猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 26 古浄瑠璃 はなや(6)終

2014年02月12日 18時20分54秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 

はなや(6)終
 

 都を立った、花若丸は、夜を日についで駒を進め、相模を目指しました。横山館に到着した花若丸は、
「花屋殿は、どこですか。」
と、呼ばわりました。すると、門番は、
「只今、最期の時を迎える為に、由比の浜へお出でになりました。」
と答えるのでした。これを聞いた花若殿は胆も魂も消え果てましたが、落ちる涙を振り払って、
『せめて、父の最期の場所を見てこよう』
とお思いになり、由比の浜へと急がれるのでした。
 

 由比の浜に出てみると、夥しい群衆です。花若は、この人々が父花屋を惜しんでいるのに力を得て、こう叫びました。
「やあやあ、皆さん。花屋長者をお助け下さい。御門の御判を持って来ました。どうか、皆さんで声を上げて、伝えて下さい。」
これを聞いた人々は、皆、大声を上げて前へ前へと伝えたのでした。既に、最期所では、介錯人が太刀を取って、花屋殿の後ろへと回っている所でした。しかし、その時、検使の横山殿は、微かな声を聞き取って、
「花屋を切るな。暫し待て。」
と止めたのでした。群衆を掻き分けて、近付いて来たのは、駒に乗った、年の頃十四五歳の法師でした。花若丸は、
「これを、ご覧下さい。」
と、助命の御判を、投げ出すと、物も言わずに、父花屋に抱きつきました。父も子も、何も言葉にできず、唯々泣くばかりです。やがて、涙の隙より花若丸が、都での次第を子細に話して聞かせるのでした。父花屋も、これは夢かと疑いつつも、優しく花若を抱くのでした。横山殿を初めとし、浜にいる見物の人々も、これを見て、
「まったく、持つべきものは、子供である。」
と、涙しない人は有りませんでした。
 

 それから、親子の人々は、横山館へと移り、三日三夜の酒宴を催して、この奇蹟を祝いました。花若の親孝行に感激した横山殿は、
「親孝行な花若殿を、横山家の聟にいたす。」
と言って、一人娘の聟に取って、跡目を花若に譲りました。その後、花屋は、
「ここに、いつまでも逗留していたいが、先ずは、上洛して御門に参内し、又、改めて伺いましょう。」
と、暇乞いをすると、親子諸共、大勢のお供を連れて都へと戻って行ったのでした。
 

 花世姫が待つ、都の宿に着くと、花若は、
「父御をお供して、只今、帰りましたよ。」
と、呼ばわりました。これを聞いた花世姫は、夢心地に、走り出てきましたが、花世姫を見た花屋は、その姿に驚いて、
「なんという、浅ましいことか。」
と、涙を流して悲しみました。
 

 しかし、いつまで悲しんでいても仕方ないので、花屋は花若を連れて参内し、咎は無いことを奏聞したのでした。御門は、
「咎も無い者を流罪としたことを後悔しておる。今回の褒美として、筑前を与える。早く下向せよ。」
との宣旨を下されたのでした。
 

 花屋は、これまでの様々な奇蹟に感謝し、又、花世姫の病を治す為に、姉弟を連れて、清水寺を参拝することにしました。清水寺のご本尊は、千手観音です。親子の人々は、ご本尊の前で、鰐口を打ち鳴らして、心静に祈誓するのでした。そしてその夜は、そこにお籠もりになられたのでした。その夜の夜半の頃、有り難いことに、大慈大悲の観音様が、枕元にお立ちになったのでした。観音様は、
「筑前の国、楊柳観音と、現れたのは私ですよ。又、姉弟の人々が、国司に捕まった時、三病を突然与えたり、追っ手が掛かった時に、助けたのも私です。それに、道端で花若が死んだ時に、生き返らせた老僧も私です。さて、それでは最後に、姫の病を平癒させましょう。」
と仰ると、姫君の体を、上から下までお撫でになって、そのまま、掻き消す様に消えたのでした。親子の人々は、夢から醒めると、かっぱと起き上がり、花世の姫を見ました。なんと、花世姫の姿は、元の容貌よりも、さらに一段と美しくなっており、辺りも輝くばかりです。花屋殿は、これをご覧になって、まるで夢の様だと喜びました。親子の人々は、
「有り難や、有り難や。」
と何度も礼拝して、筑紫の国へと帰って行きました。
 

 やがて、花屋親子と数多の軍兵は、豊前の国、宇佐の郡に到着しました。萩原の国司の城に押し寄せて、鬨の声を上げたのです。突然のことに、城内は大混乱です。城内から、
「いったいなんの狼藉か。名を名乗れ。」
と言えば、寄せ手方は、
「これは、花屋長者である。日頃の無念を晴らすため、これまで押し寄せてきたのだ。大人しく腹を切れ。」
と答えるのでした。萩原の国司は、これを聞くと、最早これまでと、諦めました。国司は、小高い丘へと駆け上がると、潔く腹を一文字に切ったのでした。花屋の軍勢は、萩原の首を討ち落とし、勝ち鬨の声を、どっと上げるのでした。
 

 それから、花屋長者の人々は、故郷、博多に帰り、ようやく御台様とも会うことができましたので、その喜びは、限りもありません。そして、再び花屋長者は、栄華に栄えたのでした。これというのも、観音様の弘誓(ぐぜい)のお陰です。昔が今に至るまで、験し少ない次第であると、上下万民押し並べて、感激しない人はありません。
 

おわり