明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

断捨離ってどうやればいいの?

2016-01-24 12:00:00 | 今日の話題
(38)映画の話 : 「キャロル」と淀川長治について

TBSラジオの「赤江珠緒たまむすび」に出てくるカリフォルニア在住の映画評論家町山智浩さんの話ですが、今年公開予定の「キャロル」って映画の作りの古さが、意味のある暗示に象徴された非常に凝った映画だという事です。原作者のパトリシア・ハイスミスは「太陽がいっぱい」の原作者でもあり、実は同性愛者でもあったのは本人のカミングアウトによって知られる事になったと言う。ところがその事実が世間の知る事となる前に、淀川長治は「太陽がいっぱい」が同性愛者の心理を描いた映画であると見抜いていたと言うのだ。誰も彼の評論をまともに相手にしなかったが、淀川長治は死ぬまで自分の説を曲げなかったと言う。カタツムリはオスメス同体だが恋矢と言う槍状のものをお互い突き刺して交尾する。理由はわからないが恐ろしい本能である。で、同性愛者の心理として、カタツムリの恋矢のようにナイフをいとこに突き立てたアラン・ドロンは、鏡に向かって自分にキスをする、と言うのが淀川長治の解説だと言うのだ。淀川長治、恐るべし。ハイスミスのキャロルは1952年出版だから、当時は同性愛を肯定的に描くなんて事はタブー。だから映画では「社会から許されない」女達の心理をどう描くか、そこが見所だと言う。2016年に公開される映画では、今まで描けなかったものをどう描いているか、またはどう暗喩しているか、見てみたい映画である。とにかく映画評論家というのもただ詳しければ良いというものじゃなく、特別な才能が必要なんだと思った次第。ラジオって中々良いですね~、赤江珠緒のたまむすび、おすすめです。あっと、山ちゃんも。


(39)断捨離の話 : ミニマリストとも言うらしい

年とともに思い出が積もり、またゴミも溜まる。私は歳をとったら断捨離をしようと思っていたら予定外の病気になって入院を余儀なくされたことで、棚から牡丹餅というか断捨離を実行せざるを得なくなった。人それぞれであるが、いわば強制されての断捨離は文字通り全てを捨て、生きて行くのに必要なもののみの、個人的な趣味趣向など入り込む余地のない最低限必要なだけの物であった。

私の人生はどうなるのかとか、生きていく希望を何に求めれば良いのかとか、普段ものを考えない私が全然思いつかなかったのは不思議でもなんでもない。生来先のことより明日のことそういう性格が、何事にも落ち込むことなく人生をポジティブに生きる秘訣じゃないだろうか。せっかく断捨離が出来たのにもかかわらず翌日からあれこれアマゾンを見て欲しいな欲しいなとつぶやく。最初は携帯を欲しかった、iPhoneがうまく使えなかったのである。どうでも良いことだが、これで今日明日の事に集中できる。そのうち普段着る物に少しは流行りのテイストが欲しくなった。服は病気になって全部捨てたのだが、ちょっと良くなると新しいのが欲しくなる。CDはiPhoneにコピーしてあったので全部捨てるつもりだったがさすがに勿体無いので、マニアックな趣味を分かってくれる人に差し上げた。大半はつまらないものだがブックオフにでも売ってくれれば、ゴミに出すような罰当たりなことをしないで済むので感謝している。

いろいろ断捨離について書くつもりだったが、結局1度全部捨てて新規に買うだけだとわかった。ただし全部買い戻す訳ではない、その時点で必要なものを新たに買い直すのである。なんだ馬鹿馬鹿しいと言わないで頂きたい。私は人間ができてないので全てを捨てて無に帰るなんて芸当はそもそも向いてない。1度捨ててみるだけで相当悩むし後悔もするが、次の日にはあっさり乗り越えてアマゾン・ハンターと化している自分がいるのである。だから、今回止む無く断捨離する事になったが、もう一回くらいやる羽目になるかもしれない。つまりそれほど気負ってするもんでもないって事である。

しかしルールはある。それは住むスペースを必ず前のより狭くすることである。狭くすれば自動的に持つ物も限られてくる。2つ目はゴミをこまめに捨てる事である。死ぬ時に残すのは「財布とiPhone」だけで充分である、そう思って初めて断捨離という荒行も不可能ではないのかなと思えてくるのだ。少なくとも私にとって大切なものは、葬式を出すであろう家族にとってはゴミ以外の何物でもない。しかもちょっと捨てるのに罪悪感を伴う厄介な代物である。「何にも残ってないね」って言ってくれるのが、最高の送る言葉だったりして。せめて死ぬ時は、清々しい最期にしたい。まあ、後はどうなろうと関係ないけど、一応はね。


(40)余り好きでは無い芸能人 : 男性編

中居正広(A型・獅子座)

いま最もニュースな悪役といえばこの人であろう。実はここに選んだのは解散騒動の前で、もともと好きでは無かったのだが図らずも嫌いな人が増えてしまいあざといランキングになったのは予想外で困ったもんだと思っている。あちこちに出てくるが先ず顔が嫌いだ。こう言ってしまうと身も蓋もないが仕方ない、オマケに態度や喋り方立ち居振る舞い全て気に入らないのが不思議なくらい嫌いだ。どこがと言って特にここと指摘できないのがイマイチ説得力が無いのだが、出てくるような場合はチャンネルを変えている、というか、SMAPは見ないしテレビ欄で出てると分かれば選ばない。つまりほとんど見ないので、つい最近まで存在を忘れていた。このまま忘れていてOKである。

堺正章(A型・獅子座)

「厨房ですよ」に出ているのは知っているが、嫌いなタレントの一人である。こちらも嫌いな理由があまり無いが、強いて挙げれば顔と声だろうか。中居と違って年寄りだけに動きは抑えめでそれ程嫌味は無いかのようだが、笑いを取ろうとリアクションする姿は見ていると寒々として思わずチャンネルを変えてしまう。どういう訳か嫌いだという人は、そもそも最初っから人生に接点が無い人だと思う。グループサウンズの時から堺には馴染めなかったが、芸能界に向かない人のように思えてならない。こういう無条件に嫌いな人というのは単に好きじゃ無いだけだから、人格そのものは否定はしてないので良い人なんだろうと考えたりするが、「無条件に好き」という人も中にはいるだろうから、世の中ちょうど良いのかも知れない。が、私は嫌いである。


浜田雅功(A型牡牛座)

ダウンタウンの松っちゃんは好きなのだが相方の浜田はどうにも好きになれないタイプの芸人である。何より態度が偉そうで横柄である。何が嫌いだと言って、偉そうな態度が一番この世で嫌いである。勿論本人は偉そうにしている自覚は無いだろうし、かく言う私自身が偉そうで無いとは言えないが、それにしても浜田の態度は相手が先輩や格上であっても態度が多少控えめになるだけで大筋は変わらない。相手構わず突っ込みまくるだけの芸の無い男である。松っちゃんの方がよっぽど芸達者な感じがするし、好感が持てる。まぁ、キャラ設定もあるからなんとも言えないが、島田紳助のような末路になるのでは無いかと危惧している。勿論、彼に黒い付き合いがあるという噂があるわけじゃなく、そういう誰からも相手にされない日が突然くるのでは無いかという意味であるが、そうなれば復活の目は無い気がする。もう少し周りの人間を大事に引き立てる努力が必要ではないかな、繰り返しになるが当人に芸があるわけじゃ無いのだから。


泉谷しげる(O型・蠍座)

いつでも何処でも「ばかやろう!」である。それしか芸のない三流シンガーソングライターだ。同じフォーク歌手でも、もっとマシなのがいくらでもいるはずなのにと思う。その証拠に今では「何時も怒鳴っている老人」役の男としか認識されていないらしい。落ちぶれたもんである。私はこういう無能な人間が(無能に見えるのはテレビだけなのかも知れないが、本当の所は知らないし知りたくもない)大嫌いである。しかし主役級ではないのでテレビ欄で確認できず、突然画面に出てきて慌てることになる。芸能界から消えてくれとは思わないが、出来れば存在を忘れたい生き物である。再度申し上げるが無芸である。こういう人間を使う事務所が存在する事が不思議でならない。


亀梨和也(B型・魚座)

野球が好きなのは個人の自由だが、テレビで素人なのにシャシャリ出てきて高校生以下レベルの真似事を見せるので嫌いな芸能人のランキングに入れたが、本来なら全然接点の無い芸人である。アーティストだと本人は言うかも知れないが残念ながら本業の方は全く見ないので評価は「?」である。ビジュアルに気を使っているみたいだがそれも売り出す戦略のひとつだから、側からケチを付ける筋合いは無いが中途半端である。かっこいいというのは中身があってのものだから、本業がイマイチならいくらカッコつけても無駄だ。こないだテレビのドラマで主演していたので少しは真面目に役者をやる気になったみたいだから、もう野球などで誤魔化す事はやめて役者一本で行ったらどうだろうか。しばらく頑張って役者として何がしかの評価を受けるようであれば、これからの人生をなんとか実りあるものにできるかも知れない。10年くらい役者の道を精進して渋いキャラを作り上げるつもりが、彼にとっては丁度良いのかも。バンドはやってても構わないが、やるなら真面目に音楽を追求した方が良い。音楽の世界も厳しいものだろうから、役者の世界と二股かけるのは無理じゃ無いかな、所詮才能がもう尽きている。崖っ淵芸人は何をやっても厳しいのである。


この項を書いた後新しい事実が報じられた。ジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長がどうも怪しい動きを見せていたらしいのだ。というのも芸能界に絶大な影響力を持つメリー喜多川氏に睨まれたら、芸能界では生きていけないという事をSMAP解散劇が証明しているのである。それに対して挑戦したのが中居だと言う。しかし最終的に敗れてしまった形で謝罪せざるをえなかった、これが真相だと言うのである。メリー喜多川が何型何座かわからないが、中居はA型獅子座で巨人に立ち向かうヒーロー役。木村拓哉はO型の蠍座だから敵味方の識別が人一倍強烈な人間の筈、いまはじっと耐え忍んで時が来たら明智光秀のように一発やってやろうと考えているかも知れない。あるいは羽柴秀吉のごとく明智を倒して天下を取るつもりかも。どうやら年齢が決着をつけるお決まりのパターンになりそうだ。中居もいい面の皮である。A型獅子座の陥りやすい自己中が裏目に出た、起こるべくして起きたクーデター未遂事件である。芸能界がこういう足の引っ張り合いに終始するのは、本当の芸がわからない聴衆の側に根本的問題があるのだろう。
アメリカのようにアーティストの組合が独立していて興行側とは完全に仕事を分けているのは、過去にいろいろとあった弊害を避けるという知恵なのかも知れない。「芸能界を干される」というような事が1事務所の1人の人間によって左右される事態にこそ、芸能界の古い体質が未だに現代ビジネスに脱皮出来ない要因のひとつである。まぁ、だからと言って中居が好きになる訳ではないが、ちょっと可哀想ではある。


(41)星座の話 : 12星座のナルシスト度ランキング

1.獅子座、2.牡羊座、3.魚座、4.天秤座、5.蠍座、6.双子座、7.乙女座、8.射手座、9.蟹座、10.牡牛座、11.山羊座、12.水瓶座、だそうです。(smart newsから)

1位は納得の獅子座。昔好きだった女性が2人ともA型の獅子座で、口癖が「皆んなから好かれたい!」だった。僕は2位の牡羊座なので1人に夢中になるタイプ。競争して勝利するプロセスが堪らないが、勝ち負けが決着すると次のターゲットに興味が移るので1人の相手をずーっと好きでいるほどには長続きしなかった。これも自己中のナルシストと思えば当たってる。3位の魚座は以前から泣き虫だと思っていたが、ナルシストと見れば納得できる。とにかくよく泣く。何かと言えば泣くのだが、次の日にはケロッとしてるので不思議だったが、不幸な自分に酔ってると思えば慰め方も違ってくる。もちろん本人は否定するだろうけど。

4位の天秤座はたまたま知り合いにいたので聞いてみたら、社交的で理想はロマンチックだが現実は面倒くさがりとの事。バランス感覚が冷めていて非常に素晴らしい。星座のシンボルは古くはギリシャ神話の頃に発展したと僕は解釈しているが、よくできてるもんだと感心である。天秤座がバランス感覚に優れているのは当たり前とも言える。これはバランス感覚に秀でているから天秤を持ち出したのかは不明だが、たまたま合っている部分をフィーチャーしている可能性もある。なにしろ星座占いには何千年もの歴史があるから、色々と血液型・星座の分析は奥が深いです。この話はこれからも続きますので、よろしく。


(42)食品の話 : 廃棄問題

廃棄したものを転売するという驚きの行為、というか当たり前の行為を行ったダイコーはどういう会社なのか。実は正直な会社だと思わざるを得ない。廃棄と言っても見た目は全然普通の食品と変わらない訳で、要は「お客からクレームが来る可能性がある」というだけである。それを「捨ててくれ」と言われても、正直勿体無いと思うのはダイコーだけではないと思う。実際スーパーでは仕入れて販売しているのである。

1つの解決策として、訳ありとか難ありと表示し理由を明示して安く販売してはどうか。賞味期限などは過ぎている食品を表示した上で安く売っているところもあるから、別に問題は無い。日本人は何でもかんでも「食の安全」とか言って廃棄しているが、売れ残りの量はハンパ無い。訳あり商品が普通に販売されるようになれば、まともな商品や「味が素晴らしい」商品がそれほど有難いものでもない事が白日のもと赤裸々になって、食品が当たり前に食品として扱われるようになると思う。日本の食の改善という意味では、廃棄問題は大変重要な要素を含んでいるのじゃないか。とにかく廃棄する食品の量を減らすことが大事である。

消費税を8%から10%に上げるのに日本経済がすったもんだする事を考えれば、野菜や肉やパンやお菓子を賞味期限が切れたというだけで廃棄している場合じゃないと言える。単に安いのはコスト偽装の問題があるので怖いが、賞味期限が切れたのなら「元は」しっかりした食品なので安心である。一ヶ月や二ヶ月などは何の問題もないのだから、廃棄価格で処分して勝手に持っていくというのは如何だろう。食糧問題と廃棄偽装問題を一挙に解決する名案として、国の食品安全に関するやり方を考え直す良い機会と思う。

もう1つの解決策は転売防止の為に、廃棄処分する品物を「所定の形」にしてから業者に渡す事を「税法上の処理」として強制する方法である。つまり転売出来ない形にする訳であり、それを実行した証明を「納税書に添付」させるのである。これなら廃棄する側が処分方法を国の指定する形にしないと「税法上廃棄にならない」ので、必ず実行する。こういう問題で常に言われるのが確実性である。実行を担保する事が大事である。

要は廃棄問題は「捨てなくて良いものを廃棄する」ところに全ての原因があるのだから、ダイコーが悪いとかみのりフーズが悪いと言っても始まらない。全ては消費者の異常なまでの安全志向が生み出した「幻想」と言えなくもない。あまり過剰に清潔安全と言うのも考えものである。だから、安全なら少しぐらい法を破っても構わないじゃないかという業者が出てくる。原因の根本に「お金が全て」の風潮が蔓延している事である。もっと仕事に「誇りと社会貢献」の意識を持つこと、周りもその事にお金以上の価値を置くようになる事。日本の社会も成熟の域に達してきたのだから、中身もそれなりに成熟したいものである。


(43)水爆の話 : 北朝鮮問題

北朝鮮の水爆開発で広島・長崎以降抑止されていた核の使用が現実的になった。朝鮮半島は新時代に入ったと言える。韓国は南北融和路線を棄て、対決姿勢を先鋭化させるだろう。もはや日韓で争ってる場合ではない。というより自分の尻に火が点いたと言えよう。キムジョンウンは自分が世界を相手取って水爆を振り回し英雄になったつもりなのだろうが、余り裸の王様を気取ると、途中で方針を変更しようとしても周りが許さなくなる。

軍部や側近の一部は既に熱狂的なキム崇拝者になっている筈。後戻りはキム自身が弱腰と思われ失脚するだろう。中国もそろそろ見限る時が来たのではないかな。私は水面下でキム体制の転覆が進められていると思っている。過去の歴史の勉強をしていれば、そう考えるのが妥当だ。この2・3年の勝負だと思う。つまり軍のクーデターが起きて1度は大将クラスが実権を握るが、フランス革命のように二転三転して粛清され、10年位の間に中国のコントロールの元で現実的な政権が出来上がり国をまとめて行く。そんな筋書ではないだろうか。もちろん、北朝鮮の国民はクーデター派に「やんやの喝采を送る」であろう。そうあってほしいものだ。

ところで今度のオリンピック、北朝鮮はすべての競技から締め出したらどうでしょう?個人は国家の政治問題に無関係だと思うけど、北朝鮮だけは別。オリンピックも国家の威信を掛けてるようだから、除外するのが妥当でしょう。サッカーのワースドカップも除外。あらゆるイベントに参加出来ないよう、皆んなで団結しましょう。何しろ物が水爆だからね。


(44)バス事故の話 : 安いということの意味

いつになっても直らないコスト競争、安い価格がお客を呼ぶ限りは無くならない事故である。とは言え、安いから事故が起きるのかと言うと必ずしもそうとは限らない。本当のところは分からないというのが事実じゃ無いだろうか。では事故を防ぐにはどうしたら良いのか。ドライバーのミスが事故原因であるなら、タクシーも同じく事故を起こして不思議は無い。或いは航空機や船舶や列車も事故を起こしているはずだが、あまり記憶に無いのは何故なんだろうか。

私が想像するに、高速バスのドライバーは安全の為に守られていなくてはならない、それが料金の値引き合戦の結果として一番弱いドライバーにしわ寄せがいった、これがマスコミが危惧する1つの構造的な危険である。これは安ければ全て良しとする風潮のもたらす最悪の結果であるが、本当の価値とはなんだろうか。消費者にはコストなど分からないし、コストの分配など尚更誰にもわからないのでは無いか、安く価格を設定して何とか売り上げを作っている会社も苦労しているのである(と思う)。

色んな意見があるだろうが、これを抜本的に解決するには「ドライバーの賃金」は公的に保障しなければならない。ドライバーの賃金を「コストに含め」る以上は、この悪循環を断ち切る事は出来ないのではないのだ。だからドライバーの賃金を「コストから切り離す」事が必要なのである。

私は提案したい、乗客の命を預かる職業の人間の賃金は、コストではなく安全確保の費用として国家で然るべく設定をすべきだと。国家公務員に準じた扱いで、賃金は直接ドライバーに支払うべきである。これが何かの解決になるかどうかは、まだ分からないがやって見る価値はあると思う。


(45)裁判の話 : 交通事故の判断

千葉の交通事故裁判で、酒を飲み衝突事故を起こし150kmで逃げる途中に人身事故を起こした運転手を「過失致死で6年」の判決が下りた。危険運転致死罪とは何か。危険な運転をしている時に事故を起こしたら罪が重くなるという制度である。日本の道交法では違反となる場合でも、現実には車の流れの中で速度違反や信号違反が行われているのが通例である。つまり、普通に運転していて事故った場合は通常の違反罰則と人身事故保障金が適用されるわけだ。これは円滑な交通を推進する上では、多少の犠牲はやむを得ないと判断していると考えられる。多少のと言うのは「うっかりして」とか「気がつかなくて」とか「まさか飛び出してくるとは」とかの、人の判断に関わる部分である。それ以外の理由は全て「運転技術のミス」である。当然免許証の発行に間違いがある。だがこれは別の機会に話すことにする。

人間の判断ミスと運転技術のミス以外のミスとは何か?

それが危険運転なのである。

「信号が赤なのを知っていて通過する」というのも危険運転なのだ。知らなかったのなら前方不注意だが、知っているのなら危険運転である。勿論酒に酔っているから逃げたのであり、完全に「危険運転」の判決が下りなければいけない。しかも事故を起こして逃げようとしていたからスピードを出していた。単なるスピード違反ではなく(その場合はスピードを出さなければならない理由が無いので、いつでも速度を落とすことができる)、逃げているのだからスピードを落とせない。裁判官は走行レーンを守れていることを理由に危険運転では無いと判断したという。

狂っている。

何を危険とし何を安全というかは、道交法に書いてあることぐらい知らないのだろうか。道交法を逸脱した運転はそれを認識したもうその時点で「危険運転」なのだ、ということがわからないような裁判官は、クビでは無いか。

裁判官も人間である。適性検査を定期的に第三者機関で行う必要があるんじゃ無いか、と思った次第。常識の無い裁判官は常識の無いコンビニのレジ打ちより社会に取って害である、これは現代法曹界の大問題である。


それでは来週まで、サイナラ サイナラ サイナラ。





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