猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき①

2015年08月12日 14時11分26秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 この所、新曲の制作が続いたので、古浄瑠璃正本集読みは、まったく停滞してしまった。少し、落ち着いて来たので、又、正本読みを再開したいと思っている。先回の「小篠」で正本集第1は終わりとする(付録等を省略)。古浄瑠璃正本集第2の初っ端は、「とうだいき(27)」である。古く鎌倉時代には成立している説話「燈台鬼」を下敷きとした浄瑠璃である。天下一若狭守藤原吉次の正本、慶安3年(1650年)西洞院通長者町、山本長兵衛の板。

燈台鬼 ①

昔、天竺の近くに、西上国という国があり、その王様は、最上王と言う方でした。最上王は、隣国の南海国を手に入れようと、何度も攻め込みましたが、南海国の兵は非常に強かったので、多くの犠牲者が出るばかりでした。最上王は、大変無念に思い、切り札として、恋子(れんし)という家来を大将に命じたのでした。
「恋子よ。四十万騎の大将として、南海国へ向かえ。」
勅命を受けた恋子は、
「これは、大変に有り難い宣旨を戴きました。数多くの家来の中で、私に、大将を賜わることは、何より一家の面目となります。必ずや、敵王の首を取り、鉾の先に差し上げて戻って参ります。我が君様。」
と、答えましたので、国王は、大変にお喜びになられました。恋子は、急ぎ家に戻ると、妻に向かい、
「王様の勅命によって、四十万騎の大将として、南海国に攻め下ることになったぞ。」
と、嬉しそうに告げました。ところが、御台様は、
「この度は、多くの兵が集められるとは聞きましたが、我が身の上の事とは、思いもしませんでした。近い国であるならば、手紙で慰むこともできますが、南海国では、そうもできません。それどころか、実は、私には、お世継ぎが出来ました。今は、九ヶ月の頃と思います。来年の一月頃に生まれますので、どうか、お世継ぎの姿をご覧になってから出陣なさって下さい。」
と、言って泣き崩れるのでした。恋子は、これを聞いて、
「おお、それは、世にも嬉しい事である。三十歳を過ぎても子供ができなかったのに、忘れ形見を得たことは大変に、頼もしいことである。しかし、よいか、四十万騎の大将たる者が、私事にかまけて、出陣を遅らせる事などできるはずも無い。さあ、これを、形見に取らせよ。」
と、常々肌身離さず持たれていた御本尊を取り出すと、御台様に手渡すのでした。その御本尊とは、御丈三寸の黄金阿弥陀像でした。恋子は、
「この御仏は、二世安楽の仏様なのだよ。人々の気根(きこん)は、様々な形を取り、芥子(けし)の中にすら入っているのだ。阿弥陀様は、九品(くほん)の修行をされて、娑婆世界にありながら凡夫に落ちずに、人々の為に法蔵比丘となって現れ、六字の名号を、五刧もの長い間お考え続けなされた。御釈迦様が現れて、八万四千のお経をお説きになったのも、唯々、阿弥陀三尊を説く為なのだよ。三世の諸仏は、弥陀一仏の仏心から始まり、薬師如来は、菩薩を引導し、普賢菩薩は、延命長寿。勢至菩薩は念仏の人に寄り添い、文殊菩薩は学問の菩薩。天に昇れば虚空蔵と変じて空より、諸法を降らせ、地に下っては、地蔵菩薩と現じて、地より宝を開かせる。中にも、女人は、地蔵菩薩を信じなさい。女人であっても必ずお救い下さるのだ。さて、戦では、命を落とすのは当たり前の事だ。私が死んだなら後世の供養を宜しく頼むぞ。」
と、流石に剛の恋子も、涙を流して、別れるのでした。
 こうして、恋子の率いる大軍は、南海国に向けて出陣して行きました。出発から二十日程経ちました。砂漠を通り、険しい葱嶺(そうれい:中央アジアの山岳地帯)では馬を捨てて七日進み、さらに舟乗り、人跡未踏の平原にやってきました。至るところに霧が降り、長夜ともいうべき暗闇です。聞こえてくるのは、谷の梟(ふくろう)や峰の猿、虎狼野干の声ばかりです。こうして、月日を重ねて、九ヶ月をかけて、南海国にようやく辿り着いたのでした。国境には、岩をも砕く激流が逆巻いて、木の葉すら浮かぶことができません。四十万騎の軍勢は、立ち尽くすばかりです。その時、恋子は、
「何を仰々しい。私に考えがある。」
と言うと、雑兵を率いて山に入りました。大木を切り出して、筏を作らせたのでした。こうして、四十万騎の軍勢は向かいの岸に、無事に辿り着きました。もう、その日は、日暮れも近付いたので、近くの山に陣を築くと、暫くの間、休息することにしたのでした。かの恋子は、このような知略にも優れていたのでした。

つづく