猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 17 説経信田小太郎 ④

2013年02月20日 16時28分07秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

しだの小太郎 ④

 浮嶋大夫夫婦が、刺し違えたのを見た信田殿は、労しいことに、その場で自害をしようとしました。

しかし、小山の郎等が、押し寄せて、折り重なるようにして信田殿を縛り上げると、小

山太郎の前に引き出しました。小山は信田殿を見て、

「人に果報がある内は、何事も心に任せよう。白昼に首を刎ねるのは、天下に畏れがある。

日が暮れて、夜半になったなら、霞ヶ浦に沈めよ。」

と、相馬の郎等であった千原(ちばら)大夫に命じたのでした。千原は、信田殿を預かって、

大変大事な囚人と、信田殿を更に強く締め上げました。更けゆく夜半を待つ信田殿は、

羊の歩みとは、まさにこういうものかと、思い知るのでした。

 さて、ここに哀れを留めたのは、小山太郎に嫁いだ信田殿の姉でした。

「情けないことになってしまいました。きっと、信田殿は、私も夫と心ひとつに、この

ような仇をなすと思っていることでしょう。せめて、最期の様子を一目でも拝見いたし

ましょう。」

と、人々が寝静まった夜半に、千原の館に忍び入りました。信田殿を見た姉君は、

「これは、なんという恨めしい仕業でしょうか。どうして、私には縄を付けずに、信田

殿だけが、縄を受けるのでしょうか。どうして、答えてくれないのですか、信田殿。

私を恨むのは当然なことですが、私はこんなことになるとは、夢にも知らなかったのです。

どうか、神や仏に聞いて下さい。私には、後ろめたいことはひとつもありません。御願

いですから、何か言ってください。信田殿。」

と、縋り付いて泣きました。信田殿も涙ながらに、

「姉上を恨んだりはしておしません。涙に暮れて、言葉も無いだけです。残念ながら、

私には果報も無く、今日を限りに殺されてしまいます。このような所まで来たことが、

小山に知れたなら、姉上様まで、重ねて辛い目に遭いますから、早くお帰り下さい。

姉弟のよしみに、どうか後世を弔ってやって下さい。」

と、言いました。姉は、これを聞いて、

「私は、例え共に沈められても、何の恨みもありません。こんなことになったのも、す

べて、只これのせいです。」

と、言うと、巻物を取り出したのでした。信田殿は、これを見て、

「これは、家の重宝ですね。今更、こんな物を持っても仕方ありません。持ってお帰り

下さい。」

と、受け取りません。姉君は、更に、

「いやいや、そうではありません。お前が死んだとしも、倶生神(くしょうじん:閻魔の庁の役人)

の前に献げれば、物事の是非はこちらにあるのですから、一方の罪科を逃れることがで

きるでしょう。どうか、平にお受け取り下さい。」

と、巻物を押しつけると、さらばさらばと涙ながらの別れをするのでした。誠に哀れな

次第です。

 その夜も夜半となり、小山から、信田を沈めよとの使いが来ました。しかし、元々、

相馬の家臣であった千原は苦しんでいました。仕方なく信田殿を小船に乗せましたが、

ここに沈めようか、あそこに沈めようかと、行ったり来たりするだけです。とうとう、

今は、沈めかねて、涙ながらに立ち往生してしまいました。

「ああ、さて。この世の中に、するべきでないのは宮仕え。そうでなければ、こんな憂

き目には、遭わなかったものを。その昔、相馬に仕えていた時には、この君を、月とも

日とも思ってお仕えしたのに。移り変わるのが、世の中とは言え、我が手に掛けて殺す

のなら、草場の陰の相馬殿が、どんなにか私を恨むことだどうか。」

と、千原は、迷った挙げ句、

『ええ、明日は、どうにでも、なるならなれ。一旦は、この君を助けよう。』

と、心に決めると、

「只今が、御最期ですぞ。」

と、信田殿に言いました。信田殿が、大きな声で、念仏を唱え始めると、千原も共に

念仏して、腰の刀を抜くや、縄をずんずんに切り捨てて、沈め石だけを、だんぶとばかりに

沈めたのでした。さらに、

「南無三宝、今が、見納め。」

と、声高に叫んで、沈めた様に見せかけたのでした。

 翌朝、小山太郎は千原を呼んで聞きました。

「信田は沈めたか。」

千原は、「はい」と答えましたが、小山はさらに問いただし、

「どうして、検死役を付けなかったのか。お前は、相馬代々の郎等だから、心変わり

をして、逃がしたのではないか。そうだろう。正直に申せ。只聞いただけでは、申さぬ

な。おい、拷問いたせ。」

と、千原を縛り上げると取って伏せて、様々に拷問をしましたが、千原は、何もしゃべ

りませんでした。剛煮やした小山は、古木に千原を吊り下げて責め立てました。引き上

げては、息も絶え、引き降ろしては、少し蘇るを繰り返し、

「ええ、白状せい。」

と迫りましたが、千原は、

「いやいや、この千原はもう入り日。信田殿は、出ずる日、蕾の花。我が命にお代わりあれ。」

と言うと、舌をふっつり喰いちぎって、死んだのでした。小山は、更に腹を立てて、

「妻子を連れてこい。」

と怒鳴ると、千原の女房と子供を引き出させました。小山が問い質すと、千原の女房は、

「なんであれ、知らない事は、申し上げることはできません。有りの儘に言うのなら、

昨夜、夫は、信田殿を小船に乗せて、遙かの沖に漕ぎ出しました。あまりに可哀相なので、

私も、湖畔に出て、事の様子を窺っておりましたが、やがて、信田殿のお声で念仏が聞

こえ、その後、ざんぶと水音がしました。それからの事は何も分かりません。これを、

偽りであるというのなら、浦人達にも聞いてご覧なさい。」

と、毅然と答えましたが、夫の死骸に縋り付いて、

「このように死ぬ事が分かっていたなら、信田殿を逃がすはずはありません。」

と、声を上げて、泣き崩れました。それから、小山は、浦人を集めて、尋問しましたが、

千田の女房が言った事以外の話しはきけませんでした。小山は、

「さては、千原は、信田を沈めていたのに、誤って拷問してしまったのか。」

と、千原の妻子を解放しました。千原の女房は、若の手を引いて館へと帰りましたが、

その道すがら、

「あっぱれな我が夫よ。こんな立派な死に方をする者はそうは居ないでしょう。しかし、

因果の車は輪の如くに巡り巡って、若も千原の様に拷問されることになるのでしょうか。」

と、嘆くのでした。この人々の心中は、前代未聞のことであると、感じ無い者は、ありませんでした。

つづく

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