猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語 30 古浄瑠璃 生け捕り夜討ち ②

2014年04月20日 18時32分29秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 いけとり夜うち ②

 こうして、守屋の判官秋友は、大和の国で、栄華を極めていたのでした。その話はひと先ず置き、河内の国の高岡の庄(愛知県碧海郡高岡町:現豊田市)には、本江の左衛門師方という悪者の弓取りが居ました。この師方という者も、この地方を知行して、何の不足も無く暮らしておりましたが、ある時、病を受けて寝込む様になりました。そこで一門の人々は集まって、いろいろとお慰めをしました。琵琶や琴が上手な白拍子を呼んで音楽を聴かせたのでした。都から招かれた二人の白拍子は、一晩中、雅な音楽を奏でました。すると、師方は、あまりにも美しい音楽に、浮かれて立ち、「飲めや歌えや」と、踊り出すのでした。それから酒宴が始まりました。すっかり元気になった師方は、白拍子達にこう聞きました。

 「都では、何か面白いことはないか。」

二人の白拍子は、

 「ええ、そうですね。このところ都には、化け物が毎夜現れて大騒ぎとなっていたのですが、大和国の守屋の判官様が、弓矢で撃ち落として、退治なされたのです。そのご恩賞には、山城の国の中に五百町歩に留まらず、御門が御寵愛されていた、更衣の前様を下さったということです。弓矢を取る者は、こういう手柄で面目を立てたいものだと、上下万民押し並べて、この話で持ちきりです。」

 と、思わず話してしまうのでした。師方は、その話に驚いて、突っ立ち上がると、

 「ええ、皆の者よっく聞け。これまで貝が閉じる様に、堅く封印してきたことで、今更ながら、外聞も良くはないが、その更衣の前と言うのは、かつてわしが、恋焦がれた相手であるぞ。この三年の間、憂いのあまり病となり寝込んでいたのも、更衣の前の事が原因なのだ。お上の御意を重んじて、この恋は諦めてはいたが、大和の守屋に下されるとは、無念なことだ。最早、我慢ならぬ。ひとつには君への恨みを晴らし、又には田舎者を誅する為、守屋の城に押し寄せて、更衣の前を奪い取り、判官と討ち死にし、この名を後世に残すより外は無い。さあ、早や、打って立て。」

 と、叫びました。しかし、家来の武久小二郎は、これを押し留めて、

 「お言葉ではありますが、よっくお考え下さい。御前より下された更衣の前を奪い取れば、御門に対する反逆の重罪を犯すことになります。もし、本望を遂げたとしましても、秋友には何の科も無く、師方は法に余る溢れ者という悪評が立つことでしょう。そして、理非検断(裁判)によって死罪の科を受けるのならば、生涯の不覚となることでしょう。どうか、勇気を持って、思い留まり下さい。」

 と、再三再四、諫めるのでした。しかし、師方は、腹を立て、

 「お前の言う事は、納得できぬ。弓矢を取る武士たる者、死を軽んじ、名を重んじることこそ大事であるぞ。理を非に曲げて、攻め込むのだ。」

 と、大の眼をひんむき、取り縋る小二郎を切り捨てんばかりです。小二郎は、更に押し留めると、諦めて次のような提案をしました。

 「そこまで、思い詰めておられるのであれば、私にひとつ考えが御座います。このように策略いたしましょう。昨年の内裏における除目において守屋判官は、別当の定吉と領地争いをしております。その訴訟は、和解して分領することで決着はしましたが、それから両家は互いに不仲となりました。このことは、宮中の者には周知のことです。そこで、守屋の判官と偽って、別当定吉に夜討ちを掛けておいて、これを守屋の判官の仕業であると讒言すれば、秋友親子は死罪か流罪を免れることはできないでしょう。適わない相手には、謀(はかりごと)をするのが一番です。」

 師方は、これを聞くと喜んで、武久小二郎を大将にして、総勢八十余騎を、早速に大和の国へと差し向けるのでした。

 別当定吉は、門外に押し寄せた軍勢の、思いも寄らぬ鬨の声に驚いて、表の櫓に駆け上がりました。別当定吉が、

 「そこの狼藉者は、何者か。名乗れ。」

 と言うと、寄せ手の方から若武者が一騎進み出て、こう名乗りました。

 「只今、寄せ来た大将軍を誰と思うか。当国の住人、守屋の判官秋友が一子、弦王丸であるぞ。日頃よりの恨みを、今晴らさん為、ここまで押し寄せて来たのだ。さあ、早く腹を切れ。」

 これを聞いた定吉は、首を傾げていましたが、

 「何、秋友の一子だと。領地を分割したとは言え、一方的な私的な命令に、従わなければならない理由は無いぞ。年端も行かないお子様が、竹馬に乗って、石でも投げに来たのか。笑わせるな。さあ、者ども、手並みを見せてやれ。」

 と、答えました。大手の門をばっと開いて飛び出したのは、十七騎の若武者です。ここを先途と戦いましたが、なにしろ突然の襲撃でしたので、とうとう定吉の家来は全滅してしまいました。別当定吉は、もうこれまでと、館に火を放ちました。そして、猛火の中に飛び込んで死骸も残さず死んで行ったのでした。武久小二郎は、うまく行ったとほくそ笑んで、河内の国へと帰りました。兎にも角にも、本江左衛門師方の謀略は、怖ろしいとも何とも、言い様がありません。

 つづく

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