猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 14 説経兵庫の築嶋 ⑥

2012年11月28日 10時27分26秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ひょうごのつき嶋 ⑥

 さて、浄海は、人柱を沈める様子を見物しようと、輪田の岬の観音堂に、一族郎党の

者共と、お出ましになられました。一方、この占いをした博士の安氏は、渚で悲しむ人々

の姿を見て、このようなことになったのは自分のせいだ、なんとかしなければと思い、

観音堂の浄海の前に畏まり、次のように進言しました。

「あれをご覧下さい。人々の嘆きは、阿鼻叫喚地獄の罪人が、熱鉄の炎にあぶられてい

るが如くです。教主釈尊は、難行苦行の末に、実相(真実の本性)を悟られて、さまざ

ま御思案なされ、法華経を経王(きょうおう)となされました。どうか、一万部の法華

経を書写なされて、三十人の人柱の名前を書き記すようにお願いします。そして、沈め

の石には、年号、日付、『竜神納受ましませ』と書き付け、海底に沈めるならば、五十

転伝随喜の功徳(ごじゅうてんでん:法華経随喜功徳品第18)は、八十億劫(おっこ

う:ほぼ無限の時間)の生死の罪を消し去ります。竜神が、納受するならば、必ず嶋は

完成することでしょう。我が君様。」

これを聞いた浄海は、顔色を変えて睨みつけましたので、御一門の方々も安氏も、それ

以上何も言う事も出来ずに、黙っていると、丹波の家包が、妻と乳母を引き連れて、観

音堂にやってきました。家包は、

「なんと情けない。父の命をお助け下さい。我々夫婦二人と父一人を取り替えるのに、

何の不足があるのですか。どうか、我々夫婦と国春を取り替えてください。」

と、天を仰ぎ、地に伏して、流涕焦がれて嘆願するのでした。浄海はこれを聞いて、不

憫に思い、

「さらば、国春一人は、あの女に渡し、残りの二十九人を、すぐに沈めよ。時間が経て

ば経つほど、悲しみも増す。」

と言いましたが、そこに、家来の松王丸が進み出て、

「申し上げます。三十人の人柱を立てたとしても、人々の嘆きによって、嶋が完成する

ことは無いでしょう。君の願いを無駄にしては、家来としての使命が果たせません。やはり、

博士の言う如く、一万部の法華経と三十人の代わりに誰かが一人、人柱となれば、嶋の

完成は成就して、いつまでも消えること無く残るでしょう。」

と進言すれば、上古も今も末代も、試し少ない次第であると、人々は涙を流して感動したのでした。

有り難いことに、浄海も、随喜の涙を浮かべて、松王の進言を受け入れました。

 国春を始めとし、人柱の人々は、直ちに解放され、それぞれの国へと帰って行きました。

浦島太郎が、その昔、七世の孫に会った時の嬉しさも、この喜びにはかなわないでしょう。

 さて、次の吉日は、七月十三日と決まりました。一万の法華経の書写を、寺々に命じたので、

程なく兵庫の浦に、一万部の法華経が集まりました。これを受け取った安氏は、御幣を

切り立てた舟に法華経を積み込んで、海へと漕ぎ出し、御経を沈めました。そして、代

わりの人柱に立ったのは、松王丸です。沈めの石を首に掛けると、さも嬉しそうな様子で、

一心に念仏を唱え、やがて海に身を投じました。安氏は、船上で御幣を振り上げて祝詞

を唱え、巫女の舞が行われました。浜では、沢山の僧達が読経する有様は、有り難いと

もなかなか、申し上げ様もありません。

 この御経の功力によって、嶋の完成は成就しました。その嶋の大きさは十四町(約1.5Km)。

嶋の上には社を建て、松王殿とお祀りしたのでした。かの松王は、大日如来の化身、明

月女は、吉祥天の化身でした。人柱を助ける為に現れたのでした。

 その後、家包には、褒美として、能勢八千町(大阪府能勢町:府道4号に明月峠がある)

が与えられ、数の館を構えて繁栄したということです。

千秋万歳(せんしゅうばんぜい)

目出度きとのなかなか

申すばかりはなかりけり

おわりPhoto