし、両将軍は聞き入れません。

「もっともとは思いますが、最早、我々には生きる甲斐もありません。十死一生と思い

切ったからは、再び戻るつもりもありません。もし、后を救い出すことができたなら、

またお目に掛かりましょう。」

両将軍は、死をも厭わないと断言します。決意が固いと知ったゲンシリョウは、

「そうであれば、何よりも先ず、姫君を助け出してから、合戦に及ぶようにお願いしたい。

兎角、戦が先立っては、姫君を救い出すことが難しくなります。私の考えを聞いて下さい。

例えば、心が強く知恵の深い侍一人に、国中より大力の者を三十人選びだし、商人に仕

立てて胡国に遣わし、時間をかけて商売をさせるのです。又、王照君に良く似た人形を

作り、両将軍は時節が整うまで山に隠れて居て下さい。胡国の風習では、春になれば花

見という狩りを行い、后を伴って野山に出ます。その機会を狙って、一文字に駆け入って、

王照君を奪い取るのです。それから、人々が代わる代わるに背負って逃げなさい。途中

にかの人形を輿に乗せて置き、守ると見せて暫く戦い、その間に姫を落とすのです。道々

に兵は配置して、交代交代に姫を運んで行きなさい。それから、人形の輿を打ち捨てて

逃げれば、胡国の兵は、これを誠の王照君と思って取り返して帰るでしょう。その後の

戦いは、それがしに任されよ。如何か。」

と提案すると、両将軍を始め諸大臣は、あっとばかりに感じ入ったのでした。早速に

ゲンシリョウの提案通りに、王照君奪回の準備が整えられました。まず、ハンリを頭領

として、大剛の者三十人を商人に仕立てて胡国に送り込むと、両将軍は、三百騎を伴っ

て、胡国の山中深くに忍び込んだのでした。

 これはさておき、ケンダツ王は、王照君を伴ってケンリ山へとやって来ました。麓に

大幕を張ると、ケンダツ王は、犬や鷹を放して、波のように勢子を立たせ、鶉(うずら)、

雲雀(ひばり)、猪、兎などの獣を追い回し、日が暮れるのも忘れて、あなたこなたを

駆け回りました。幕内には、王照君と女房達、下働きの人々が残るばかりです。その

隙を狙って、ハンリは一気に幕内へ駆け入り、雑人をおっ散らすと、王照君の前に畏まり、

「それがしは漢朝のハンリと申す者、帝の嘆き深き故、君を奪い返しに参りました。

ゲンシリョウ、両将軍の謀(はかりごと)はか様か様。」

と言えば、王照君は夢とも弁えず、ハンリの背中に背負われました。ハンリは、ここを

先途とばかりに、飛ぶ鳥の如くに走り出しました。

 おっ散らされた雑人達は慌てて、ケンダツ王の所へ走り行き、王照君が奪われたと告

げました。聞いたケンダツ王が、怒り狂って、

「やあ、それ、追っかけ追いつき、引き裂いてしまえ。」

と言えば、胡国の兵は、我も我も怒濤の如くに追いかけ始めました。ハンリは、あっと

いう間に十里(約40Km?)程逃げましたが、獅子の如くに猛る胡国のテッケン、ヘ

ンカイは、もうすぐそこまで追っかけて来ています。その時、ハンリは、例の木人形

の輿を出させておいて、自分は王照君を背負って、脱兎の如くに逃げて行きます。胡国

の兵は、輿を見つけて、叫き(おめき)叫んで迫ります。輿を掻いていた漢の兵は、暫

く応戦していましたが、やがて輿を捨てて逃げ去りました。これを見て、テッケンとヘ

ンカイは、大きに喜んで、

「先ずは、この輿を掻いて王照君を君のお目にかけよ。我々二人は、どこまでも追っか

けて、一人一人、首を引っこ抜いてくれる。」

と言うなり、また漢軍の後を追っかけ始めました。しかしこの時、岩陰に隠れていた両

将軍が飛び出して、二人にむんずと抱きつくと、続けざまに刺し殺したのでした。こう

して、両将軍も王照君に追いついて、目出度し目出度しと、悦びの声をどっと上げて、

意気揚々と都を目指して帰って行ったのでした。

つづく

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